冬眠日記その58 ~実家からアパート、そして家への巻~

妻と付き合うために借りることにしたアパートは、実家から車で10分のところにあった。「小屋マンション」という変わった名前だった。勤務地までは約20分。妻の実家までは小1時間。間取りは2Kになるのかな。1部屋は寝室兼書斎(本棚とレコード棚を置いた)みたいな感じ、もう1部屋はリビングとして使っていた。

 

このアパートでした妻との活動はいろいろだ。料理を作る、流星群を見る、アサガオを育てる、採用試験の勉強、指導案の作成、延々と続くお喋り等々思い出深いことがたくさんある。それらの活動は毎週水曜の夕方から深夜までと、土曜の午後から日曜の21時までの週3日と決まっていた。だから火曜の放課後に水曜木曜の教材研究をしておかなければいけなかったし、木曜の朝は眠くて大変だった。

 

料理は何を作ったかな。そういえばこの前カレーの記事を書いた時、僕が作ることのできる料理は5種類だけだ、と書いたがまだあった。ペペロンチーノと豚汁と卵とじうどんである。雑炊もできるか。ペペロンチーノは一体何回作ったか、というくらい作ったんだった。ここ何年か作ってないなあ。

 

まず、オリーブオイルをフライパンに入れる。弱火でしばらく置いておいて、そこに塩適量(適当)、ニンニク3欠片、鷹の爪4つを入れる。ニンニクはなるべく薄く切り、鷹の爪は種だけ取って細かくは刻まない。弱火のままオリーブオイルにニンニクと鷹の爪の香りを移す。ニンニクがカリカリになってきたら、茹でたパスタを絡める。それだけなんだけど、初めて作って(作り方は習った)食べた時の感動は、その後もずっと続いた。バリエーションも習った。さっき作ったニンニク鷹の爪入りオリーブオイルにカットトマトとシーチキンを投入し、香りづけにバジルをかける。これにパスタを絡める。これも何回食べても感動するくらい美味い。作るのはほぼ僕の役割だ。妻に所望されるといそいそと作ったものだった。

 

豚汁もこのアパートでよく作った。いつも具を切り過ぎて膨大な量になり、僕達は「豚具」と言って笑いながら作って食べていた。ごま油と一味も重要な役割を果たした。

 

このアパートは、旧国道沿いにあり、正面はストアだったし、後に20数年通うことになる焼き肉屋(残念なことにコロナ騒動以来お肉は買うが、店の中には入っていない)も歩いて行くことができて便利な場所だった。日曜日の午前にストアに行って手を繋いで帰ろうとしたら「先生」と保護者に声をかけられて慌てて手を離したこともあったな。受け持ちの子もいたので恥ずかしかった。

 

また、このアパートからいろいろな所に行ってたくさん写真を撮った。そしてアルバムごとにタイトルをつけた。「廃人と廃墟」とかね(←だいぶイキがっていた)。この時代の写真も時折見返すことがある。最近見ると今との落差に唖然とするばかりだ。

 

これが独身時代に僕が住んでいたアパート、一軒家、アパートだ。次のアパートは2人で住むことになった。2LDKになるのかな。寝室、物置で2部屋。ほとんどはリビングで過ごしていたが喧嘩した時が大変だった。物理的に離れていたいのだけれど、なかなかそうもいかず、僕はサウナに行って泊まることもあった。2人ともそんなに友達関係は広くなかったが、それでも結構な数の友人がこのアパートを訪れてくれた。

 

たこ焼き屋さんで食べるのに難渋していた外国人に声をかけ、仲良くなって「よかったら僕達の家に来ないか」と誘ったこともあったな。その外国人はホントに来てくれて、(通訳として妻の友人も呼んでいた)楽しくすき焼きを食べた記憶がある。僕に海外旅行を勧めてくれた先生も来てくれて、パエリアをご馳走になったこともある。7年くらいは住んでいたんじゃないだろうか。

 

そして知らないうちに(いや、知ってはいたけど)、妻は家を建てるという大事業に着手していた。僕は家の設計のことには一切口を出さなかった。いや、1回だけあるぞ。内見会に連れて行かれた時、その家の壁に物が置けるようにくり抜いてあったのを見て「あんな穴があったら素敵だと思う」と言った。それだけだ。水回りも断熱材のことも蓄熱暖房機のことも電気関係のことも動線も全て妻が設計士と考え、決めていた。いやあ、書いていて恥ずかしくなるな。ホントに何もしないダメ夫だった。今もだけど。

 

しかし、棟上げ(8月中旬)が終わって、徐々に家ができる頃には2人そろって土日に見に行ったものだ(「階段ができたね」「床の板張りが始まった」とか仲良く喋っていた)。土日も仕事をしている大工さんに飲み物を買い、しばらく話すこともあった。内見会(12月上旬)が終わって僕は1人で膨大な本とレコード、CD、ビデオテープを新しい家に運び込んだ。それで僕の荷物は終わったようなものだった。

 

家の全容を書いてみよう。1階はリビング17畳、和室6畳、キッチン、風呂、洗面所だ。2階は寝室10畳、洋室6畳、そしてたんす部屋4畳、書斎コーナーがある。壁面は上から下まで本とCDが入れられるようになっている。洋室は「スタジオ」と称して僕の私物が置かれている。1階と2階は吹き抜けになっている。蓄熱暖房機が1階のみにあるので、温かい空気は吹き抜けから全部2階に流れていってしまう。そして階段から冷たい空気がごうごうと入ってくる。僕は冬になると、ことあるごとに冗談で「設計ミスだ」と笑いながら言っている。

 

この家で初めて寝た時の寒さったらなかったな。思わず2人して布団の下に段ボールを敷いて寝た。そして1週間もしないうちに学期末になった。通知表を書かねばならない。明日は通知表渡しだ。しかし2人とも夜の11時になっても何も手がつかなかった。引っ越しで疲れ切っていたからだ。12時を過ぎてやっと「そろそろ書かねば」と言い合い、何とか仕上げることができた。

 

これが17年前になるのか。家は掃除さえ頑張ればまだ比較的綺麗だ。そしてここが僕達にとって終の家になることだろう。この家には僕の恩師であるサカグチ先生が何度か来てくれた。病休、休職をしている時、校長先生や指導主事も来てくれた。僕個人の友達は従弟、音楽を一緒に作った同僚がよく来てくれた。また僕達2人の共通の友達(女性2人。どちらも今では校長だ)とは年に1回宴を開いていたが、こんなご時勢になってからは開いていない。

 

実家から出てもう30年になる。