hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

土曜日、深夜2時38分

今日は(というか昨夜は)23時に目覚めたが頑張ってもう一度寝た。しかし1時30分に目覚めるともう眠るのを諦めてリビングに行き、FODのあれこれをいろいろ試してみた。本格的に寝るのを諦めて、シャワーと洗濯をしようと思って今2時38分というわけだ(今浴室をヒーターで暖め中)。今日はもう寝ないぞ。

 

iPhoneからミラーリングできるようになったので、アップルミュージックからパティ・スミスの「ホーセス・ライヴ」を見たい。それからテレビで録画した(←もうすぐ録画という言葉は死語になるのかな)ミッキー・ロークの「レスラー」とジェフ・ブリッジスの「クレイジーハート」を見たい。パティ・スミスは約1時間、映画は約2時間だ。僕は通常の再生スピードで見ることができるだろうか。

 

 

そういえば昨日のトホホ日記で書き忘れたことがあった。家でもギター教室でも楽曲に合わせてバッキングの練習をしていたのだが、どうもテンポが合わない。最初僕はヴォーカルに合わせて弾いていたが、段々遅れてくる。ああそうだ、ドラムの音に集中すればいいのだ、と思いベードラに合わせて弾こうとしたが、ドラムの音自体が聞き取りづらい。一体みんなはどうやって音を合わせているのだろうか。

 

多分ドラムが一番の基本となると思われるので、そこに集中するのだろうとは思う。「アナーキー・イン・ザ・U.K.」はミックスがヴォーカル大きめだったのだろう。でもそうするとジョニー・ロットンの歌い方はドラムの音を聞いていない歌い方ということになるのかな。そんなことできるのかな、というのが疑問として残った。

 

 

あと、ドラムが基本で、その上にベースやギターがのっかってバンドサウンドが成立するのであれば、大学時代の僕の罪は大きいなと思った。僕は自分のドラムのことで頭がいっぱいで他の楽器のことは考える余裕なんてなかった。それこそチャーリー・ワッツのように「自分のドラムで客を踊らせる」なんて発想はなかった。バンドのメンバーは僕のドラムに合わせるの、大変だったろうな。

 

そう思うと、思わず大学時代の音源を聴きたくなるが、残念ながらもう断捨離してしまった。カセットテープはさすがにもう聞かないだろうと思ったからだ。でも世の中はちゃんとカセットテープをCDに落とすなり、他の方法で残すなりできるようになっているみたいだ。もったいないことをした。今聴くとだいぶ違って聴こえるかな。

 

さて、次の話題にいく前にコーヒーを淹れよう。

 

 

 

ふう、コーヒーも淹れたしシャワーと浴室の掃除もしたし、洗濯もしている最中だ。書くか。

 

 

さっき大学時代のバンドのことを書いたが、考えてみればブログもおんなじことしてるなーとシャワーをしながら思った。特に読者のことを考えて書いているわけではない。いっつも自分のことばかりだ。人のためにこんなことをしました、なんて書いたことがない。バンドで言うと、僕は縁の下の力持ち的存在というのは向いてないんだな、きっと。じゃあヴォーカルかな。自分勝手な面というのは確かにヴォーカル的だ。だが、悲しいかなサービス精神が足りない。それにシャイだ。この歳になっても人の目を見て喋ることが苦手だ。

 

自己顕示欲が強くてシャイ、しかも承認欲求が強いときている。最悪だね。こんなことを書けるのも今日が土曜日だからだ。平日にこんなことを書こうものならへこんでしまう。

 

でも何だろう。自分が何時に起きてこんな気持ちになって云々ということや、これを聴きました、よかったよーってなことを書き留めておきたいのだ。別に数年後のために書いているわけではないが、今、書き留めることで自分の頭の整理ができているのかもしれない。何となく心の中で思っているより、はっきりと言葉として定着させた方がいいと思えるのだ。別にそれが明日への成長に繋がらなくても構わない。

 

今はパティ・スミスの「ホーセス・ライヴ」(パティ67歳の時に『ホーセス』発売40周年を記念して行われたアルバム全曲ライヴ)を聴きながらこの記事を書いている。彼女がデビューアルバム「ホーセス」を発表したのは1975年で29歳の時だ。47年前の音楽を今も瑞々しく、いや更に深化させて響かせていることは驚異的だ。そして僕はこんな音楽を未だに聴いている。別に今始まったわけじゃあないけどさ。

 

村上春樹パティ・スミスと食事を共にしたことがあるそうだ。その時に「ロックンロール・ニガー」は当時問題にならなかったんですか?と村上が問うと、彼女は「勿論問題ありありだったわよ。ラジオでもかからないしね。でもそんなこと関係なくガンガンやってたわ」と答えた。村上は「さすが、パンクの女王は言うことが違う」と思ったそうだ。そして「でもある日のライヴに最前列で黒人が『ロックンロール・ニガー』を難しい顔をして聴いてるのに気づいたの。で、よくよく顔を見るとジェームス・ブラウンだったの。あの時はさすがにビビったわ」と言っていたのだそうだ。まだまだパティに関する伝説はありそうだ。

 

 

洗濯も終わったし、今日深夜の部はここまで!さあ、今日は今から何を見て何を思うかな。

 

 

 

 

今日はなかなかいい1日を過ごすことができた。午前中に映画「レスラー」を見た。その後、今日の食材、妻のバースデーケーキを買い、車を掃除して「Dr.コト―」を見ている。「レスラー」についてはちょっとコメントしておきたいぞ。

 

「レスラー」は2008年公開のアメリカ映画である。ミッキー・ローク演じるかつてスターだった中年のプロレスラー(ランディ)が、試合の後に心臓発作で倒れる。医師からは引退勧告され、自らも引退を決心したが、まあいろいろあって最後に引退試合をする。その最後の試合で心臓をバクバクさせながらも(自身の死を予感しながらも)自分の必殺技であるラム・ジャム(リングの鉄柱に上がってジャンプして相手を押しつぶす技?えーっと、フライングボディプレスです)を仕掛けるところで映画は終わる。何とも言えないラストシーンだった。

 

僕が初めてこの映画を見たのは、40代半ばだったと思う。それから10年以上経って見たらまた違う感じだった。とにかくランディのクズっぷりが目につく目につく。心を通わせていたストリッパーにも長年ほったらかしにしていた娘にも酷いことを言ったりしたりして挙句の果てには、勤務先のスーパーでイライラがつのり、大暴れして辞めてしまう。

 

引退試合を止めに来たストリッパーには「俺にとって痛いのは(自分の心臓よりも)外の現実の方だ」「もう誰もいない」と駄々っ子のように言う。そして「あそこが俺の居場所だ。行くよ」と言ってファンが待っている花道に出ていく。彼のことを少しでも気にかけてくれている人も「もう勝手にすれば」と思う場面である。

 

「もう勝手にすれば」はよく分かる。よく分かるんだけど、やっぱり僕はランディに肩入れしちゃうんだよな。クズはクズなりに考えて行動するのだ。それが周りには受け入れがたいことはきっと百も承知である。でもこれしかできないんだよ。これしかやりたくないんだよ。なんて思っちゃった。

 

さっきのラストシーンに戻るが、映画が終わった直後に「ワン、トゥ、スリー、フォー」とカウントが入り、曲が流れる。「うわあ、かっこいいぞ」と思って聴いていたらブルース・スプリングスティーンだった(「レスラー」という曲)。

 

それにしてもこの映画は大ヒットしたんだよな。ヒットした要素はいろいろあるだろうが(例えばプロレス界の内幕を描いたとか)、やはり映画界からフェイドアウトしかかっていたミッキー・ロークの実生活でのダメっぷりと主人公ランディのダメっぷりが重なって共感を生んだのかなあ。

 

 

こんな映画なら通常のスピードで見ることができるな。

 

 

今日の最後はいいモノみたぞ、である。YouTubeでよく僕が見ているビートルズものの新作だ。「ポール・マッカートニー【革命的ベースライン】10選」である。誰が見ても自分はベースは弾くまい、と思わされるベースラインだ。ポールの魅力はまだまだ世界に伝わり切っていないようだ。

 


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