午前2時のニック・ドレイク

今日は2時に目覚めた。リビングに行って僕がまずしたことは、血圧を測ることだった。よかった、下がっている。と言っても上190台が160台になっただけだが。まあ、僕としては大いなる進歩だ。安心したのでパソコンを開いて記事を書くか、という気持ちになった。それにしても「午前〇時の~」というタイトルを付けがちだな、俺は。松村雄策の影響だろうか。

 

体重の方は元旦から2.5㎏減った。食生活を大幅に変えたつもりである。味は薄口、炭水化物を控え、野菜・果物中心にする。嫌いな人参も積極的に食べる。バナナジュース(血圧を下げる効果があるらしい)はなるべく毎日飲む、などである。

 

バナナジュースは、昨年無印良品でミキサーを買ったので我流で作ってみたら、意外と簡単に作れておいしかったので、それ以来愛飲している。バナナも他の果物と比べたら結構安いし(多分)。

 

バナナ2本、リンゴ少々、ヨーグルト気持ち多目、水少々を入れ、ミキサーでガーっとやるだけだ。バナナもリンゴもヨーグルトも僕は食していなかったので、もしかしたら体の調子がよくなるかもしれない。

 

 

いつものこととはいえ、こんな時間に目覚めたから今日はニック・ドレイクである。ニック・ドレイクはスピーカーを通さず、小さい音で聴きたい。な~んて、彼をよく聴いているみたいな書き方をしてしまったが、僕は何回も彼に挑戦しては途中で挫折している。でも今日はなんだかすぅっと彼の音楽が耳に入ってくるような気がする。今のところとても心地良い。声はもちろんのことギターの音色が今日の、今の僕の状態にピッタリくる。ちょっと調べてみようかな。ウィキに頼るのは久しぶりかもしれない。

 

ニック・ドレイクは、ビルマ生まれのイギリス人シンガーソングライター。フォークの分野で活動。生前は商業的成功に恵まれず、3枚のアルバムを残して他界するが、死後に評価が高まった」

 

1948年に生まれて、1974年に亡くなっている。26歳の若さだった。1作目2作目はフェアポート・コンヴェンションのリチャード・トンプソンもアルバム制作に参加していたようだ。評論家からは高い評価を得たものの、アルバムは売れなかった。

 

失意のニックは、ロンドンを離れ、両親のもとに戻るが、かねてより患っていたうつ病が悪化したと書いてある。そうか、ニックはうつ病だったのか。うーん、そうだったのか・・・。会話もするのも困難だったニックは、それでもアルバム制作に取り掛かり、3作目「ピンク・ムーン」を1972年に発表する。これが彼のラストアルバムになった。

 

その後細々と音楽活動を続けていたが、1974年、抗うつ薬の過剰服用で亡くなる。自殺か事故かは明らかになっていない。

 

1980年代以降、ニックの再評価が高まり、以後も色々な形で評価されている。僕が初めて彼のアルバムを買ったのは、2000年前後だったと思う(多分ベストアルバムの類だったはずだ)。最初の数曲はいい感じで聴くことができていたが、段々つらくなってアルバム通して聴くことはできなかった。彼がうつ病に悩まされていたことを今回知り、身につまされる思いになった。

 

僕が聴いているのはアップルミュージックの「はじめてのニック・ドレイク」である。「River Man」を聴くと「ああ、ニック・ドレイクだなあ」と僕は懐かしく思う。今聴いて気に入ったのは「フロム・ザ・モーニング」「シングス・ビハインド・ザ・サン」である。どちらもニックの声とギターだけである。しかし、沈鬱な感じはしない。この時間に聴くのにピッタリだ。しかしお日様が出ている時に聴くには危険な音楽だ。勿論平日に聴くのは以ての外である。休みの日に早く目覚めたら、その時はまた彼の音楽に身を委ねてみようと思う。

 

さっき書いた2曲は調べるとニック最後のアルバム「ピンク・ムーン」からの曲であった。さて、少し眠れるかな?試してみよう。

 

 

 

首尾よくリビングで寝落ちした僕は7時頃目覚め、無事いつものようにコーヒーを淹れることができた。今日は朝から晩までのんびりできる。

 

というわけで、午前中にYouTubeを観ていたら、ジョン・レノンのニューヨークライヴが紹介された(「インスタント・カーマ」と「カム・トゥゲザー」)。ここからジョンの動画を観まくっていたら、エルトン・ジョンのコンサートに飛び入りした動画もあるではないか。画質は悪いが確かにジョンだ。もう1曲の「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」も見たかったなあ。

 

と思っていたらポールの「アイ・ガット・ア・フィーリング」が始まった。例のジョンと一緒に歌うってやつだ。その次の動画は、ポールの「ハロー・グッドバイ」「オール・マイ・ラヴィング」「恋を抱きしめよう」だ。今から思うとまだ若いポールだが、自身のコンサートにビートルズナンバーを導入した頃だと思われる。改めて、現代のコンサートでビートルズナンバーを演奏する決心をしたポールって凄いなと思った。

 

そしたら次にニール・ヤングが出てきた。「うん?」と思ったら「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のイントロを始めるではないか。「へえ、ニール・ヤングがそんなことを」と感慨深く見ていると、ちょこちょことニールの横に変なおっさんが来た。誰だ?と思いよく見ると、ポールだった。二人で嬉々として歌ってる。なかなか貴重なものを見ることができた。


www.youtube.com

 

さてと、夕方になり、日も暮れた。夕食を作ろうかな。