イギリスからブルースが降りてきた

昨日と同じく、気づいたら13時になろうとしていた。これはまずい、っていうんで外に出た。「しまむら」に行って洋服を買い(僕のシマラ―歴は長い)、眼鏡屋に行ってフレームのゆがみを直してもらい(瞬間で直してもらった)、コーヒー屋さんに行き今週分の豆を買い(いつもより少なめ)、パン屋さんに行き(最近毎週のように行っているお気に入りのお店)、選挙に行った。今日は知事選だったのだ。偉いぞ、俺。やろうと思えばちゃんとやれるじゃないか。そういうわけで今は若干気分がいい。

 

ところで何を聴きながら書いている?と問われたならば、昨日アル・クーパーを発見したんだから当然彼だろう、と答えるはずだ。僕もその予定でいた。でも気づくとサヴォイ・ブラウンのアルバムを聴いているんだよね。ほんとに落ち着かないし薄情な奴だな、と思う。しかし聴いちゃったものはしようがない。それに今日の僕の気分にピタッとくるんだもの。ブルースか。久しぶりだなあ。でもなんで本場アメリカじゃないんだろう。

 

サヴォイ・ブラウンの紹介をしなくちゃね、と思ってウィキを探したら日本語で書かれたものがない。そうか。そんなにマイナーな存在なのか。まあちょこちょこ調べてみるか。

 

サヴォイ・ブラウンはイギリスのブルース・ロック・バンドで1965年に結成され、1967年にデビューしている。ギタリストのキム・シモンズをリーダーとして、幾多のメンバーチェンジ(通算すると60人以上)を経ながらも一貫してブルースに軸足を置いた活動を長年にわたって継続している。1960年代当時の3大ブルース・ロック・バンドの1つ。あとの2つはフリートウッド・マックとチキン・シャックである。フリートウッド・マックは後に音楽性を大きく変え、チキン・シャックは短命で終わった。サヴォイ・ブラウンは2020年に新作アルバムを発表している。相変わらずのサウンドみたいだ。

 

今聴いているのは「Getting to the Point」(1968)という彼らのセカンドアルバムである。どうも代表作の1枚らしい。昔CD屋で探した記憶がある。前作以上にシカゴ・ブルース色が強まった作品って誰かが書いている。

 

僕が気に入っているのはスローなブルースナンバーだ。きっと今日の僕の気分にフィットしているのだろう。しかし本物のシカゴ・ブルースに行かずにサヴォイ・ブラウンを聴き続けているのはどういうことなのだろう。自分のことながら気になる。

 

うーん・・・・・。もしかすると彼らのブルースに「白さ」を感じたからかもしれない。自分で白いと書いておいて「それってどういう意味?」と突っ込んでしまいそうな言葉だ。それになんで「白い」のを求めているんだ?という声も聞こえてくる。ちょっと考えてみるか。

 

 

まずはヴォーカルが「白い」。これは当たり前だ。白人が歌っているんだもの。マディ・ウォーターズにはなれないよな。今は黒人の暑苦しいヴォーカルは聴きたくない。今聴くと落ち込みそうだ。そしてヴォーカルは白いだけじゃなくて「幼い」。これも暴言に近いが、拙さのようなものを感じる。そこがいいんだよなあ。きっとマディみたいになりたくて歌っているんだろう。(←勝手に決めつけてる)

 

次はギターが素敵だ。どう素敵なのかテクニカルなことはなんも分からんよ。でもそうだなあ、なんかコピーを聴いているみたいな感じがする、とでも言えばいいのだろうか(今日は暴言を連発する日のようだ)。ちゃんと弾いているし作品として聴けているんだけど、コピーするのが嬉しくてたまらないアマチュアバンドのような、そんな佇まいを感じる。失礼かな?誉めてるつもりなんだけど。そのコピー感に白さを感じると言ったら誰か賛成してくれるだろうか。きっと来年にはテクニカルなことも多少は書けるようになる予定だからこれで許してちょうだい。

 

「ホワイト・ブルース」というものがほんとにあるのなら、今の僕はまさに「白い」ものを聴きたいと思っているようだ。いつものことだが、難しいことはそっと横に置いて蓋を閉めておこう。誰かがこっそり教えてくれるかもしれない。

 

 

というわけで、これはブルース期のフリートウッド・マックも聴かねばなるまいと思った次第である。昔、名盤の誉れ高い「イングリッシュ・ローズ」(1969)を聴いたが、その時は耳に馴染まなかった。今の耳で聴くとどんな感じがするんだろう。ワクワクするな。チキン・シャックも聴かなくちゃ。