今日は、「AIがどれだけ賢くても、AIの文章が『薄っぺらく』感じるのはなぜか?」という動画を見た。まあ少しは午前中に勉強をしたってわけだ。ちょっと写経してみよう。
まず「サトマリ(っていう人だったと思う)」さんは、AIの作る文章は肝心な時にマジで使い物にならないって言ってた。大体偏差値50~60くらいはAIでもいけるけど、それ以上は無理なんだって。
そして、なぜAIの文章が薄っぺらく感じるかは、「人間は何に面白さを感じるのか」にも繋がるらしい。なるほど。そこで、サトマリさんは、「面白いとは何か?」を3つに分類している。
- 予測とのずれ
人間は、予測がピタッとハマると安心するが、少しだけ外れると「そうきたかー」と思う(脳みそが面白いと感じる)らしい。しかしAIではこういうことは構造的に生まれにくく、問いに対して平均的な答えをするように設定されている。つまりは一般論に終始するというわけだ。だから(AIは)意外な回答を出すようにはできていない。
- 自己参照性
人間は、映画でも本でもいいが、「これ、私のことだ」と一気に引き付けられることがある。つまり自分ごとになった時に、「共感」や「共鳴」が生まれる。昔の自分に重ねるとかね。AIも表面的には何某かのことを書けるが、残念ながら身体性を持たないから「共感」「共鳴」する文章は書けない。例えば、もらい泣きなんかは、体を通して起きている事象なのである。つまり、身体的なリアリティが「共感」「共鳴」の決め手になる。
それが最も上手いのが、宮崎駿なんだだって。彼の描く絵は、視聴者の五感を刺激する、自分の身体感覚を通して体感するように描かれている。そういうわけで人間は身体性を持った知的生物なのであり、AIはそうではないということだ。だからこれからのクリエーターは、身体的な知性を磨くことが大事であると言っていた。
3,変化の知覚
時間の知覚、或いは自己の知覚の仕方が人間とAIでは違う。AIにとって時間とはデータの処理順序とかになる。簡単に言うとAIはパラパラ漫画のようであるということだ。人間は、過去の自分も現在の自分も未来の自分も全部自分であると認識している。しかし、AIにはそれがない。
例えば、教育という行為は知識そのものを伝達するよりも理解するプロセスそのものを重視している。ユーザーに変化の実感を覚えてもらうことが大事ということだ。完成品を渡すだけでなく変化を楽しむ。これが大事。フルーチェなんかがいい例である(未完成のまま発売して買った人が完成させる)。人間として大事なことは、物語として主観的設計ができるか、である。
何だか分かったような分からないような小難しいことを言っていたが(朝っぱらから見ていたというのも関係があるかもしれない)、つまりは、AIの書く文章はつまらない、人間は、身体性を大事にせにゃいかん、ということかな。「身体性」という言葉は、これからもあちこちで使われるような気がする。僕でもそういうことを感じてるんだから。
さあ、難しい話はこれくらいにして、ぼうっと考えながら残り半分を書いてみよう。
「蚊トンボ白髭の冒険」を読み終えた。上下巻を2日で読んだということになる。つまりは、大変面白かったということだ。もしかして、藤原作品で一番面白かったかもしれない。終わり方もビターな感じでよかった。
あとは、「雪が降る」という短編集があるだけだ。少し淋しい(いや、かなり淋しい)が、JUNさんと達兄ぃのアドバイスを受け、今日もAmazonでポチっと注文した。さて、僕は日本のハードボイルドものにのめり込むことができるだろうか?乞うご期待である。
ブルース・スプリングスティーンの映画「孤独のハイウェイ」が昨日公開された。ホントは、昨日行こうかな?とも思ったが、満員だったらツラいと思って自重した。
なんか、僕の周りではえらく評判がいいみたいだけど、楽しみだなあ。僕は「ネブラスカ」を作る過程の時期を映画化したものだという情報しか持っていない。「ネブラスカ」は、スプリングスティーン(ファンにとってかな?)にとって異色作だった。僕としては「ほう、そう来たか」くらいにしか思っていないが、映画を観る前にせめて「ネブラスカ」をもう1回じっくりと聴いてから観に行きたいと思っている。
しかも、金沢まで行かなあかんかな、って思っていたら、なんと家から10分の映画館で上映されているではないか。パソコンでチャチャっとチケットを買い、車でブーンと軽くいけば、映画館に到着である。これは絶対観に行かねばなるまい。
ああー、もうタイトルの話にいきたいが、まだ書きたいことがある。どうしよう。タイトルを変えるのは邪魔くさいから「嘘」とだけ書き加えておくことにするか。
何を書きたいのかというと、ドゥービー・ブラザーズのことである。昨夜は、ドゥービーの「スタンピード」というアルバムを聴きながら眠った。これが良かったんだよね。中途覚醒した後も聴き続け、意を決した僕は、六可レコードに行き、「スタンピード」を買った。1500円。これで心ゆくまで楽しめるんなら悪くない。
このアルバムは、・・・・と書くとあと500字ほど書かなきゃいけないから、今日はやめておこう。
それにつけても、タイトルに偽りありが続くなあ。
それでは。