昨日は、妻の誕生日だった。この日は必ずお祝いにケーキを買うのが僕の務めだった。結婚してから約30年欠かさずに行ってきたことである。その僕が、昨日が妻の誕生日であることをすっかり失念していた。
晩御飯を食べている途中に妻が、「あっ。そう言えば今日私の誕生日やった・・・」と言った。それでも僕はピンと来ずに「え~っと、19日だったよな…あっ!今日19日だ」としばらくして気がつく始末だった。
こんなことは初めてである。いくら何でも妻の誕生日をすっかり忘れているなんて・・・どうかしている。通常は、「19日は〇曜日か、だったら・・・」と数日前から皮算用していた。それがスッポリと抜け落ちていた。
今年の結婚記念日(6月10日)は、大丈夫だった。しかしその5か月後の誕生日はダメだった。いかに僕が坂道を転げ落ちるようにして、ダラダラとした生活を送るようになったを証明している出来事かもしれない。そういうわけで妻には申し訳ないが、1日遅れでケーキを買わせてもらった。
その前に何をしていたのかというと、映画を観にいっていた。「平場の月」という映画だ。今週2本目である。できれば明日も映画館に行きたいと思っている。
なぜ「平場の月」を観にいったかというと、原作本を読んだからである。それと前後して、主演の堺雅人と井川遥が、それぞれ別番組で宣伝をしていたのを見たのも関係あるかな。藤原伊織作品を一旦読み終わった僕がお試しで買っておいた本だ。
本を読み終えて、「どうしようかな、映画」と思っていたら、やたら好意的なレビューがYouTube動画でいっぱい紹介されていた。それをチラッと見て「よし、観に行こう」と決めたのが今朝のことである。
僕の場合、大体が映画を観て、面白かったら原作本を読むというパターンが多い。そうすると、「ああなるほど、映画では触れてなかったけどそういうことなんだ」という発見もあるし、映画で演じた俳優を当てはめて読むこともできる。しかし、今回は逆である。どうなるかな、と思いながら映画を観た。
観て思ったのは、「やはり僕は、映画を観てから原作を読む方が向いてる」ということだった。原作と脚本の違いは承知している。全部が全部原作通りに描いていたら、何時間あっても足りないよね。
どこをはしょるか、はしょってその後どう処理するか、などと考えながら脚本を書くのだろうとは思う。しかし、今回はちょっとなーと思うところが多すぎたかな。
大体最初の設定が違う。井川遥演じる須藤が亡くなっていたことを堺雅人演じる青砥が知るところから原作の話は始まるが、映画では最後に須藤が亡くなったことを知ることになる。まあ最初に主人公が死んでいるってことを提示してから始まる映画ってないちゃあないんだけど、ちょっとねーって思った。
それから話はサクサクと進んでいくのだが、僕が気になったのは、原作にはないシーンがたくさん挿入されていたことだ。いや、あくまでも原作はベースでその上で脚本を書くっていうことは分かってるつもりなんだけど、そのシーンいるか?って思っちゃうところがあって、観ていて頭の中で「ホントはこうなんだけどね」と補正しながら観てしまっていた。
何だかんだ文句をつけちゃったけど、堺雅人の演技は素晴らしかったし、脇を固める人も素敵だった。須藤役の井川遥も頑張っていたと思う。僕は、この映画(「平場の月」)を観るぞ、と思った時に「これは絶対泣かせに来るはずだ。涙もろい僕としては、きっと涙をほろほろと流すことになるだろう」と思って、ハンカチを持参していった。でも、涙は出なかった。不思議なものだ。
でも、映画を観るという新しい楽しみができたことは喜ばしいことである。1200円でっていうのもいい。
今、14時半だが、こうやって30分ほど文章を考えて書いている間、頭の中は間違いなく沸騰している(「働いている」という沸騰状態とはだいぶ違うけれど)。1日のうち1回沸騰させると僕の脳みそは、興奮状態になるようだ。そして睡眠状況が悪くなる。しかし、沸騰させないでいたら昨日みたいに、妻の誕生日を忘れることになる。困ったものだ。
11月に入ってからの僕の生活が爛れているのは、MLBのシーズンが終わったことと関係しているようにも思う。読書が生活の中心になったのは喜ばしいことだが、他のことに関しては、よろしくない。かなりよろしくない。精神的にも身体的にも経済的にもやべーって思ったので、それを全部解決するには、働くことが一番だと思っている(最近書いたっけ?)。
そろそろ昔の同僚に探りを入れてみようかな?できれば学習支援員になりたいんだけど、どうすればいい?って。
それでは。