誰からも促されないと思うけれど

誰からも言われないだろうけれど、退職にあたっての挨拶を考えてみることにした。

 

 

僕は新任式や離任式の挨拶は何度も経験しているけれど、今でも苦手だし大嫌いだ。だからいつも新任式や離任式で話す先生の言葉を耳をダンボにして聞いていた(でも当然苦手意識は消えなかった)。そんな僕が退職の挨拶なんて大それたことは絶対にやりたくない。そもそも3月31日まで休職予定なんで離任式にも出ないしね。31日に学校に行って書類の手続きを粛々としてバイバイするだけである。

 

 

さてと。なんて挨拶しようかな。

 

 

 

 

ここで止まってしまった。いかん、正月早々妻と冷戦状態になっているのが頭が回転しない原因かな。あー嫌だ嫌だ。こんな自分が嫌になってしまう。

 

 

 

よーし、思い浮かんだので書くぞ(大人向けで書こう)。

 

 

仕事というものは、している限り疑問が生まれ続けるものだと思います。その疑問に対する答えをサッと導き出し、行動する人をたくさん見てきました。そういう姿を見てきて憧れた先生もたくさんいます。でも僕はそういう教員にはなれませんでした。

 

 

「授業ってどうあるべきものなのかな?」という大きな疑問や、「さっきの(児童への)言葉かけは妥当だったのだろうか?」という日常茶飯事に起こる疑問までずうっと持ち続けたまま今日に至っています。

 

 

もしかしたら同じように、疑問を抱き続けている人がいるかもしれません。「これでいいのだろうか?よかったのだろうか?」って思い続けていたり、「こんな疑問だらけの自分でいいのだろうか?」って思っていたりする人へ言いたいことは、「それでいいんじゃないか」ということです。

 

 

僕だってさっき言ったように、60歳になっても分からないことだらけです。だからまだ終わっちゃいないんです。教諭という仕事は今日で終わりますが、教育に携わる仕事をしているならば、死ぬまで考え続けると思っています。それでも答えなんて見つからないと思うけれど、それはそれで幸せなんじゃないかなあ。疑問あるいは悩みがあるからこそ人生は楽しいとも言えると僕は思っています。

 

 

疑問を持ち続けるためには肉体的にも精神的にも健康が第一です。自分の心身を大事にしながらお互いに頑張っていきましょう。

 

 

 

 

 

なんだか読み返しても冴えない感じがするが、今日のところはこんな感じかな。また2月か3月になったら考えることもあるかもしれない。

 

 

 

 

とにかく今日は、妻と仲直りすることが一番の課題である。これは難しい。今年最初の難問だ。

 

 

昨日、妻のある振舞いを見て僕は不快になった。そして僕は沈黙モードに入ってしまった。それが昨日の13時頃のことだ。そこから「うん」くらいしか話していない。

 

 

今朝は妻と喋りたくないので9時まで寝室にいた。起きると妻から「私何かやらかした?」と言われたが、何があったかは言えなかった。妻はしつこく聞くのをやめ、学校に行った。

 

 

只今15時半。妻は既に帰宅し、2階で過ごしている。僕はリビングで記事を書いている。夕方妻が降りてきた時、普通に接しようと思っているができるかどうかは分からない。しかし、夕食を作り、無理やりでも喋ろうと決意している。

 

 

 

一体何があったんだ?今までなら書いてただろ?なんて思われちゃうかもしれないが、これは書けないかな。ずるいけど。でも是非書き留めておきたいと思った次第である。

 

 

 

まあ、そんなわけで、今日は頭が回転しない1日になりそうである。

 

 

 

それでは。