おんなじことでもいいから書き続けるのだ

松村雄策の「ハウリングの音が聴こえる」を読んだ。しかし「これは松村氏が60歳代の時に書いた作品である」「相変わらずおんなじことを書いているが、それはそれで全然構わない」「読んでいる間中、松村雄策の文章に包み込まれているような気持ちになってとても幸せだった」くらいしか書くことができない。僕はどうしてしまったのだろう。

 

 

病休に突入してもうすぐ3週間にもなるが、1日の過ごし方を振り返ると全然駄目だ。当初はルーティンを決めて規則正しく生活するのだ、と力強く書いておきながらそのルーティンも守らずに虚しくダラダラと過ごしている。

 

 

目が覚めて、朝ご飯を食べたらウォーキングに行く。ここまではいい。雨が降っていない限り行っている。素晴らしいことだ。9時には家に着いている。問題はここからだ。一体僕は何をしていたのだろう。生産的なことは今書いたように「ハウリングの音が聴こえる」を読んだことくらいだ。ほんとに冗談ではなくて、1日を無為に過ごしている。それが18日間続いている。恥ずかしいことである。

 

 

そして昨日気づいた。頭が全く働かなくなっている。考えるという行為をしなくなっている。これは恐ろしい。あんまり恐ろしいので、今無理矢理記事を書いている。頭を働かせよう。少しでもいいから文章を書くのだ。そうしないときっと遠からず認知症になってしまう。

 

 

睡眠の方は改善されつつある。先週までは仕事関係の悪夢ばかり見ていた。眠りながら大声で怒鳴ったりもしていたようだ。そういう夢は今週見ていない。また、途中で目覚めても布団から出ずにもう一度寝ようと試みていて、それが成功しているので比較的いい睡眠ではないかと思っている。

 

 

もう少し何をしたか思い出してみよう。

 

 

昨日は車のタイヤ交換をした。そして父の車を車検に出した。今日は、同僚に会って戻ってきたお金を受け取った。日曜日はギター教室に行って「ジギー・スターダスト」が弾けるようになった。映画を3本観た。アクションものだ。

 

 

これくらいかなあ。あとの時間に何をしていたのかは思い出せない。おっと、大谷翔平の事件のニュースばかり見ていたな。もしかしたらこの事件に振り回されていたのかもしれない。そうだとすると、一昨日の記者会見でひと段落したから気持ちを切り替えることができるかもしれない。

 

 

とにもかくにもこのような時間の過ごし方はいけない。しかしこういうことって過去に何回も書いたことあるよな。そう思うと仕事をするって60歳になってからも必要なことなのかもしれない。人間(僕だけかもしれない可能性が高いが)、目の前に何でもしてもいい時間がぶゎ~っと広がっていると何にもできないものだね。今思うとよくもまあ毎日記事を書いていたものである。(←こういうこともよく書いている)

 

 

というわけで僕は松村雄策の本を読むことができた、読んでいる時はとても幸せだった。うん。これだけできたのだからよしとせねばいけない時期なのかもしれない。

 

 

松村雄策のように、おんなじことを繰り返し書いてもいいのだ。走ることができなくても歩き続ければいいのだ。歩みさえ止めなければ何とかなるかもしれない。