hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

追悼:松村雄策

昨夜、彼の死を知ってからは冷静ではいられなかった。今も勿論落ち着かない。でも、というか、だからこそ彼のことを書きたいと思い、パソコンを開いている。

 

昨日、このブログ内で「松村雄策」と検索したら結構な数の記事がヒットした。彼メインの記事じゃなくても僕は何かと彼の言ったことや書いたことに言及していたようだ。そりゃそうだ。昨日も書いたように僕にとっての先生だものな。

 

話は微妙にそれるが以前、次のようなことを書いたことがある。子どもの人生を変えるのが「教師」、ただ給料をもらっているだけの人は「教員」なんだ、と。だから訂正しなければいけない。僕にとって松村雄策は先生なんかじゃなく、教師だった。僕の生き方を変えた、そしてどこに向かって生きていくのかを決定づけた正にその人だ。張本人だ。僕は何となく渋谷陽一松村雄策も永遠に死なないんじゃないかと思っていた。それくらい特別な存在だった。

 

ロックを聴くとはどういうことか?そしてどう生きることなのかを彼の文章から教わった。彼の態度から教わった。いや、「教わったつもり」になっていただけの劣等生なのかもしれない。だってロックは怖いものだと言っていた松村だけど、僕は彼のようには実践できてはいない。「岩石生活入門」という書名から分かるように、「岩石のように揺らがないロックな生活」を探せ、そして覚悟を決めて生きろと常に僕に迫ってきた。彼の書く文章の核にそういうものを感じるから、ずっと信じることができたのだ。彼の初の著作である「アビイ・ロードからの裏通り」を読んだ1981年11月17日火曜日から僕は現在までの40年間、何とか教師松村雄策のよき生徒になろうと劣等生なりに努力してきたのだ。それは今も続いている。

 

 

 

世の中の人も悲しんでいる。SNS上ではそれぞれの人がそれぞれの思いを語っている。全くこんなにたくさんいたのかい?松村信者は、というくらいだ。ロッキングオン、恐るべしだな。

 

 

でもしんみりするのは今日で終わりにしようと思う。今夜は久しぶりにウイスキーを飲みながら彼の音楽を聴き、彼の書いた文章を読み、そしてビートルズやドアーズやT.レックスキンクスニール・ヤングやジャックスを聴くのだ。そして明日からまた生きていくのだ。ロック(何物にも揺るがない岩石)目指してロール(悪あがき)するのだ。それしかできないじゃないか。

 

 

じゃあ最後に今の僕が思い出す松村語録を書いて追悼文を終えることにしよう。

 

それは、小説の書き方についての言葉である。初の小説「苺畑の午前五時」出版後にどこかのインタビューで語っていた。「小説を書いているうちに(主人公の)亮二や久美子が勝手に動き回るようになったんですよ」「だから僕は、自分でどうにかしようとせずに彼らの動きたいように動かした。そしてできた小説なんです」というようなことを喋っていた。当時の僕は小説というものは、物語の初めから最後まできっちりとプロットが決まってから書き始めるものとばかり思っていたから、当時はこの言葉に違和感を抱いていた。でも今はなんとなく分かる。なんとなくだけど。僕もいつかは頭の中で人物を産み出して、その人物が頭の中で動き回るほど考え抜ける人間になりたい、と思っている。

 

 

さあ、松村雄策の愛した、そして僕の愛するロック・ミュージックに浸りながら酒を飲み、彼を偲ぼうじゃないか。