hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「こんばんは。渋谷陽一です」

NHK-FMの月曜日から金曜日22時に放送されていた番組「サウンドストリート」で木金曜日を担当していた渋谷陽一が最初に言う言葉が「こんばんは。渋谷陽一です」だった。その後に最新の洋楽をかけつつ持論を展開するのであった。「産業ロック」なんて言葉も生み出していたな。

 

当時渋谷の肩書はロック雑誌「ロッキングオン」の編集長兼ライター、レコードのライナーノーツを書く人、そしてDJ、そのくらいだったように思う(今では山ほどあるように思うが)。

 

僕は中3くらいから毎週この番組をチェックして毎回録音もしていた。大学受験の際も受験勉強の合間に番組を聞いていた(両親も黙認してくれていた)。

 

サウンドストリートについて書くと、1978年から1987年まで放送された音楽番組であり、曜日ごとにDJが変わっていた。前身は「若いこだま」と「ヤングジョッキー」。僕がこの番組を聞いているうちに月曜日は佐野元春、火曜日は坂本龍一になった。水曜日は甲斐よしひろの時もあったな。甲斐よしひろの番組でジャックスを知ったんだ。

 

そんな渋谷陽一だが、ゲストに「こんばんは」の挨拶をさせていることも数回あった。僕が聞いた初めての人は、松村雄策だったように思う。ジョンがああいう形で亡くなり、急遽組まれた追悼番組で松村雄策自身が選曲し、ゲストにも出た回である。

 

「こんばんは。松村雄策です」と言ったあとに流れてきたのは「パワー・トゥ・ザ・ピープル」だった。最後は「マイ・マミーズ・デッド」だったと思う。

 

当時ジョンが亡くなったことに対して僕より父の方が数倍反応していたくらい、僕はジョン、あるいはビートルズに対する知識を持っていなかった。だから知らない曲が結構多かったんじゃないかな。

 

あとは忌野清志郎遠藤ミチロウ、くらいかな。覚えているのは。

 

清志郎は彼らしく、「こ、こんばんは。」と例の調子で挨拶していた。どんな曲をかけていたのかは覚えていない。ミチロウのは少し福島弁が入った「こんばんは」だった。ニューアルバム「虫」の発売に合わせて出演した。それまでミチロウのシャウトは聴いたことがあっても、普通に喋るのは聞いたことがない。穏やかに話すミチロウの口調にびっくりしたものだ。そして渋谷陽一が「それではスターリンの『水銀』」と曲紹介をすると、ミチロウは「はいっ!」と返事をするのが可愛かった。

 

大学に入ってからはサウンドストリートからは少し離れるようになった。忙しかったのかな。きっとバイトをしていたか遊んでいたのだろう。

 

知らないうちに「サウンドストリート」はなくなり、「ミュージック・スクエア」という番組に変わっていた。

 

渋谷陽一についても書かなきゃな。でも彼はいろいろなメディアでいろいろと書かれていることだろう。僕が彼の著書を初めて買ったのは「ロックミュージック進化論」だった。そこで小説家の山川健一と対談しているが、「進化論」を唱える渋谷に対し堂々と「音楽は深化するもんだよ」と反撃した山川の方に僕はついていこうかと思った(結局彼の著書も最近の作品を抜かしてほとんど買うことになったけど)。

 

母と姉は渋谷の「訳知り顔の喋り方」が気に食わなかった。きっと世間でもあの喋り方が鼻につく人も多かったと思う。でも僕にとっては偉大なる先輩の声としてしか聞こえなかった。今はもうそんなことないけど。でも松村雄策の方がエライと思うな、僕は。これも世間の多くの人達が思っていることかもしれない。

 

渋谷陽一サウンドストリートを熱心に聞いていた僕だが、あまりこの番組を聞いて「このアーテストは凄い!レコードを買わなきゃ」と思うようなことはなかったと思う。きっと渋谷陽一がどんなコメントをするのかが楽しみだったのだろう。

 

とにかく「サウンドストリート」は僕の唯一定期的に聞いていたラジオ番組だった。

 

 

 

最近はブログを書いたらすぐにアップしている。こらえ性のない男だな。