hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

ヴォイス その4

ヒガ君と初めて会ってから2週間が過ぎていた。初めて会った夜には来週会いたいと言っていたのに、未だに連絡がない。僕からはあえて連絡せずにいた。ノゾミの店にも行っていないようだった(あの夜からノゾミとはちょくちょく連絡を取り合っている)。

 

そんな12月中旬の、もうすぐ2学期が終わるぞムードが学校に漂っている頃の金曜日にヒガ君から連絡があった。「明日の13時に会えませんか?」と。ヒガ君、ちょっといきなりすぎやしないかい?何をしていたのかは大体見当はついているが、それにしても、だ。でも興味はあるから行くしかない。ヒガ君に連絡する前にノゾミに電話して明日の13時に店を開けてもらえるか聞いてみた。ヒガ君と会うことも伝えた。ノゾミからOKをもらったので、ヒガ君に返信して、明日会うことになった。

 

僕はあの日の夜にヒガ君が話したことを思い返してみた。「ジム・モリソンになりたい」。いや正確には「自分の声をジム・モリソンの声に変えたい」と彼は言った。聞いた時は心の中で笑ってしまった。どうやってそんなことできるの?ヴォイストレーニングでもするの?でもそれは違った。ヒガ君が話したことをなるべく正確に再現してみると、「まず、ジム・モリソンの声の成分を音声学の研究をしている大学教授に分析してもらう」のだそうだ。音声学って何だろう。そんな学問あるのか。まあいい。その後「分析結果を持って、医者に声帯を手術してもらう」ということらしい。声帯を手術っていうけど、ポリープができたわけじゃないだろうに手術してもらえるのかな。今考えてみても荒唐無稽な話である。あれから事態は進捗したのだろうか。多分したのだろう。だからこそ僕に連絡してきたのだ。しかしそこまでしてジム・モリソンになりたいというヒガ君の気持ちがよく分からない。

 

土曜日、僕は店を少し早く開けてくれたノゾミにそのことを話した。一笑に付すかと思われたが、ノゾミはうーんと腕組みしている。

 

「へんてこな話だろ」

と僕が言うと彼女は

「そうでもないかもしれない」

と言った。ノゾミの言葉を待っていると、

「ウチのお客に大学教授がいてね、その人は言語学をやってるんだけど、音声学と音韻論というのがあって二つは全く違う学問だって蘊蓄を語っていたことがあったよ。音声学っていうのは『音声がどうやって作られ、どのように伝わっていくかを科学的、客観的に研究する学問』、みたいなことを言っていたような気がする。それとその人は結構音声学のことを馬鹿にして言ってたよ。何でだかは分からないけど」

ふうん。音声学っていう学問はほんとにあるんだ。

「ほら、見て」

とノゾミは僕にタブレットを見せた。なるほど「音声学」と検索しただけでいろいろなサイトが出てくる出てくる。ノゾミにタブレットを返すと、彼女は再び検索し始めた。

「ほら、見て」

とまた僕にタブレットが渡された。今度は「声の成分」の検索結果だ。なんだ、自分の声の成分を調べることもできるんだ。すごいな。いやあ、もっとヒガ君の話を真剣に聞いておけばよかった。こんなのは自分で探すことができただろうに。自分の声が有名人の誰に似ているか調べるサイトがあったので、試しにやってみたら佐藤健の声の成分が一番多かった。あの夜初めてヒガ君の話を聞いたときには、あまりにも馬鹿げた話だと思えたのでほっぽらかしていた。ヒガ君に申し訳ないことをしたな、と思っているとドアの開く音が聞こえた。ヒガ君の登場だ。

 

 

今日もヒガ君は革ジャンを着ている。よく見るとなかなかかっこいい。こんな格好で塾講師をしているのだろうか。

「この前はありがとうございました」

ヒガ君は僕に挨拶すると、チラッとノゾミの方を見た。今からする話を聞かれたくないのかもしれない。思い切って僕は言った。

「ヒガ君、ヒガ君には悪いけど、ママに話しちゃったよ。ごめん」

「ああ、そうなんですか。そうかあ。話しちゃったんですね」

「でも色々な事が聞けたよ。音声学の話とか」

と少し大げさに言ってみたら、ヒガ君が食いついてきた。

「そうなんですか。ママさんは音声学に詳しいんですか」

「いえ、お客の中に大学教授がいるから、その方の話を少し、ね」

「えっ、大学教授ですか。専攻は?」

言語学って言ってたけど」

「僕にその人を紹介してくれませんか」

「ヒガ君、そんなに慌てないで。ゆっくり話そう」

と僕は会話を遮った。

「お飲み物は?ヒガさん」

「僕は、グレープフルーツジュースを」

「俺はウーロン茶で」

ノゾミが飲み物を作り始めた。

「あれから連絡がないからどうしたんだろうって思ってたよ」

と、心にも無い言葉が無意識のうちに口から出ていた。

「すみませんでした。金沢にいなかったもので」

「旅行?」

と聞くと、ヒガ君はニヤリと笑い、こう言った。

「見つけたんですよ。大学教授」

ちょっと話がついていけなくなった。ああ、ジム・モリソンの声の成分を研究してもらう大学教授のことか。その人を見つけたってことか。やはりあの時の話は本気だったんだ。