ヒガ君は得意そうに言った。
「広島大学に音声学の研究者がいたんですよ。その人は歴史上のいろいろな人の声の分析をしているそうなんです。その人のところに突撃していって、ジム・モリソンの曲を聴いてもらったんですよ。そしたら興味を持ってくれたんです」
「へえ~、そうなんだ。よく会ってくれたもんだね」
僕は初めてこの話を聞いた時には興味津々だったのに、今は複雑な気持ちになっていた。そんなことしてどうするんだという気持ちと、このままずるずるとヒガ君のペースに乗ることで何か不吉なことが起きやしないかという気持ち。それに全然関係ないが、ノゾミのこと。1年に1回2回くらいしか会っていないのに彼女と2週間で2回会っている。こちらの方も気になっていたので、段々ヒガ君の話を聞くのが鬱陶しくなってきた。
「高木寛治という名前の教授で、学界では異端児扱いされているそうです」
そうなのか。歴史上の有名人の声の分析は異端なのか。面白そうだけどな。ああいかん、また、ヒガ君のペースになってしまう。ノゾミは後ろを向いて何かを片付けているが、耳がダンボになっているのが丸分かりだ。
ノゾミと初めて会ったのは20年ほど前になる。長い付き合いになったものだ。段々僕はヒガ君の話に生返事をするようになった。注意深く聞いているふりをしつつ(いや、まあ聞いてはいた。今は倍音の話をしている)、ノゾミと初めて会った時のことを思い出していた。
あれは9月のことだった。2学期が始まってしばらく経った頃、遠藤ミチロウのライヴがあった。金沢市の「もっきりや」という小さなライヴハウスだったが、全国的にも名を知られていた。あの頃はインターネットなんかなかったから、ファンクラブ通信のようなものでライヴの告知を知ったんだった。あの頃元気一杯だった僕は、夜の金沢に繰り出していった。ミチロウのライヴは結構観ていたので、「もっきりや」に早目に行くと、真ん中の前から2列目に座って本を読みながらライヴが始まるのを待った。そうしたら僕の前、つまりミチロウの真ん前になる席に座ったのがノゾミだった。
何だ、俺の真ん前かよ、ちょっと見にくくなるじゃないか、と思ったが、ライヴが始まるとちょっと印象が変わった。ノリのいい曲には体を揺らしてノッていた。ミチロウのライヴはみんな固唾を飲んで曲を聴き、曲が終わると力いっぱい拍手するのが金沢では定番だったから、彼女の行為は新鮮に映ったし好感を持った。
たまげたのは、ライヴが終わってからだ。ライヴが終わってギターを片付けているミチロウのところに行って、何か話しかけている。「すごいなー」と思い、耳をそばだてていると、「ミチロウさんのライヴアルバム『50(Half)』なんですけど、もう売ってないんですか?」と聞いていた。ミチロウは「もう売り切れちゃってないんだよねー」と答えていた。僕はそのアルバムを持っていた。そこで思い切って彼女に声をかけた。「俺、『ハーフ』持ってますよ」と。彼女はぜひ貸してほしいと言ったので、僕は快諾した。電話番号を交換し、今度の土曜日に持っていく約束をしたのであった。
土曜日に待ち合わせをしてCD(「ハーフ」以外にもいろいろ持っていった)を渡そうとしたところ、家に来ないかと言う。借りてばかりでは申し訳ないので、自分の持っている何かに興味を持ったら貸すと言う。お言葉に甘えて部屋にいかせてもらった。正直「いいのかなー」と思ったけれど、こんな展開は今までの人生でなかったので興味があったのも事実だ。彼女は1年浪人して金沢の大学に通っていた。だから僕と一回り以上歳が離れていたことになる。
彼女の部屋は乱雑としていた。本やCD、その他いろいろな物が整頓されていなかった。「おい、女子だろ、もう少ししっかりしろよ」と思ったが、雑多に置かれた本の中から丸尾末広の漫画を3冊ほど借りて、その日は帰った。
そしたらその日の夜に「『ハーフ』、中身が入っていませんでした・・・」とメールが来た。「やっちゃった」と思った僕は、すぐに中身を探し出して次の日に持っていった。そこから毎週ノゾミの家に行くことになった。レポートを読ませてもらったり、ボ・ガンボスを一緒に聴いたりしていた。彼女は博識で、いろんなことを僕に教えてくれた。その頃には僕はもうノゾミのことが好きになっていた。
初めて会って4回目だろうか。夜の酒場でアルバイトをしているという話を聞いた僕は、「俺だったらすぐに君にアタックするな」と言ったら、彼女は「それ、嬉しいかも」と言ってくれた。その後、僕たちはなるようになった。僕は彼女と会う時間を捻出するために妻には嘘の上にまた嘘を固めるようになっていった。
ヒガ君はまだ熱心に僕に語りかけている。僕はどんどん思い出の方に引き摺られていく。