hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

山川健一は元気だろうか?

朝、起きたら寒い。これは雪が積もっているな、と思って外を見たら案の定路面が白くなっている。薄く積もっている程度だが、この気温じゃあ、ツルツルピカピカなのではないだろうか。朝の出勤は渋滞必至である。早目に家を出なければ。

 

 

昨日、ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」の訳詞を知りたくて山川健一の本を調べてみた。そしたらそのまま他のところも少し読んじゃった。心を決めた僕は2階の本棚からあと2冊を探し出してきた。近日中に読んでみたいものだ。

 

 

選んだ本は「ブルースマンの恋」「ハミングバードの頃」「彼が愛したテレキャスター」の3冊である。この本はCDブックという形で作られたシリーズ本で、当時としては斬新な形態だったように思う。内容は古いロックやブルースなんか聴かなくなった(あるいは知らない)若者たちに向けて書いたものになるのかな。当時山川は36歳くらい。第3弾の「彼が愛したテレキャスター」が発刊されたのは1991年1月。その頃から若者のロック離れは始まっていたのだろうか。少なくとも1960年代70年代の音楽は忘れ去られようとしてたっぽい。

 

 

30年以上前の本をチラチラ読んでみると、36歳の山川の言葉は、今59歳になろうとしている僕の心にも相変わらずズケズケと入り込んでくる。当たり前の話だが音楽を繰り返し聴いたり、本を繰り返し読んだり、映画を繰り返し観たりしていると、やがてその作品が作られた時の作者の年齢を越してしまう。それでも当たり前のように初めて出会った時のようなときめきを感じる作品が世の中にはたくさんある。山川健一も僕にそんな作品を届けてくれる1人だった。「だった」と過去形で書くのはつらいが、ほんとのことだからしょうがない。

 

 

ちらりと彼の略歴めいたものを記しておこうかな。

 

 

・1953年生まれの70歳。

・大学在学中に「天使が浮かんでいた」(ブライアン・ジョーンズをモチーフにした作品)で早稲田キャンパス文芸賞を受賞。そこから作家活動が始まる。

ザ・ローリング・ストーンズフェイセズ等のロックやレゲエ・ブルースを愛好し、音楽に影響を受けた作品を次々と発表する。

・オートバイや車をこよなく愛している。もちろんオートバイを題材とした作品も数多く手がけた。

・1990年代には倒錯性愛や欲望を題材にしたポルノグラフィを手がけた。また自ら編集を手がけたロック雑誌「ルーディーズ・クラブ」を創刊した。

・ミュージシャンとしても活動し、メジャーデビューもしている。←今イチだった

・1997年、「マッキントッシュ・ハイ」という本を刊行し、iMacを駆使して毎日楽しく過ごす(←想像)。

・2000年以降、何だかよく分からない世界に行ってしまった。(ヒーリングとかオーラとかパワースポットとか新撰組とか)

 

 

彼は師匠と仰ぐ五木寛之同様、多作だった。そして同じモチーフを何回も書き続け、少しずつ深化させていったと僕は理解している。

 

 

しかし、残念なことに2000年を越えてから何だか変な方向に行ってしまった。あの、山川健一が、オーラだって?ヒーリングだって?ちょっと待てよ、と思ったものだ。

 

 

しかし、彼にとっては必然だったのだろう、きっと。僕は山川の作品を読むたびに、この人はいろいろなことに悲しみを感じて生きているだと思った。生きていることの悲しみ、社会のシステムの矛盾に対する悲しみ、女性との付き合いが長続きしないという悲しみ、などなどだ。そしてその悲しみを突破するためにロックやブルースを聴き、オートバイや美しい車に乗るのだ。しかし快楽を得れば得るほど、悲しみは増幅される。そんな文章を書く山川に当時は夢中になった。

 

 

久しぶりに読んだ山川健一の文章は、なんだか昔の先輩から届いた長い手紙(メールかな?)のように感じた。「あー、やっぱりいいよな、この頃の文章は」って思ってしまう。

 

 

上記の3冊を書いた頃から、彼は自分の好きなミュージシャンや画家、小説家などを紹介する本を発表するようになる。これがまた、上手いんだ。きっちり情報は書いてくれるし、自分のこともいいさじ加減で加えてくる。そして彼らしい言葉で自分の好きな人を解釈するのだ。彼の書く小説も好きだが、こっちのスタイルの方が彼に向いてるんじゃないかと思ったくらいだ。

 

 

今、山川健一はどうしているだろう。ウィキでちょっと調べてみたけれど、元気に活動しているようだ。僕にとっても有益なことをやっているっぽい(ブログとか小説の書き方みたいなこと)。しかし、ストーンズを語らなくなった山川健一にはどうものれないな。「ハックニー・ダイヤモンズ」のことをどう思っているんだろう?そういうことが知りたい。

 

 

最後に「ハミングバードの頃」の中の一節を紹介して今日の記事を終えることにしよう。

 

 

「さて、ぼくがこれから書こうとしているのは、ロック・ミュージックの歴史ではない。なぜなら僕が紹介しようとしているいくつかのロック・ナンバーは今もぼくの中で、生々しい傷として、暑い夏の日に飲む甘いソーダのようなものとして、あるいはコカインのようなものとして、呼吸しているのだから」

 

 

僕は今でも彼がこういう風に思っていればいいなあ、と願っている。僕が相変わらずロック・ナンバーに対して同じように思っているからだ。

 

 

 

それではこの辺で。週が始まったね。今週来週はのんびり過ごすことができそうだから気は楽だ。