今頃YMO

今日も悪夢を見たが、映画も観た。「ゴッドファーザー」の後半である。昨日同様ノンストップで観ることができた。その前に悪夢のことを簡単に書き留めておこう。

 

どういう悪夢かというと、学校ネタである。出る授業出る授業で僕が児童にボイコットされるというなかなかツラい夢だった。担任の先生にも相談してみたが、何だかつれない返事をするだけで、僕は孤独感に苛まれる。明日から実際に授業をするが、何年経っても最初の1時間目は緊張するということなのだろう。

 

 

さて、「ゴッドファーザー」である。昨日は何故この映画はサクサクと観ることができるのだろう、と思っていた。解決したわけではないがひとつ気づいたことがある。それは劇伴っていうの?つまりニーノ・ロータの作る音楽が素晴らしいということである。

 

何が素晴らしいって、素晴らしい曲が3曲もあるということがすごい。普通は1曲だろう。先日観た「大脱走」にしても「戦場のメリークリスマス」にしてもそうだ。強く印象に残るテーマ曲が1曲あれば劇伴はOKである。

 

ところが「ゴッドファーザー」にはその必殺のメロディが3つもあるのだ。これがこの映画を名画たらしめている所以だろうことは間違いない(←断言)。

 

一つ目は冒頭のシーンだ。というか音楽からこの映画は始まる。悲し気なトランペットの調べ。この音楽の中、多くの人がゴッドファーザーであるドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド)に色々なお願いをしに来る。それを鮮やかに捌くドン。このシーンで観る人を一気に引き込む監督のコッポラの手腕が素晴らしい。きっとイケイケだったんだろうな。昨日は結局、マイケル(アル・パチーノ)が父の復讐を果たして逃亡するところまでを観た。

 

今朝は、シチリア島でのんびり散歩しているマイケルのシーンからだ。そこで流れるのは、あの有名なヤツだ。「ゴッドファーザー」と言えばこれ、というあの調べ(邦題は「愛のテーマ」)。いやあ、ここでこの曲が流れていたのか、と感心するばかりであった(←エラソー)。

 

ニューヨークに戻ったマイケルは、父の代わりにドンとして君臨する。が、まだ昔父の部下だった男たちは今ひとつマイケルに身を委ね切れない。それも全て分かった上で父とマイケルは入念に作戦を練る。3つ目の必殺曲はここら辺から流れるようになったのだろうか、ちょっと判然としないが、タイトルは「ザ・ニュー・ゴッドファーザー」であるからきっとそうだ。

 

ラスベガスに拠点を移す前にキッチリと片を付けるマイケル。打つ手打つ手がドンピシャリとハマる場面は血生臭いシーンが続くが爽快である。最後は妻のケイに堂々と嘘をつくマイケル。それに安心したケイが振り向くとドアが閉まろうとする。そこにはもうニュー・ゴッドファーザーとしてのマイケルの顔しか見えなかった。ここで映画は終わる。

 

5回くらいは観てるはずなんだけど、何十年ぶりかに観ても面白いものは何時観ても面白いということがよく分かった。この歳になると若くてギラギラしているアル・パチーノより、渋いマーロン・ブランドの方に注目してしまう。そこが昔と違うところだった。

 

続編、どうしようかな。一気に観るのは勿体ないしなー。取り敢えず今は「ゴッドファーザー」の余韻に浸って平日を過ごそう。「大脱走」は1963年、「ゴッドファーザー」は1972年の作品である。この時代の映画には特別な輝きがあることは確実だな。早送りで観るなんて以ての外だ。

 

 

今日は午前に「ゴッドファーザー」、その後すぐに選挙に行って、コーヒー屋に行って、ガソリンを入れて、買い出しをして帰宅した。まだ14時半。いい天気である。よって気分もいい。というわけでタイトルの話にいかなければ。

 

 

 

YMOイエロー・マジック・オーケストラである。「今頃YMO」って書いてあるから、「お前、まさかあのYMOを聴いてないのか?そんなはずないよな」なんて思われるかもしれない。実はね、今日初めて「ソリッド・ステイト・サヴァイバー」(1979)を初めから最後まで聴いたんだよ。どう?びっくりした?自分でも驚きだよ。それで、その感想だけど「素晴らしい」の一言に尽きるね。

 

 

宮台真司曰くスーパーテクニシャンの3人が「シャレで作ったらオシャレになった」というこの音楽。「オシャレ」=「流行り廃りがある」と言えるかもしれないが、YMOは今聴いても全然違和感がないし、かっこよく聴こえるぞ。

 

 

1曲目の「TECHNOPOLIS」と3曲目の「RYDEEN」はさすがの僕でも知っている。でも2曲目の「ABSOLUTE EGO DANCE」は初めて聴いたんだけど、いいね。かっこいい。それにYMOにも沖縄のお囃子を取り入れていたんだ。

 

4曲目の「CASTALIA」も初めて聴いたんだけど、何だかボウイの「ロウ」みたいな響きも微かに感じられる曲だ。5曲目の「BEHIND THE MASK」は勿論聴いたことがあるけど、そこまでいいとは思っていなかった。けど、この並びで聴くと素晴らしい名曲じゃないか。これはいつまでも聴いていたいぞ。マイケル・ジャクソンエリック・クラプトンが目をつけるのも分かる。

 

6曲目の「DAY TRIPPER」も実は恥ずかしながら初めてなんだよね。こんな風にやってたんだ。僕としたらちょっと箸休めな感じの曲である。7曲目の「INSOMNIA」は最初の琴のような音がまたしてもボウイを連想させるもので、思わず「ロウ」と「ヒーローズ」っていつ作られたんだ?って調べちゃった。そしたら2つとも1977年に発表されていた。YMOの面々がボウイの2作品を思い浮かべたのかどうかは定かではないが、僕にはこの曲はボウイのシンセ中心の曲をデフォルメしたように聴こえた。

 

最後の曲「SOLID STATE SURVIVOR」は恥ずかしいんだけど、「ああ、この曲が『SOLID STATE SURVIVOR』だったのか」とやっと曲とタイトルが一致した作品である。

 

全8曲、32分。存分に楽しませてもらった。それにしても何度でも書くが、海千山千の強者が、リズムの「揺らぎ」(あるいはバンド的グルーヴとでも言えばいいのかなぁ)を捨て、ジャストなタイム感で「ちょっと作ってみようぜ」って作ったものがこんなに世界的に認められるなんて最初は思いもしなかっただろうな。服装等のいろいろな戦略は「この音でイケる」って思ってから考えたものなんじゃないかなあ。

 

というわけで、坂本龍一ラインからYMOを聴いてみたのだが、思った以上に収穫のあった1枚でした。実はチラッと1枚目も聴いているんだけど、この作品もよさげですな。細野晴臣のベースはいつの時代のどんな曲でもかっこよく聴こえるのは僕だけじゃないよね?みんなもそう思いますよね?

 

今は細野晴臣の「S-F-X-EP」を聴いている。岡村靖幸が「先鋭的ファンクミュージックの先駆け」と言ってた作品だ。細野晴臣まで手を広げるのなら、これからまた忙しくなりそうだ。

 

 

と書いておきながら今僕は「人生の特等席」(クリント・イーストウッド主演。監督はしてない)を観ている。キリがないので夕食を作ろう。

 

ようし、今週、どうなるか分からんがやってみるか。

 

 

 

グラッツェ