6年生の2学期の学習内容が終わった。担任には学期ギリギリまで授業してくれと言われた(担任も気持ちがいっぱいいっぱいなのだ)。あと3時間ある。さて、何をしようかな、と思い考えてみた。本当は3学期の分をさっさとやりたかった(3学期はあまりにも時間が足りないので)が、もちろん隣のクラスと進度を合わせなければいけない。しばらく考えて多数決について考えるのはどうだろう、というアイディアを思いついた。多数決の欺瞞性とでもいえばいいのだろうか、そんなことに迫ることができたらな、と考えた。
でもそれをやる体力があるかどうか分からないし、子ども達も2学期終了モードになっているので、念のために2学期分の復習プリントも印刷しておいた。予定係には「考え中」と伝えておいた。
昨日の2限目がその最初の時間だった。僕は両方のプリントを用意して教室に入っていった。最初はちょっと謝らなければいけないことがあったので、それを詫びた。教室は何となく「何が来てもいいよ」って風なムードだったので思い切って復習プリントをやらずに新しいことをやろうと思った。
「今日は実験というか、みんなに考えてもらいたいことがあるんだけど」と言って、話を切り出した。「みんなは物事を決める時、どんな風にして決める?1人で決める時もあるし、2人で決めることも、もっと多人数、例えばクラスで決めることもあると思うんだけど」。そう言うと、パラパラと手が挙がった。
出てきた発言は次のようなものである。
「第3者に決めてもらう」「じゃんけん」「多数決」「討論(相手を説得する)」「おどし」「わいろ」「ゆずり合い」「権力者の独断」「投票」などだ。
なるほど、たくさん出たな、このクラスらしいなと思ったので、「すごい。たくさんアイディアが出たな」とそのまま言った。そして「じゃあ、その決め方の良いところとそうでないところを考え見て」と言ってからプリントを配った。みんな黙って書き始めた。あとで読むと以下のことが書いてあった(一部抜粋)。
第3者に決めてもらう〇両方の意見が聞ける△第3者の思い通りになる
じゃんけん〇平等△あまりよくない意見が選ばれるかもしれない
多数決〇多数派の意見が通り納得する人が多い、すぐ決められる、みんなが参加できる、大体は納得させられる△少数派の意見が通らない、少数派が不満を持つ
討論(相手を説得する)〇公平、みんなで話し合える△決まらない、けんかが起こりそう
おどし〇すぐ決まる△不満や文句が出たり、トラブルが起きたりする
多数決という方法が一番書きやすかったようである。多くの児童が書いていた。僕は話を国レベルに広げてみた。「1学期で学習しましたが今の日本は、民主主義という政治の制度をとっています。そして法律などを決める、つまり国のことを決める時に多数決という方法をとっています」「世界では逆にさっきみんなから出たように権力者が国のことを決める、という国もあります」「それぞれ良いところとそうでないところがあります」と言い、みんなに聞いた。これは既に前段で考えている児童が多かったので同じようなことが出てきた。
僕は「多数決は時間がかかる」ことと「権力者が決めれば時間がかからない」ことを確認した。結局は権力者が何でも一人で決めるということは、例えば北朝鮮を想起して、みんなが安易に多数決でよい、と考えないでほしいと思ったからだ。そしてもう一つ、「権力者が決めれば自分は考えなくていいから楽」ということを僕の独断で付け加えた。そして「自分だったらどちらの国に住みたいか」と問うた。
僕は、それでもほとんどの児童が多数決で決める国に住みたいと書くと思っていた。しかし、結果は多数決14名、権力者10名、どちらも併記1名、無回答1名だった。権力者が10名か、でもこのクラスらしいといえばそうかもしれないな、と思い、そちらの理由から読んでみた。
「権力者が何を考えるかにもよるけど、サッサと決まるから」「多数決だと少数の意見は流されるから」「多数決だと時間がかからないし、権力者が自分の国を貶めるようなことはさすがにしないと思うから」「すぐ決まる方が戦争の時にも対策がすぐできるから。というか権力者になってみたい」「あがいても国民が逆らうわけないので、どちらかというとこっちの方が安全」「楽、早い」等と書いていた。
一方多数決の方は、「政治は国民のためにあるから。うちらも意見は言う」「国民の意見を取り入れられるから」「争いが少ない」「いろんな意見が聞ける。説得力がある」「権力者が全部決めてしまうと、いやな法律ができてしまうかもしれないから、多少めんどくさくても多数決の方がいい」「色々不満も出るが決まりやすい」「安全性はあるし、不満も少ないと思うし、時間がかかるとしても納得すればいい。権力者の方だと反対したら殺されそう」「多数決だと、だれがこの案かすぐ分かるし、いい人だと少数派の意見も取り入れてくれる」「みんなの意見が出て、話し合いの中でいいところ、不満なところがでてくれる」「考えないといけないけど、一人だけの変な考えじゃなく、みんなの考えになるから」と書いていた。
授業はここで終わった。さて。これをどうしたものか。とにかくみんなの考えを書いてクラスで共有したいとは思っている。しかし、結論があるわけではないし、現在の日本は少なくと(表面上は)権力者が何でも決めてしまう国ではない。
「民主主義=多数決」ではないことも是非確認しておきたいし、「多数決=正義」ではないことも確認しておきたい。
しかし僕が予想している以上に児童は多数決の欺瞞性に気づいているのかもしれない。果てることもない議論(という名の話し合い)に辟易としているのかもしれない。合意形成するまでの時間のかかり方にイラついているのかもしれない。でも今の考えのままで育っていくと、人間として劣化していくというか、「考えるのは邪魔くさい」とか「あいつが悪い」などと思考停止状態になると思われる。せっかくこういう機会を作ったのだから何とかもう一段話を深めたいものだ、と今のところ思ってはいる。どうしようかな。
工藤勇一は、「民主主義は『自律』と『多様性を認めること』だ」「合意形成できることは非常に少ない」「全員が納得いくまでとことん話すことが必要」と説いている。そこまでいけたら僕としても言うことはないが、今の児童にそれを求めることは拙速に過ぎる。
月曜日用にプリントを作りながら考えることにしよう。
今日はひとつ勉強をした。憲法と法律の違いのことだ。ひとつは「名宛人」の違いである。憲法は「統治権力」に、法律は「市民に」宛てたものであるということ。もうひとつは「立法意志をめぐるもの」である。こっちの方はよく分からなかったので今一度勉強し直そう。でも「名宛人の違い」かあ。上手いこと言うね。スッキリしたよ。
今日は寒いから豚汁を作ろう。アディオス!