hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

一人では授業できない世の中になった

もう一人では授業ができない世の中になったんだな。そんな状況はここ10年ほどの話になるのかな。

 

学習支援員、スクールカウンセラー、理科支援員、いきいきサポート、巡回相談に来る先生、ALT、あるいは保護者などなどが教室に入り、一人で授業をすることは少なくなっている。職員室は机だらけだ。

 

なんでこんな世の中になったんだ?と自問するとテーマが大きすぎてよく分からなくなる。

 

話を大きく変えて、自分が学級担任をしていた時のことを振り返ってみよう。そうすると少しは今の状況が分かるかもしれない。

 

僕は学級担任として目標にしていたことはまず「いいクラス」をつくることだった。「いいクラス」と問われれば、「友だち同士が上手く関わり合えるクラス」と答えていただろう。しかし、人間関係というものは難しい。人と人をつなぐ作業は時間がかかる。こちらが適当なこと言ったりやったりしてもだめだし。

 

ということで、僕がよくしてきたことは、「書かせる」ことだった。児童に「させる」ことを嫌っている僕だが、これだけは、子ども達を追い込んで「させて」いた。何を書かせていたかというと、「今の自分と今のクラス」についてだ。今の自分の現在地(頑張っていること、友だちとの関係で上手くいっていること、いないこと等)、クラスについてどう思っているか、気になる友だちはいないかを正確に正直に書くように指示した。だから、「自分にとって都合の悪いことも書かなきゃだめだ」と言い、児童が書いたものを持ってきても読んでは「ここ、もっと詳しく書いて」と突き返し、また書くということを繰り返した。それから、「『これからは~しようと思います』なんて書いちゃだめだぞ」とくぎを刺しておいた(そんなの嘘に決まってる)。1学期は上っ面のことしか書けない。しかし、子どもとの関係が深まるにつれ、今まで言いたくても言えなかったことを話し合えるようになってくる(放課後1対1で話したり、少人数で話したりしていた)。本音を話すようになった児童が増えてきたところでもう一度今どう思っているか書いてみないか?と持ちかける。その時期を大体10月下旬に設定していた。そして1学期よりも赤裸々にいろいろなことを書いてきた児童たちに、「みんなの前で読んでみないか?」と言う。最初は抵抗するがが、それがクラスを変える大きなチャンスだと理解すると決心して読むことになる。

 

そういう学級会を毎年やっていた。それは、3時間に及ぶこともあったし、次の日に持ち越されることもあった。泣きながら読む児童もいた。でもその時間(みんなの前で自分の思っていることを話す時間)を通過して、やっと風通しのいいクラスになるのだと思っていた。だから、10月下旬から11月上旬がクラスが上向くか下降していくかの分かれ目だと思っていたし、今もそう思っている。

 

そんな学級会が終わった後は、僕にとっても児童にとってもやりやすくなる。3学期は何も言わなくてもいろいろなことがスムーズに進む。僕にとって一番楽な時期が3学期だった(しかし、学級経営が上手くいっていないクラスは、4月に言っていたことを3学期になっても言わなければいけない)。

 

こんな風に思いながら学級経営をしてきたわけだが、今、それができるのか?というと、無理なのではないか?というのが僕の思いである。

 

まずそういう発想をする人がほとんどいない。子どもをそこまで追い込むことはない、と思う先生はたくさんいるだろう。またその時間をどう位置付けるのか?などと(僕にとっては)細かいことを言う人もいる。何よりもまず管理職に打診しなければいけない。それをクリアしたとしても保護者にも理解を得なければいけない。かつて「学級王国」という言葉もあった時代だからこそできたのだ、という意見もあるだろう。でも、差しさわりのない人間関係のままでの心の成長はありえない、と僕は思っている。当たり障りのない学級会(今はクラス会議というのか)をやっても意味はない。

 

一人では授業できないこの現代に、「いいクラスをつくりたい」という僕の考え方はは合わないのだろうか?合わないのだろう。しかし、何かしないとますます先生の顔色を窺いながら過ごす子が増えるんじゃないか?と思う今日この頃である。そんな学級集団からは、学習に対する自発性は生まれてこない。だから勉強させるためにいろんな人が必要になってくるのだ。

 

最初と話は少しは繋がったかな?要するに世知辛い世の中になったということである。

 

                      (ちょっと書き足りないので続く)