とまらなくなってきた

ルー・リードについての記事を書いて以来、僕の頭の中でイギー・ポップジョニー・サンダース、トム・ヴァ―ライン等が「俺のことも書け」と迫って来るようになった。どうしようかな。誰から書こう。

 

やはりここはイギーだろうか。学生時代はルー・リード同様イギー・ポップの歌声を真似して口ずさんでいた。結構似ていると思いながら。でも路上ライブをした時に全力で歌ったら、そんな歌声ではなかった。強いて言えば(かなり強いて言えば)僕の声はジョニー・ロットンだった。

 

イギー・ポップは、ストゥージズのベスト盤(タイトルは忘れちゃった。ファーストとセカンドから選曲されていた)をラジオで聴いて以来、聴くようになった。何といっても「1970」がかっこよかった。「これぞパンクだ!」と思うほど衝撃を受けた曲だった。その後、イギーの過激なパフォーマンスの話も聞き、彼に対する幻想は大きくなるばかりだった。

 

そして満を持して僕が買ったアルバムは、「パーティー」(1981)という作品だった。当時の最新作だったので張り切って輸入盤で購入した。イギーのボーカルは元気一杯だったが、そのサウンドには「?」と思った。普通のロックというか、僕の求めていた「ギザギザ」が感じられない。しかし、これが現在進行形のイギー・ポップなのだ、と自分に言い聞かせてよく聴いていた。あと、このアルバムで感慨深いのは、3曲目の「Eggs On Plate」が後に加入させてもらうバンド「SIDE B」のレパートリーだったことだ。

 

ストゥージズ以来の「ギザギザ」を聴くことができたのは、またしてもバンドリーダーから借りた(もう何度も書いているが何でも持っていた)レコードである「Lust For Life」(1977)と「The Idiot」(1977)だった。曲でいうと「ラスト・フォー・ライフ」「サム・ウィアード・シン」「ザ・パッセンジャー」「ナイトクラビング」「ファンタイム」「ベイビー」等である。ここら辺はルー・リード同様よく歌マネをしたものだ。SIDE Bは「サム・ウィアード・シン」もレパートリーにしていた。この2枚で「やっぱりイギー・ポップだよな」と思った僕は、ストゥージズ時代のアルバムを買い漁っていくことになった。

 

そしてもう一つ忘れられないエピソード(これは前にも書いた)が、渋谷陽一の「サウンドストリート」に鮎川誠がゲスト出演した時にイギー・ポップの「ファイブ・フット・ワン」を紹介したことだ。渋谷陽一が「イギー・ポップで・・・」と言った瞬間、今まで聴いてきた曲が流れるものだと思っていたが、知らないタイトルの物凄くかっこいい曲が流れた。あとで調べたら、「ニュー・バリュース」(1979)の中の曲だった。「ジェームズ・ウイリアムソンちゅうギタリストなんだけど、かっこいいでしょ?」と渋谷に問う鮎川誠はかっこよかった。鮎川誠は木金の「サウンドストリート」に突如現れた異分子だった。この時ばかりは渋谷陽一はゲストに負けていたぞ。

 

これだけイギーに入れ込んでいた僕だが、働くようになってからは全く聴かなくなってしまった。なぜだか僕にはもうイギーは必要ないと思った瞬間があったのは確かだ。遠藤ミチロウの発言も大きかった。彼は、「40,50になっても肉体性を全面的に出しているパフォーマーは無様だ」とイギーのことを名指しで評していた(名指しで批判的な物言いをするのはミチロウにしては珍しい。また、今一度遠藤ミチロウの軌跡を振り返ると、ギリギリまで肉体性を追求していたよな、と思う)。好きな人の発言ですぐにブレる僕は、少しずつイギーを軽視するようになっていった。

 

そんなこんなで、コンスタントにアルバムを発表していることやストゥージズが再結成されたニュースは知ってはいたが、追いかけはしなかった。

 

今、往年のイギー・ポップを流しながら記事を書いているが、沸々と血がたぎって来るのを抑えられない。イギー、いいじゃないか。死ぬまでこのままいってくれ。