hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

流血試合となった授業(ソフト版)

火曜日の5年生の社会は気が重かった。もう僕に残された授業(テストとかじゃなくていわゆる普通の授業)をするエネルギーは限界だったし、5年の授業は3,4限だった。ひとつは「覇気のないクラス」、もうひとつは「授業規律もピシッとしていてやりやすいクラス」だった。どちらかというと前任校(生徒指導困難校だった)と雰囲気が似ているこの学年を僕は嫌いではない。

 

「覇気のないクラス」の方が気が重かったのだが、意外にも最後にはフランクな終わり方をした。正直ホッとした。次はほっておいても大丈夫だろう。そう思った。

 

ところが違った。教室に入った瞬間から何かが違うことに気づいた。何だか緩んだ空気を感じたのだ(そういうのって何となく分かるでしょ?)。案の定授業中も私語が目立つ。「珍しくやりにくいな」と思った僕だが、そのまま目をつぶってやり切ろうと思った。今日はそんな日だと言い聞かせた。

 

農家の人口のうち若い世代が減少していること、70代より上の人の割合が変わっていないことについての学習をしていた。そんな中で誰かが「じじばばばっかりや」と言ったのが聞こえた。周りはそれについて何も言及しない。笑って同調しかける児童もいた。僕にとってはいやな雰囲気だった。

 

そこで僕は目をつぶるのを諦めて言った。「今、『じじばばばっかりや』って聞こえたんだけど」「君たちは担任の先生の前でもそんな言葉遣いをするの?」と問いかけた。途端に空気が変わった。特に強い口調で言ったわけではない。どちらかと言えば穏やかな口調だ。しかし、「hanami先生だからそんな言葉遣いをしてもいいと思ったの?」とたたみかけた。さらに緊迫した空気が伝わってきた。ここがこのクラスの弱いところだよなぁ。こういう言葉を言わないとシャキッとしないところが。怖い先生の言うことしか聞かないのだ。

 

そして、こういう時(児童が許せない言動を行った時)、もう言葉が止まらなくなる時がある。今回はそれだった。「もしかしたら、君たちは先生によって態度を変えているの?そんな人は手を挙げて」と言ったら結構な人数が挙手したので数えたら11人いた。「このクラスは何人?」と聞くと「31人」と答える。

 

「31人のうちの11人が先生によって態度を変えるんだね。大体何分の一?」「3分の1」「そうだよね。クラスの3分の1の人がそうだとしたら多分クラス全体の空気はその人たちが作っていると思うな」「それに手を挙げなかった人達の中には『こんなの(←ふざけた言葉遣いをする人)、おかしい、変だ』って思っている人もいると思うよ」。「今の君たちは『人によって態度を変える』と思われているよ。それってどうなんだろうって先生は思う」とだけ言った。

 

もし僕がこのクラスの担任だったら即刻学級会だった。級外だから、問題が起こったらその時間に終わらせなければいけない。その思いからそれ以上は言わないことにした。

 

授業では学習内容を伝えるのみならず、人としてどうあるべきかも育てたいと思っている僕は、いつでも授業をストップして学級会をする覚悟を持っているつもりだ。人としてどうあるべきか?例えば友だちの発言をすぐに否定しないことや、自分で決断して挙手することを大切にしたいし、困っている友達を嘲笑するような時、友だち同士のトラブルがあった時にどう先生が対応するかで児童が変わると思っている。トラブルは成長するチャンスなのだ。絶対に逃したり目を逸らしたりするのはダメだ。

 

 

 

と、まあこんな一幕があったんだけど、あんまり流血試合っぽくなかったな。昔はお互い血みどろになったもんだけど、今は歳のせいかそんなことにはならないような気がする。向こうはどう思っているかはよく分からないけど。

 

 

そういえば今日のsomewereborntosingthebluesさんの話は面白くて泣けて最後は勉強になった。僕も一つ思い出した。東京にお上りさんとして3つの大学を受験しに行った僕は、3つ目の受験の前日、新宿歌舞伎町を歩き回り、レコード屋さんを探し出し、父からもらった「もしもの時のお金」を全部海賊版レコードにつぎ込んだ。次の日はちきれんばかりのレコードを引きずりながら受験したが、勿論その大学は落ちた。懐かしい思い出だ。