なんか違うんだよなあ

5月20日(金)

 

昨日(木)はギター教室の先生の具合悪くなったということでレッスンはお休みだった。僕は、取り急いで大江慎也の記事を書き、アップした後、リビングで寝落ちしていた。気づいたら妻が夕食を摂っていた。夜10時過ぎのことだ。妻に今日のことを話し、今度は寝室で寝た。再び覚醒してリビングに行くと妻はテレビを観ていた。12時過ぎのことだ。毎日遅くに夕食を摂る妻、2時間ごとに目覚めてしまう僕。そして今は夜の2時だ。うちは一体どうなっていくんだろう。荒んだ生活はいつまで続くのだろう。

 

僕の場合ははっきりしている。躁状態が訪れたのだ。6月2日に計画訪問があるからだ。そう、あの悪夢の計画訪問だ。教育委員会からわんさか人がやって来て僕たちのあら捜しをする日だ。それに向けての指導案作りに四苦八苦している(実はまだできていない)。今日はいよいよ(本気の)締め切りだ。その焦りが僕を躁状態にしていると思われる。今週は珍しくブログに記事を書く日が続いているが、これはテスト前に急に読書がしたくなるとか、部屋のそうじをしようと思い立つあれである(経験ありませんか?)。だから寝てもすぐに覚醒するのだと思う。多分計画訪問が終わった後にぐったりする(うつ状態に陥る)はずだ。

 

 

 

今日(木曜日)は6年生についての会議があった。僕にも参加要請があったので、頑張って定時過ぎまで参加していた。その中で気になったことがあった。

 

まず、現状(児童の様子や担当者が困っていること)を担任から順番に話し合った。相当困っているようだった。僕と教頭も困っていることを話した。その中で英語活動を担当している若手教員が「自分は去年からこの子達を見ているが、昨年度1年で伸びたな、と思っている」という話をした。つまり別に困っていないということだ。「ふーん」と思ったが、会議はこれからどう対応していくか、という話になった。

 

「小さなことでも『当たり前』(ベル着や時間を守ること等)を積み重ねていくこと」「正統派を育てて、その人数を増やすこと」などのアイディアが出された。教頭は「聞くことを大切にしたい」と言った。そのために「今、言ったこともう1回言って」「今の発言で大切な言葉は?」などと児童に問い返していきたいという。僕もこれには大賛成だったのでどの先生もそういう風に関わっていかなければいけないのではないか、と発言した。しかしさっきの若手教員は違った。

 

「僕のモットーは『子どものせいにしない』ということです」「話を聞かないなら、(子どもが興味を持つような)聞きたい話をすればいいと思います」「『もう1回言って』とか子どもを試すようなことはしたくないです」と言った。教頭は「まあ、バランスだよね~」と濁した言い方をしていた。僕は前段のことは大いに賛成だし、自分は今子どもに不満を抱きながら授業をしていると思い、大いに反省した。しかし、後段の話は僕の教育観に関わる話である。何となくモヤモヤしながら家に帰ろうとしていると教頭がやって来て、「大丈夫?」と声をかけてくれた。僕は「大丈夫です」と答えた後、「さっきの〇〇先生の話ですけど…」と言いかけると教頭は「ああ、あれね…」と言った。僕は「言ってることはよく分かります。最初は教師主導でいろいろ子どもに働きかけることは大事だと思います。でもその後、子ども達が自分で考えて行動していけるように仕向けていくのが僕の目標なんです」。教頭は頷いている。「だから〇〇先生には何をどうやって育てていきたいか聞きたかったです」と言うと、「全く同じやわ。私もそう思う」と答えた。

 

こういうのって感覚の問題なのかなあ。教頭とは話が通じる。でももしかしたら若手教員と僕達との間には深い溝がありそうだ。ICTとか時代とともに変わっていく現代のツールはたくさんあるけれど、子どもを育てるっていう根幹のところは、そんなに変わらないんじゃないかな、いやむしろ変えちゃいけないんじゃないかなと思った次第である。こういう溝は教育現場だけでなく、今日本のいろいろな所で起きているのだろうか。

 

その若手教員は、仕事は的確で速い。喋りも上手い。でもなんか違うんだよなあ。勿論年齢差があるから違って当然だが。そして体力気力情熱のない老兵は去るのみだとは思う。あーせめて授業力がもうちょっとあればなあ。

 

 

金曜日の帰り際にやっと指導案を提出した。過去1,2を争うくらいソウルのない内容だった。