hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

事実だとしたらこわいが・・・

何が事実だとこわいのか。それは「今までのような仕事に対する情熱がなくなったのではないか」ということである。

 

何を根拠にそんなことを言うのだ、というのと、仕事への情熱ってそんな必要なものか、という内なる声が聞こえてくる。

 

何を根拠に、と言われたらまずはこのブログである。最近ほとんど、というか全くと言っていいほど、教育に関することを書かなくなった。日々仕事をしているのに、これを書きたい、と思うことがない。つまりはそういう授業をしているのだ。ああ、恥ずかしい。

 

僕は今、4,5,6年の社会科を担当している。このことも大いに関係している。昨年を含めてここ4年間は、何らかの形で算数科に関わってきた。自分としては、算数科の授業で腕を磨いてきたつもりだし、授業そのものが楽しくもあった。児童の反応を予想するのも楽しかったし、それをもとに教材を作るのも楽しかった。何よりそうやって準備して臨んだ時の子ども達とのやり取りが楽しかった。それが今年はない。普通は汎用性というか、ある教科の授業の腕が上がると、他の教科にもよい影響が出る。しかし、社会科でそれはなかなか難しい。

 

特に6年は難しい。新学習指導要領では、4月から公民(政治まで)を学習し、6月から歴史の学習に入ることになった。歴史の学習に入ってから、僕も子どももガクッと、意欲が下がった。なぜかというと「教え込み中心の授業」をするようになったからである。僕はいかに効率よくその時間に学ぶべき学習内容を伝えるか、ということばかり考えている。問題は発問だ。1時間通して考える価値のある発問が今のところどうしても思い浮かばない。

 

5年生は、昨年算数科を担当していたこともあり、当初はやりやすかった。しかしだんだんやりにくくなってきている。原因としては、それぞれのクラスの色が出てきたこと、級外として社会を持つからクラスに触る(学級経営に関わること)のは無理だということ、担任じゃないということで息抜きの時間にしている子が多いということが考えられる。まあ、特定の子だけど、5,6人は常に発言する子がいるので、その子達を軸に何とか授業を進めている状態だ。もっと、多くの子を巻き込みたいというのが、今の僕の課題である。

 

4年生は、当然のことながら5,6年生より幼く感じる。その幼い部分が級外の授業になると思いっ切り出る。各クラスに授業に参加しない(できない)子が複数人いる。そして5年生以上に発言する子が決まっている。僕は今年初めて持つ子どもたちなので、僕の価値観を伝えるところから始めなければいけなかった。今もそんな状態だ。なかなか学習する集団になっていかないのが現状だ。

 

 

このように、3学年ともそれぞれ課題がある。その課題に向き合うパワーが今の僕には残念ながらない。そのことで落ち込むことがよくある。これが「もう自分には仕事に対する情熱はなくなったのかな?」という最初の言葉に繋がる。

 

そしてもう一つの問い「仕事の情熱ってそんなに必要なものなのか?」はどうだろう。僕は今まで、「やる気ないなー。仕事辞めようかな」と思ったことは一度もない。それが、昨年度、今年度とそう思うことがしばしばあった。今も何となく思っている。しかしながら経済的にもこの仕事を辞めるわけにはいかない。となると「情熱なく仕事を続ける」か、「今までやり過ぎだったんだよ。少し緩めてみようぜ」と考え方を変えるしかないのかな、と思ってしまう。

 

ちょっと前までは、「情熱なくしてこの仕事はやっちゃいけないだろ?もちろんじゃん」と思ってきた。だから今はそうじゃない自分のことが残念でならない。

 

とはいえ、目の前に困っている子どもがいて、僕が少しでも力になれるのなら、ガッツを持ってその子と関わることになるだろう。それについては自信がある。

 

あれかな、要するに自分は必要とされていない感が強いのかな?だとしたら、ちょっと考え直さなければいけない。先生という人種はいろいろな意味でプライドが高そうだから、僕もそういう面が多分にあるのだろう。出世欲とか興味はないんだけど、いい授業をしたいという欲は強い。粛々とそういう授業を目指せばいいのだが、やはり誰かからの評価が欲しいのだろう。我ながら邪魔くさい。

 

出世欲といえば、昔サカグチ先生から「あなたもいずれは管理職になるんだし。それともマチダ先生みたいに授業の神様になる?」と言われたことを思い出した。(←前に書いた)しかし、僕は病気になり、管理職になるという所謂出世の道はなくなった。その時は心の底からホッとしたことを思い出した。もっと昔のことで言うと、大学を留年した時だ。「もう優等生じゃなくてもいいんだ」と心底ホッとしたのも思い出した。ホントに社会的に認められる(責任ある立場に立つ)ことを嫌っているんだな。そして嫌なことはホントにやらない性格なんだな。

 

 

今は別に授業のプロになったわけじゃあないが、それなりに(今まで培ってきた)反射神経で授業はできる。それでいいじゃないか。情熱が湧いてきたらその気持ちのまま動けばいいし、湧いてこないのならそれもいい。しがみついてでも教職を続ければいいじゃないか。今日は、そういうことにしておこう。あー、鬱陶しい。やっぱりしばらく教育ネタから離れよう。