hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

みうらじゅんといとうせいこう

みうらじゅんいとうせいこうといえば、「見仏記」である。「ザ・スライドショー」である。あなたは、自分をどちらかに置き換えてみたことはないだろうか?「自分はみうらじゅん系?それともいとうせいこう系?」と。

 

大雑把に言うと、みうらじゅんは「天然」、いとうせいこうは「冷静かつ客観的」じゃないか、と思われる。まあコンビを組んだ時点で自然に役割分担ができたのかもしれないけれど。

 

僕はどっち系だろう。妻に聞いたら間髪入れず「天然系」と言われた。そうか、俺はみうらじゅんか。でもそうかもしれない。いとうせいこうの文章とかテレビでの様子を見ると憧れてしまうもの。

 

「見仏記」もいとうせいこうがいなかったら成り立たない本だしな。

 

もう「見仏記」文庫本を10ページも読んだら、みうらワールド全開で、その様子を克明にいとうせいこうが書き記している。そんな調子でいろいろな仏像を見て回るのだ。「天然」なのにみうらじゅんは、こと仏像になると見るコースなどを仕切りまくる。それについていくのにいとうせいこうは必死である。写経してみるよ。

 

~「興福寺、まず最初は興福寺。もう仏(ブツ)が目白押しだから。それにね、いとうさん」

カメラを片手に持って、みうらさんはまた耳元に口を近づける。そして、ポン引きが女をすすめるような感じでささやく。

「阿修羅がいるよ」

これには笑った。阿修羅が«ある»のではない。みうらさんにとっては、«いる»のだ。~

 

もうこれだけで、この本の面白さは理解できるはずだ。しっかし「いとうさん」は大変だったろうな。「みうらさん」は名言連発だもの。ホテルへ帰っても寝られなかったんじゃないかなあ。メモしなくちゃいけないことがたくさんあって。

 

みうらじゅんも負けてはいない。得意のイラストで(そりゃそうか)、仏像の魅力を語る。そしてこう言うのだ。

 

~「ボクの考える仏像たちはミュージシャンである。彼らは極楽浄土からやって来て、お堂でコンサートを開いている。彼らはみなスーパースターで老若男女の心をつかんで離さない。カッコイイ!!」~

 

そしてメイン・ボーカルは薬師如来だそうだ。警備にあたるのは四天王だそうだ。ファンは「金剛力士にゾッコンよ」と言っている。

 

このコンビネーションが功を奏して「見仏記」は売れた。シリーズ化された。突然寺を訪れる人が増えたかもしれない。住職はどう思ったのだろうか。

 

いとうせいこうのことだが、まだ言いたいことがある。それは、「なんだ、『いとうさん』、それじゃあまるで『みうらさん』じゃないですか」ということだ。

 

何故そんなことを思ったかというと彼の著書「ボタニカル・ライフ」を読んだからだ。これはある日ふと植物の暮らしにハマったいとうせいこうの、いい加減なような熱心なような「ガーディナー」ならぬ「ベランダー」としての暮らしを綴ったエッセイ集だ。この書きっぷりが面白い。

 

事の始まりは、ホームページに好き勝手に書いた文章からだった。植物生活を楽しんでいる様子が伝わってくるが、これを読むとまるでみうらじゅんが乗り移ったかのように思えて笑える。

 

乗り移ったみうらじゅんを本来のいとうせいこうが観察して書いているかのようだ。僕はゲラゲラ笑いながらこの本を読んだ。特に「シャコバサボテン」と「日日草」の項は笑いが止まらなかった。

 

となると、みうらじゅん、恐るべし、という結論になるな。