みんな頑張っていたよ 1組編

今日火曜日の5限目に「本当の頭のよさってなんだろう?」のグループ発表をした。どの子もとても頑張っていた。何よりも僕の投げかけた命題を真摯に受け止め、考え、そして今日みんなの前で堂々と話していたことが素晴らしかった。どんなことを話したのか少し意訳して紹介しますね。

 

最初に紹介する児童は男子で、どちらかというと静かなタイプの子である。その子が訥々と自分の考えを話す姿は僕だけでなく友だちにも感銘を与えたようである。

 

「努力をすることが出来る」ことが「頭がいい」。

 

努力が出来るということは、ずっと頭が良くなり続けて、その頭脳もキープ出来るということだし、そもそも努力をしようとして、努力出来るということ自体が、「頭がいい」ということだと思いました。

 

僕が「生まれつき頭がいい」という意味を選ばなかったかというと、それだと、もし運動など苦手なことがあった時に、どう乗りこえるかという方法も知らないし能力もないからです。でも努力ができればどんなことでも乗りこえる方法を知ることができるし、能力もついていきます。

 

僕は「不完全な才能」より、「確かな努力」の方が本当に頭がいいと思います。ですが、別に才能のある人が努力をしないわけではありません。才能がある人も欠点があると先ほど言いましたが、もしその才能がある人が、自分の欠点と向き合い、その人も努力することが出来る人になることで、その欠点も改善でき、さらにこの先行き詰った時も努力をする方法も能力もついているので、才能もある、そして努力もできる人になることができます。

 

「完璧な人間なんていない」という言葉がありますが、「努力は裏切らない」という言葉もあります。努力もすれば欠点もなくせるようになると、ぼくは今回のことをふまえて思いました。

 

 

次に紹介するの児童も、どちらかというと授業では物静かな女子である。しかし読書を好み、自分の考えをしっかり持っている子である。

 

「詩を理解することができる人」が「頭がいい人」。

 

作者の伝えたいことや作品に出てくる人物の気持ちを考えられること。それは相手の気持ちを考えられることに繋がると思います。

 

「詩を理解する」ということは、詩という短い文を読んで色々なことを想像できるということです。それは例えば俳句や短歌、国語の物語でも同様です。

 

谷川俊太郎さんの「生きる」では、「あなたと手をつなぐこと」とあります。それは、その人と手をつなぐことでぬくもりを感じられるから「生きている」という考え方もあります。

 

人それぞれ考え方は違いますが、それをどう考えるかが重要だと思います。そういうことが「頭がよい」ということに繋がるのではないでしょうか?

 

例えばみなさんは話し合いで1人が違う意見を出したとします。するとみんながその意見に考えが傾いてしまいました。でもそんな中でたった1人、最初の意見のままの人がいたとします。そんな時みんなはその人をどう思いますか?そういう時にさっき言った相手の気持ちを考えられるということが重要とされるでしょう。

 

だから、「詩」という短い文だけでもそれを理解できるということでたくさん広がっていくということがあるから「頭がいい」ということに繋がると思いました。

 

 

 

どのグループの発表が終わっても盛大な拍手が送られたし、話を聞いている途中思わず「お~」「うんうん」と言った声が聞かれた。送り手側としても受け手側としてもよく頑張っていたと思う。

 

 

 

子ども達が今、本当に今日のような考えを持って生き続けるなら、きっとそれを傷つけられる日が来る。だけど、自分の考えを捨てないで傷つけられながら、磨かれていつかピカピカに光るダイヤモンドになってほしい。

 

「実はダイヤモンドの表面は傷だらけだ・・・。人もエッジの効いた人は必ずどこかでハードな経験をしている。その困難は自らの夢の実現のために積んだ鍛錬や試練かもしれないし、自分が望んでいない貧困や災害、病気かもしれない。だがそうした苦難の一つ一つが細かい傷を伴いつつ磨かれ構成され、人を形つくっていく」ダイヤモンドを作っている企業の人材開発室の人の言葉だ。

 

 

ジョンもそうだったじゃないか。傷つけられることで磨かれ、途方もなく美しいダイヤモンドになったじゃないか。