hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「水に似た感情」中島らも 再読

ふと夜中に目覚めて本棚を覗いてしまった。魔が差したんだ、きっと。そうしたら中島らもの「水に似た感情」(文庫本2000年刊)が目に入ってしまった。「おおっ!」と思った僕は早速それを手に取り、寝床に戻った。何年振りだろう。確か発病する前に読んだはずだ。今読むとどう感じるだろう。と思いながらパラパラページをめくった。途中で何となく怖くなってそっと本を置いた。

 

読んでも大丈夫かな、俺。というのが頭をよぎったのだ。主人公モンクが躁鬱病だからだ。

 

この本でモンクは2回バリを訪れる。その1回目がもう躁状態真っ盛りで大変なことになっているのだが、そこを読むのが怖い。次にどどーんと鬱状態になるのだがそこも読みたくない。じゃあ読むなという話だが、物語としてはとても面白い。今読んでどうなるのか実験してみるか。3連休だし、それくらいの元気はあるかな。

 

一応簡単なあらすじだけ紹介すると・・・

 

人気作家のモンクは、友人たちとテレビの取材でバリ島を訪れる。撮影はいろいろなことで難航するが、モンクの躁状態のパワーで何とか乗り切る。帰国したモンクは鬱状態を乗り越えて親しい友達を誘い、プライベートで再びバリ島を訪れる。

 

という話だ。

 

前半部分の感想。

 

レベルが違い過ぎるが、やはり僕とモンクの症状は似ている、と思った。躁状態の時はいろいろなものが「見える」。そしてそれをそのままにはしておかない。ではなくておけないのだ。この話では、スタッフの手抜きぶりを1日目で見抜く。その後、モンク自身が仕切りまくって(「地獄のミーティング」の場面は白眉だ)、周りの人間を動かして(声をかけながら、育てながら)番組を作っていく様が小気味いい。いいんだが、そのキレのよさに不吉なものを感じる。やりすぎなのだ。折り合いの付け方(付けさせ方)が性急すぎるのだ。勿論モンクの言っていることは正しい。しかし正しいが故に不満分子を作ることにもなりかねない。この話では幸いにもモンクの力が圧倒的過ぎて言われた方(スタッフ達)は不満を持つどころではなかったが、この調子が続くと敵は多くなりそうである。というのが前半の感想。しかし、「地獄のミーティング」の後、モンクは一人泣くのだった。怒りと悔しさで。そこら辺の気持ちはよく分かる。

 

「見える」というのは一種の「視野狭窄」だ。「見える」ものに対して徹底的に対抗する。いや、対抗する自分を抑えられないのだ。スタッフたちへのモンクの容赦ない言葉は、そうせざるを得なかったからだ。容赦ないのは本人も分かっている。それは本人にとっても辛いことなのだ。大変不遜な話だが自分とモンクを重ねてしまったよ。

 

前半部分を読んだだけで疲れてしまった。今日はこれ以上読まないことにしよう。

 

 

                                                                                                                    (続きそう)