hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

苦肉の策

ブログ活動を1年半ほど続けている。その間、ほとんど毎日ブログを書く日々が続いた。今思えば、これは一種の躁状態であったのかもしれない。他の活動、例えば仕事やプライベートではそうでもなかったのに。しかしブログ活動における僕の躁状態は一旦終わったようだ。とはいえ、文章は書き続けたい。というわけで僕が編み出したのは、「追記」あるいは「リライト」だ。初期のブログの記事は500字くらいで終わることが多かった。形式も文章の書き方も今のようではなかった。文体や体裁を直し、内容をもう少し膨らますことはできないものだろうか。苦肉の策である。今日は「追記」に挑戦してみよう。

 

記事は「0ではなく1」というタイトルである。こんな文章だ。

 

 

「僕は、大体朝4時前後に記事を公開している。7時に朝食を摂ってアクセス数を確認すると、僕が記事を公開したすぐ後に、1人アクセスしてくれていることが多い。遅くとも午前中にはアクセスしてくれているようである。同一人物かは分からないが。「1」という見えるものがあるが、その人の顔も性別も分からない。それでもこの日本に僕のブログを訪れてくれる人がいるんだと思うと、たまらなく嬉しくなってしまう。世の中には、とんでもない数のアクセスがあるブログがたくさんあるだろうに。その1人がいるおかげで、僕はこうやってキーボードをたたいている。いつも見てくれて、本当にありがとう。嬉しいです」

 

 

 

そうか。僕は朝4時に起きてたんだ。いやあ懐かしい思い出ですなあ。そしてここに書かれている気持ちは今も変わっていないな。現在僕のブログに読者登録をしてくれている人は30人である。さ、さ、さんじゅう人?たったのそれだけ?と思われる方もいると思うが、僕には十分すぎる数である。30人っていったら1クラスだよ。それだけの人が僕の文章をまぁ、毎日ではないにせよ読んでくれているわけだ。しかも読者登録までしてくれている。こんな嬉しいことってあるだろうか?

 

 

昔、村上春樹はだんだん売れる本の数が多くなってくると読者の顔が見えなくなってきて恐ろしい、というようなことを書いていた。それがピークに達したのは「ノルウェイの森」からだろう。その後、村上は海外へ行った(逃亡した?)。戻ってきた(これた)のは何年も経ってからだ。

 

顔が見えないと言って慄いていた村上が何をしたかというと、読者とメールで関わるという活動だった。これは作家としてとても優れた、そして勇気のいる行動だと思ったし、今でもそう思う。来たメールを全部読んで、そのうちの結構な数の返信をしているのだ。自分に批判的なモノや、なんだこれ?というものもあった。しかし、村上は(ほとんどのメールに)丁寧に、そして時にユーモアや茶目っ気が感じられる返信をしていた。あれですよあれ、通知表の所見欄を僕は思い出してしまったよ。どんなメールに対する答えも、読んでいて気持ちがいい。それが1冊の本になったのだ(結局何冊になったのかな?3冊くらいかな)。すごいよ。全く。しかし、そうでもしないと読者の顔を見る(知る)ことができなかったのだろう。村上春樹にとっては切実な(&面白がれる)行為だったのだろうと思う。

 

僕のブログにもコメントしてくれるありがたい人がいる(最近すぐに返信できなくて申し訳なく思っているけど)。どのコメントからも「顔」が見える。スターもつけてくれる人がいる。時に辛口で「ああ、今回は今イチだったか」と思ったり、「おぅ、こんなにたくさんスターをつけてくれている」と嬉しく思ったりする。

 

何にせよ、毎日ブログを書かなくなった今でも、ありがたいことに僕の記事にアクセスしてくれる人がいる。こういうのを「幸せ」というのだろう。自分のために書き始めたブログだったが、いつしかそれだけではなくなっていることに最近気づいた。すこ~し「読者」というものを意識して書くようになったのかな。

 

 

 

 

「追記」はなかなか難しいな。まあ、できることをやることにしよう。チャオ。