こんなことを深夜2時から考えるなんてどうみても躁状態だ。そう思うんだけれど、実はよく分からないんだよね。自分が今、躁なのか鬱なのかその中間なのか。
プロフィールにも書いてある通り、僕は双極性障害である。俗にいう躁うつ病である。初めて病院に行ったのが2007年の秋だった。あれから16年が過ぎようとしている。はっきりと診断されたのはセカンドオピニオンを求めて行った精神科でだった。
あの時医師は診断名を言った後に、「まあ、カントもそうだったらしいですからね」と言った。しかしその言葉は中島らもの本にも書いてあったことを知っていた。らもも怒っていたが僕もカチンときた。「俺はカントじゃない」と。
その後、医師を変えて現在に至っている(3人目)。今の先生との付き合いが一番長い。その先生に訊けば僕の状態がどうであったのかはある程度分かるのだろう。でもそんなことは怖くて聞けない。自分で思い返した方がまだましである。
それで自分の16年を思い返してみようというのが今日の記事である。こういうことは以前にもしたよな。どうしてだか、心が弱っている時に過去を振り返る傾向があるようだ。
2007年に病院(心療内科)に行った時の僕は、明らかに鬱状態だったと思われる。ちょっと思い出せることを年表にしてみよう。
2007年度:6年担任。大変なクラスだった。僕は戦い続け、秋にガソリン切れになった。
2008年度:5年担任。頑張ったが、昨年度の疲れが響き、夏から12月まで初めての病休を取る。この年「双極性障害」と診断される。
2009年度:4年担任。異動希望を出したが異動はできなかった。保護者と児童とのトラブルに悩まされ、3学期は地獄だった。
2010年度:学校を異動した。初めて担任を外れ、算数少人数というポストに就く。毎日5時間、週25時間、算数の授業をし続ける。正気の沙汰じゃなかった。
2011年度:特別支援学級担任になる。この年の夏、2回目の病休を取る。
2012年度:学校をわずか2年で異動。異動の原因は僕と教頭のトラブル(だと思われる)。夏に3回目の病休を取る。特別支援学級担任。
2013年度:この年に赴任してきた先生に助けられ、夏を乗り切る。その後も5年間病休を取らずに勤務することができた。特別支援学級担任。
2014年度:特別支援学級担任。
2015年度:特別支援学級担任。
2016年度:特別支援学級担任。
2017年度:生徒指導担当になる。
2018年度:算数少人数担当。2015年から大変な学年と関わってきた。
2019年度:学校を異動。算数少人数担当。教務、教頭と上手くいかずに7月でダウン。そのまま病休、休職。今思えばそれまでの4年間の疲れも蓄積されていたのだろう。
2020年度:算数少人数担当。コロナ騒動で夏休みがなく、結果的に病休することはなかった。
2021年度:主に社会科を担当。夏に病休。
2022年度:主に社会科を担当。夏に病休。
2023年度:主に社会科を担当。夏に病休。
もし、躁状態と鬱状態が数年単位で訪れるとするならば、2007年度から3年間は鬱状態で、2010年度から9年間は躁状態で、2019年度から5年間は鬱状態ということになりそうだ。しかし年単位で躁と鬱が訪れるものなのか、そこがよく分からない。月単位でも週単位でも、何だか突然躁のスイッチが入ることがよくあって、その度に後悔したものだ。僕の場合スイッチが入る時というのは、会議等で(ちょっと過激な)発言するという行為に走ることである。
ブログ活動はどうだろう。2019年の年末から始めたブログ活動は年間300回くらい記事を書いている。これは鬱状態の時には書けないだろう。そう思うと、今の僕の状態は躁状態とも言える。大体深夜に起きてこうして記事を書いていること自体異常である。
だから現在の僕は、仕事面では鬱状態、プライベートでは躁状態、ということになる。そんなことあるのかな?そこがよく分からない。もしかしたらこの状態こそが躁と鬱の間なのかもしれない。
ここまで書いてから、このままではいかんと思い、もう一度寝室に行った。少し眠ることができたが、午前中はもう気持ちが落ち込んで落ち込んで最悪だった。やはり授業が上手くいかないと気持ちがどんどん下がっていく。2クラスのうち1クラスはまあまあだったから良しとすればいいのだが、上手くいかなかった方をグダグダ考えてしまう。
とか思っているから5,6限もグダグダだった。授業改善の糸口が見つからないのがツラい。今日はひたすら悲しい1日だった。
さてと。家に帰って来たぞ。気持ちは沈んだままだ。でもシャワーと洗濯はしたぞ。ホントにツラい時はシャワーをするのも億劫だからまだ最低ラインまで落ちてるわけではなさそうだ。
こんな話ばかり書いててもしょうがないんで、音楽のことも書き留めておこう。
最近僕はマイルス・デイヴィスを聴く時間が多いが、これに対抗できるロック・ミュージシャンはいるだろうかと考えてみた。今のところの僕の答えはジェフ・ベックの「ワイアード」(1976)である。とは言うものの、これはフュージョンというかジャズ寄りというかそんな作品だしなあとも言える。まあそんなことは気にせず、ジェフのギターに耳を傾けようじゃないか。
メンバーはナラダ・マイケル・ウォルデン(ドラムス、ピアノ)、エド・グリーン(ドラムス)、ウィルパー・バスコム(ベース)、マックス・ミドルトン(クラヴィネット)、ヤン・ハマー(シンセサイザー)、リチャード・ベイリー(ドラムス)である。
僕は、ヤン・ハマーしか知らない。しかし、1曲目から骨太のドラムスとベースが轟いてまず驚いた。そこにジェフ・ベックのギターが果敢に挑んでいく、みたいに聴こえる。まだあんまり聴いてないけれど、やはりレコードで聴くとリズム隊に耳がいく。やっぱり基本はドラムスとベースですな。
ヤン・ハマーが絡んでくるのは正直あんまり面白くない。ナラダとウィルパーのリズム隊でガンガン曲を進めていって、そこにガーンとジェフ・ベックがギターで畳み込む曲が好きだ。
この作品を聴くことになったのもレコード効果だろう。そうじゃなかったら一生聴かなかったに違いない。きっともっともっと聴くことになるアルバムである。その時にまた記事を書きたいものだ。
あとはわけの分からなさで言えば、ジミ・ヘンドリックスがマイルスに対抗できるんじゃないかな。これは宿題である。もっと聴かなきゃハッキリとしたことは言えない。でもマイルスがジミと共演したがっていたんだよね、確か。実現する前にジミは死んじゃったんだけど、共演したら大変なことになっていたことだろう。
さあ、明日はどうなるかは今は考えないで、この記事をアップしたら何か気持ちの良いことをしよう(こういう時のアルコールは危険なのでそれはやめとく)。リセットしなきゃやってらんない日もあるよね。
それでは、おやすみなさい。