hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その14 ~勝手に同志だと思っていた~

もう書いてもいいかな?僕が憧れていて好きだなぁ、と思っていた人のことを。その女性と初めて会ったのは、僕が25歳くらいの時だった。その頃講師をしていた僕は、2年間勤務していた郡市から離れて新しい市(居住地より南に位置する)に勤務することになった。2年間も同じ地域で働くと、それなりに知り合いもできるし、仕事にも段々慣れてきたけれど、また新しい土地に行かなければいけなくなった僕は不安というか正直億劫だった。

 

その学校は今勤務している学校なんだけど(何と3回目の赴任である)、最初(4月1日)は級外としてやれ、と校長から命じられたけれども結局は3年生の担任をしろと言われた。4月から何でこんなゴタゴタしてるんだ、と心の中でブツクサ言いながら荷物を持って移動すると、「よろしく~」と言ってくれた人がいた。それが今回登場する「アユミさん(仮名)」(←みんなが彼女のことを下の名前で呼んでいた)だった。あまりの美しさに僕はクラクラした。その感動は彼女が幾つになっても変わることはなかった。

 

しかしアユミさんは、美しいだけではなかった。仕事が「バリバリできる」スーパー講師だった(特に図工と国語)。アユミさんも僕と同じ講師だったのだ。しかも同い年だった。みんながアユミさんに一目置いていた。僕も勿論一目も二目も置いていた。アユミさん自身も自分に自信を持っているようだった。しかし、その姿はちっとも嫌味には感じられなかった。「できる」アユミさんにネチネチ嫌味を言う人もいたが、彼女はそんなことおかまいなしで自分のやりたいことをガンガンやっていた。僕はアユミさんを見るたびに「自分」というものを持っていない自分に情けなさを感じていた。と同時に強烈に憧れるようにもなった。

 

そんなアユミさんだったが、結局教員採用試験には合格せず、スーパー講師のまま教職を続けていた。一方僕は合格し、教職を続けていた。僕とアユミさんが再会したのは、40歳を過ぎてからだった。相変わらず美しかった。僕は研究主任になっていた。正直アユミさんに何を言われるか(ツッコまれるか)不安だった。でも僕にいろいろ質問をしたり、一緒に考えたりする関係になった。僕の授業や研修会での発言を評価してくれているようでもあった。だから自分では勝手に同志だと思っていた。

 

そして数年が経ち、今度は僕がアユミさんが勤務している学校に行くことになった。その時はお互いの授業を見たり、僕が出していた便りを読んでもらったりして充実した時間を持つことができた。

 

その後、お互いに異動して音信不通になっていたが、ある時研修会で一緒になる機会があったので、少し話すと突然泣き出したのにはびっくりした。どういうことかと言うと、アユミさんは現在特別支援学級の担任をしている、その学級に在籍している児童は大変手がかかる、そう言われたので僕は「それは学校の職員全員で見ていかなきゃいけないだろ」と言ったら「全然そうじゃない。全部私だけに被せるの」と言って泣き出したのだ。あのアユミさんが泣くなんてよっぽどのことだと思った僕はオロオロしたが、心配する以上のことができなくてとても残念だった。その後学校を異動したと聞き、少し安心した。

 

月日は経ち、ある日LINEを見たら何だかよく分からないがアユミさんの名前がある。早速僕はメッセージを入れた。ここからが本題である。差し障りがある部分である。初めてメッセージを入れたのが2019年1月19日である。

 

hanami「アユミさん、元気?〇〇小、どう?」

アユミさん「お~、〇〇ちゃん(彼女は僕のことを下の名前で呼んでくれていた)〇〇小いいよー。若い人が頑張ってる。子どもは落ち着いている。来年度来ない?」

hanami「情報ありがとう。異動の第2希望にしたよ」

 

アユミさんは講師としてではなく、プリントを印刷したり教材を作ったりする業務をしていた。大きな病気をしたと聞いていたのでそれも仕様がないか、と思った。

 

アユミさん「私、残るかもよ~来て来て~」

 

結局僕はその学校(つまり今の勤務校)に行くことになったが、アユミさんの方が異動してしまった。

 

2019年4月29日。

hanami「職員室の前3人が耐え難いんだけど、あれは前からそうだったの?」

アユミさん「クセあるよねー。悪く言えば意地悪。ストレートに言わず、回りくどく嫌味を言ってたけれど、本人はあまり気にしない感じだったけど 元気?」

hanami「授業は楽しいよ。一人で部屋に籠って授業頑張るわ」

 

2019年5月15日

hanami「アユミさん、こんばんは。hanamiです。残念だが、今年度は確実に病休をとることになると思います。今まで(病休をせずに)積み上げてきたのに無念です」

アユミさん「えーっ!〇〇小はダメか!!安らぎは無いの? 私も5月で辞めることにした。薬の副作用で口が痺れて上手く話せない。オマケに字がミミズみたいになる。今まで出来ていたことが出来なくなり、ストレスが溜まる。自分らしく生きたいから残りの人生は楽に生きる!」

 

これを読んで僕はビックリした。薬?副作用?口が痺れる?大変だ。何て返信しよう。僕はありきたりなことしか言えなかった。自分のことを少し書いて「アユミさん、体ほんとに大事にして。ほんとに」としか書けなかった。

 

2019年7月20日

hanami「hanamiです。久しぶり。先週から病休に突入しています」

アユミさん「7月1,2,3日に脳腫瘍のガンマナイフした云々(現在の病状を赤裸々に語ってくれた)」

 

という返事が来た。僕はまたしても打ちのめされた。人間関係で潰れて学校を休んでいる自分が恥ずかしかった。最後にメッセージのやり取りをしたのは2020年1月30日だ。

 

hanami「アユミさん、元気か?俺は夏から病休休職してます。今週から復帰プログラム開始でした。どうなるか心配…20㎏痩せたよ」

アユミさん「元気だよー 今週から忙しいね。痩せた〇〇ちゃんに会いたい!云々(自分の病状を赤裸々に語ってくれた)」

 

という返信が来た。最後に僕はアユミさんに会いたいと書いたが、車に乗れないからとやんわり断られた。自分の姿を見られたくなかったのかもしれない。これがアユミさんとの最後のLINEになった。その年の春頃だったかな、彼女が亡くなったことを知った。

 

一緒に教員採用試験に行ったこともあった。同じ学年の実習生(担当教諭に嫌味を言われていた)を慰める会をやりたいからとアユミさんにけしかけられて、実習生に「飲み会をしよう」と誘ったこともあった。「量分数と割合分数の違いって?」と質問されたこともあった。太った僕のお腹を人前で堂々と触り、「〇〇ちゃん、太り過ぎ」と言われたこともあった。アユミさんの死を知ってしばらくの間、僕は彼女のいない喪失感に悩まされた。

 

実質彼女と一緒に働いていたのは通算して4年ほどだろうか。同じ学年を組んだことは最初の3年担任の時だけだった。でも、何だろう、さっきも書いたように彼女とは同志、みたいな気持ちを抱いていたことは確かだ。同じ年齢だったのも大きい。お互い切磋琢磨しようぜ、という関係だったと僕の方では勝手に思っていた。

 

知り合いの死を書いたのはこれで2度目だ(1回目は従妹)。自分が生き続ける限りこういう事態はこれからも来る。僕にとって大切な人がもうこの世にいないんだ、と思うことは何だか悲しい、というより不思議な感じがする。

 

今日はこのことを書き留めておきたい気持ちだった。大丈夫だったろうか?彼女に失礼な文章ではなかっただろうか?と自問しながら今日の記事を終えることにしよう。