hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

絶交って言ったら…もう会わないってことだよな

今日書きたいと思ったことは割とヘヴィな内容である。だが昨日から何となく書きたい気持ちが湧き起こっているので挑戦してみよう。

 

僕には18歳から35歳くらいまで、割と濃密に付き合ってきた友だちがいた。仮にSと名付けておこう。Sとは35歳くらいにあることがきっかけで疎遠となった。はっきり書くとタイトルにある様に僕が「こりゃ絶交だな」と思ったのだ。それ以後彼と会ったのは1回だけだ(42歳頃かな)。仕事の関係(研修会で同じグループになった)で会っただけなので、別に会話をしたというわけではない。

 

Sと初めて出会ったのは高校3年生の2月だった。同じ大学を受験することになった僕は、体育の実技試験があるっていうんで体育教師に召集されて毎日マット運動やらバスケットボールの練習やらをさせられていた。そこに同じ教育学部志望のSがいたというわけだ。「キツイな」とか「これどうやればいいん?」とか軽く会話を交わすようになって、だんだん仲良くなっていった。

 

目出度く大学受験に合格した僕らは、同じクラスに配属された。彼は電車通学が難しい地域に住んでいたので4月から下宿生活を始めていた。友達の輪も段々広がり、Sの下宿は僕達のたまり場になっていった。僕達はそこで音楽の話をしたり女性の話をしたりしていた。彼は何故かは分からないが、僕のする音楽の話に刺激を受けたようで、僕に「これ、すごいと思うんだけど」と録音したカセットテープを聴かせてくれるようになった。覚えているところではオールマン・ブラザーズ・バンドの「フィルモア・イースト・ライヴ」とブルース・スプリングスティーンのセカンドアルバムかな。「デュアン・オールマンのこのギターソロは凄い」とか「ブルース・スプリングスティーンは必ずヒットする」とか今思えば結構鋭いことを言っていた。プリンスも僕が「ホエン・ダブズ・クライ」しか聴いてない時に「パープル・レイン」を紹介されたかもしれない。ちょっと悔しかった僕は色々言われても「そうだね」と言って受け流していた。今思えばこの頃から少しずつ僕の彼に対する傲慢さが態度に表れ、また同時に彼の卑屈さも引き出していた、のかもしれない。

 

その後、僕もアパート暮らしになったので、Sとの行き来は激しくなった。と同時にアパートで暮らすようになった僕は自由を満喫し過ぎて大学に行かなくなった。久しぶりに大学に行ってもどこか居場所がない。何となく今まで交流のあった友だちから馬鹿にされていると感じた僕は思い切って4月から築いてきた友だち関係を全部チャラにすることにした。無気力時代の始まりである(←高校時代にもあった)。当然Sとの関係も解消しようとした。その時意外にもSの方から「hanami、俺を見捨てないでくれ」みたいなことを言われた。それ以来はっきりと精神的に自分の方が優位だという意識を持って彼と付き合っていたのだろう。だから後に彼から僕を否定するようなことを言われた時には驚いた。傲慢だったんだな、きっと俺は。

 

ディスコにも2人でよく行った。女の子をナンパしたことよくもあった。何だか僕に気があるというか、ワン・ナイト・ラバーになってもいいよっていう空気を出す女の子もいたので、それでは、と自分のアパートに連れて行こうとすると決まってSがこう言った。「hanami、今晩泊めてくれ」。彼は下宿住まいだったので、門限があったのだ。つまり僕が連れて帰ろうとした女の子の友達をSは首尾よく口説くことができなかったというわけだ。だからと言って下宿にも戻ることができない。僕は泣く泣く女の子にバイバイと言ってSと一緒に僕のアパートへ戻った。

 

そんなこんなで僕は留年し、彼はアパートに引っ越した。今度は僕の方からSのアパートに行くようになっていた。大学を卒業しても彼は実家に戻らず教員採用試験の勉強を続けていた。僕が卒業して講師になって働くようになっても相変わらずアパートに居続けた。同級生達は2,3年で採用試験に合格していった。僕達は連続不合格記録を更新し続けていた。僕は土曜日によく彼のアパートに行ってくだをまいていた。と同時に密かに怖ろしさを感じていた。このままみんな合格して教員になっていって、僕だけとり残されるのではないだろうか、と。

 

ああ、その前にこんなことがあった。僕が留年していた頃のことだ。毎年の長期休暇の時に空港のうどん屋さんでバイトをしていた(これは以前書いた)。その時親しくしてもらっていた人(コウさん)が新しい店を金沢に出すことになった。ついては僕にバイトで来てもらえないかと言うので、手伝いに行っていた。新規の客を掴むのに苦労していたので僕はSに声をかけた。彼は数日後に来て、きつねそばを注文して食べて帰っていった。その後彼のアパートを訪ねると真顔で僕にこう言った。「hanami、あの店でバイトするのはやめた方がいいと思う。今まで食べた中で一番不味い蕎麦だったぞ」と。僕はコウさんに心酔していたので、かなり憤慨したし、彼がこんな風に言うのを初めて聞いたのでちょっと怖くなった覚えがある。

 

やがて彼も採用試験に合格する日が来た。もう一人の友達も合格し、遂に僕は一人ぼっちになった。ホントに合格するのかな、俺は、と思いながら真剣に試験勉強をするわけでもなく只々講師として毎日を過ごしていたが、次の年に無事合格することができた(親が議員にお金でも積んだのかな)。

 

教員になって(講師になってからだが)、一番嫌だったのが同僚とスキーに行くことだった。今となってはよく分からないが、当時同僚とスキーに行くこと(時に泊りがけで)はとても重要なお付き合いの一つだった。僕はスキーなんかしたこともなかったし、興味もなかった。それでも行かなければいけないので、少しでも上手くなろうとSに声をかけてよく土曜の夜にナイタースキーに行くようになった。彼との濃密な付き合いはそこまでだった。しかし、教員になって付き合うようになって気づいたことは、Sが強烈な出世欲を持っていたということだ。僕にはそんなものはないから、彼がそういうこと(早く〇〇になりたい、とか)を話す度に「へぇ~、そうなんだ」と思うばかりだった。まあ、人それぞれなんだなあと思うばかりでそんなに深刻に受け止めていなかった。Sはその後、彼が勤務する地域で1,2を争う学力レベルの小学校に赴任し、30人31脚(←知ってます?昔テレビでやってたんだけど)に参加したり、研究主任になったりして着々と彼の言う出世をしていった。

 

そして僕が勝手に「もう絶交かな」と思うようになった小さな事件が起こった。僕は2校目に赴任した5年目に遠藤ミチロウのコンサートのお手伝いをすることになった。チケットを1枚でも売りたい僕はその頃疎遠になっていたSにも電話をかけた。話をすると彼はとても嫌そうな口調で「俺をそんなことに巻き込むなよ」「(公務員なのに)そんなこと(コンサートのお手伝い)していいの?」「一応hanamiが言うんだから金だけは払うよ。でも絶対行かない」と言われた。僕は最初唖然とし、そのあと怒りが湧き起こってきた。だから「分かった。じゃあお金も払わなくていいから。ややこしいこと言ってごめん」とだけ言って電話を切った。それ以来Sとは話していない。

 

その後、僕が40過ぎて研究主任になった時に久しぶりにSと会った。最初にも書いたが、研修会で同じグループに入っていたからだ。僕は初めて研究主任になって何をどう話せばいいのかさっぱり分からなくてしどろもどろに話すことしかできなかった。対するSはもう何年も研究主任をしてきているので、周りの先生からも一目置かれていたようである。話し方も流暢なものだった。グループを代表して発表もした。彼の方はもしかしたら「hanamiに勝った」と思っていたかもしれない。

 

 

この後彼がどうなったかは、伝聞でしか分かっていないが(妻から聞いた)、それはかなり悲惨なものだった。具体的なことは書けないくらいの警察沙汰を起こし、精神疾患にもなったようだ。どうも全ては彼の出世欲から起きたことらしい。教員はもう辞めて何年も経っているようである。

 

もちろん「ざまあみろ」とは思わないし、だからと言って同情もしない。ただ、もう1回普通に話す機会があったらそれはそれで嬉しいだろうなとは思っている。

 

これはあくまでも僕サイドからの話であって、Sから見たら全然違うストーリーになる可能性は大いにある。そりゃそうだよな。

 

 

今日は朝からジョイ・ディヴィジョンを聴いている。久方ぶりにSのことを考えたことと関係あるのかな。