hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

学力向上ロードマップなんか・・・

最初にはっきりさせておこう。僕は、「ロードマップ」という言葉が嫌いだ。何だか「夏休みの計画表」のように思えてしまう。薄っぺらい空疎なもの、という印象を持ってしまう。

 

学校では約7~8年前から「学力向上ロードマップ」なるものを作成するようになった(名称は様々だが)。縦軸には(基礎)学力や学校研究、生徒指導等の努力事項を洗い出し、横軸は4月からの時系列を表す形式が多いと思われる。縦軸に書いてある努力事項がそれぞれと有機的につながっていることを示すためにこの仕事はこういう位置づけであること、そしていつ誰がその仕事をするのかを明確にするために作れ、ということらしい。多分そういうふうに上から降りてきたのだろう。

 

それを主任会議や職員会議で進捗状況を報告し検証する。いわゆるPDCAサイクルってやつになるのかな。(4月にプランを作成し(P)、例えば5月の目標は「学習規律を徹底させる」ならそれを実行に移し(D)、それができたか成果と課題を話し合い(C)、それに基づいてさらに事を進める(A))

 

ああ、もう書いているだけで息が詰まりそうだ。これじゃあ、授業でも自分なりの取り組みはできないじゃないか。

 

つまり僕は、「学力向上ロードマップ」に基づいて教育活動をすることによって、1時間(45分)でその日予定している学習内容を終わらせないといけないという強迫観念を抱くようになったのだ。「今日は、ここまでははっきりしたね。明日は・・・をはっきりさせようね」と1時間の予定を2時間に変更することもままならないし、授業を止めて、「勉強とは」「みんなで学習するとは」などとこちらの考えを伝えたり児童と話し合ったりする時間を作ることもできない。人間関係作りの活動をする時間を作ることもできない。その結果児童はどうしても授業に対して受け身になる。たとえグループなどで活発に意見を交わしている授業を見てもやらされている感たっぷりだ。窮屈な事この上ない。

 

また今の若い先生は、(大学で習ってきたからなのかよく分からないが)授業の仕方ってこういうものだ、と悪い意味で捉えている先生が多いようにも思う。だから、自分の授業の目標に沿った児童の反応しか採り上げない。その結果深みのない授業になるし、深く考えない児童、答えさえ合っていればいいと考える児童がどんどん生まれる。

 

なんだか教育現場が悪い方に悪い方に回っているように感じるのは僕が今までのやり方に固執しているからだろうか。

 

学力向上ロードマップなんか嫌いだ。