hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

受動から能動へ/正木孝昌著 2007年刊

筑波大付属小学校に研修に行った時、タイトルに惹かれ購入した。「いつも受け身で授業を受けている児童をどのようにして能動的にさせるか。」という内容の本かな、と思ったが、少し違った。

 

本文に入る前の序文の一部を引用してみる。

 

「はじめに」の冒頭で、授業論とは授業という世界だと書いた。とすれば授業論を読むということは、その地図を手がかりに授業の世界を旅することになる。旅はいくつかの地点をたどる行動である。では、どんな順序でたどっていけばいいのだろうか。
それを決めるのには二つの方法がある。ひとつは、あらかじめ他人によって設定された道順に従う方法である。旅行会社の計画した旅程に従って旅する観光ツアーに似ている。自分で、あれこれと考える煩わしさはない。なによりも安心である。道に迷う心配もない。

もうひとつは、自分でたどる地点と順序を決める旅である。自分で訪れる場所を選択するのは面倒ではある。しかし、気ままな楽しさがある。自分の行きたいところに行くことができる。反面、迷ってしまって、悔やみの残る旅に終わってしまう恐ろしさもある。

授業の世界を旅するのには、どちらの方法がいいのだろうか。私は後者がいいと思う。

 

昨日海外旅行についての自分の姿勢を書いたが、僕は勝手に正木先生と自分は似ている、と思った。

 

本文を読み始めると、タイトルを見て最初に感じたこととは違うことに気づいた。「受動から能動へ」というのは、授業の形態のことだった。

 

つまり、授業を二つの段階でとらえるという意味である。最初から子ども達が能動的であるはずがない。授業者が問題を出し、子ども達は授業者に言われるままに動いている。それは「受動」だ。そこから、授業者が子ども達に働きかけることによって、ある瞬間から子ども達が能動的になる。子ども達の方が「やってみたい」という思いを持ち、対象に働きかけるようになる。これを「能動」という。授業をそういう風に組み立てることで、子ども達の動きが一気に変わるのだと、正木先生は言っている。

 

そのために必要なことは、「子どもの話を本気で聞くことだ。」とも言っている。その覚悟を持って授業に臨んできた先生の実践例がこの本には詰め込まれている。

 

分厚い本だが、定期的に読んで、自分の覚悟を確かめている。