冬眠日記2023―③

昨日は教員を辞めて主夫生活に入るという記事を書いたが、今のところ翻意するつもりはない。だからこのような大きな決断に至った理由も書き留めておきたい。

 

 

一言で表すと「居場所がない」と「やってらんねー」である。

 

 

今年度から僕が勤務する自治体では、今までとは教育方針が大きく変わったことは前に書いた。

 

みんなが一斉に黒板の方を向いて学習するのをやめましょう、各々が独りで学習するのもよし、誰かとグループを作って学習するもよし、学習の進度も最低限のゴールは決まっているものの、各々が考えて取り組みましょうという「自由進度学習」にしていきましょう、それが「個別最適化」に繋がりますとアナウンスされたのだ。そして1学期はお試し期間で2学期から本格実施でいきましょうということになった。

 

 

これは新教育長の方針である。文科省の官僚をしていた彼女は、熱心に学校を見て回り、全国からも視察に来る先生がジャンジャンいる。教育書にも大きく取り上げられるようになった。僕たち教員は方針通りにやるしかない。(でも彼女の任期は来年までである)

 

 

僕も分からないながらも「自由進度学習」なるものを試みてきた。自分ならどうするだろうと考えて、先生が黒板に書いたことを児童がノートに書くことをやめてプリントを使って学習をするようにした。その結果休日出勤をしてプリントを作るということまでやってきた。

 

 

この学習方法には正解がないから、各々が考えて取り組むように言われていた。しかし「壮大な自習」にならないようとも言われてきた。僕が2学期にやったのは結局「壮大な自習」の方だった。他の先生は、どう思っているのか分からないが、ちらちら授業を見ていると、ほとんどの場合子ども達はPCを開いて授業を受けている。僕がPCを使うのはほんの時たまだ。

 

 

だからICTサポーターの人のところに頻繁に行くようにして、基本的なことを習ったり、サポーターの方から「こんなのはどうでしょう?」と提案されたりした。でも提案されたことに対して実現できたのは5割程度だった。僕のスキルの無さに加えて、「ホントにこれをやって子ども達に力が付くのかな」という疑問が拭えなかったからだ。

 

 

そして、先日の校長の言葉だ。あれは事実上今の僕には居場所がない、ということの通告だったと受け取っている。僕も同意だ。これ以上こんな授業を続けていても子ども達に何かがしかの力が続くとは思えない。新しい教育方針に従っていくのはもう不可能だな、と思ったのが第一の理由だ。

 

 

 

そしてこういう試みをした結果、どうなったのかと言えば、全員の前で話をする時にこちらの話を全然聞けない子ども達を量産することになった。今では子ども達に僕が何か問いかけると、各々が勝手に座って言い始める。挙手を促すとほとんどの子はしない。指名されても立って発言はしない。僕が立って発言するように促すとしぶしぶ立つ始末だ。誰ももうそんなことは求めていないのだ。これは昨日6年担任と話していてそう思った。彼ははっきりと「今、全員の前で話す必要はない」「自分の気持ちを話す必要はない」と言い切った。僕はそういう風に考えたことは一度もない。

 

 

また今週の週予定の欄外に教務が「みなさん、子ども達に『なぜ勉強するのか?』『なぜ宿題があるのか?』等の話をすることがありますか?大人が真剣に話す姿を見せていきましょう」と書いてあったが、そう考えるのは僕たちの世代までであって、若い世代の教員はそんなことを話す必要性も感じていないし、児童に届く言葉も持っていないと思う。

 

 

つまり、僕が今までやって来た感覚とは全く違う事態になっていることを痛感しているのだ。先生達はひたすら薄っぺらい言葉を遣って子ども達にPCを開いて勉強させる。子ども達は「こんなもんでいいだろ?」という感じで言葉を書き込む。そこに本音というか自分の思いとか逡巡する気持ちなんかはないのだ。教える側も教わる側も求めているのはスッキリとした(軽い)答えだけだ。そんな子どもを量産しつつあるのが今の僕の勤務校の実態であると思っている。

 

 

そして相も変わらず本校の廊下には「いいね!」マークの小さなカードがたくさん貼られている。しかももう古いので、継続して取り組んでいるとはとても思えない。書いてある内容も深まっているとは言い難い。数さえあればいいのだ。ネット上の「いいね」とおんなじなのだ。これを使ってクラスでいかにうまく付き合っていくかの人間関係作りを授業で試みるなんていう発想もないのだ。

 

 

「それの何が悪いの?」と若い先生に言われたら僕は「君はどんな子どもに育って欲しいと思って教員をやっているの?」と返すだろう。しかしそう言って会話を始めても話は平行線をたどるばかりでそこにはなんの生産性もないと思われる。

 

 

こういう状況がハッキリと分かった今、僕は「やってらんねー」と思った。

 

 

「そんなの級外なんだから無視して、自分のペースでやったら?図工と音楽と書写とかでしょ?」と言われるだろうが、どんな教科であろうと基本は同じだ。児童がこういう反応をしたらこう返す、という風に組み込まれた僕の脳みそはもう古いのだ。今の児童や教員に対応できないのだ。

 

 

しかし正直言って、業者テストの点数は下がっている。クラスの状態もあまりよくない。これを来年も続けるのなら、僕の勤務地の自治体の教育というかその結果としての子どもの姿は(悪い意味で)大変なことになると思う。

 

 

こんなことを主治医に言っても病休にはしてくれなさそうだなー。最大の難関は診断書を書いてくれるかどうかだが、これじゃあ根拠が弱いのも事実だ。きっと「お金の為と割り切ってやりなさい」と言うに決まってる。そうなったら仕方がない、4月からいけるところまでいって、それから「もうダメです」と言うしかない。

 

 

3月下旬からスパッと病休に入るか、4月からいけるところまでいって病休に入るかはまだ不透明だが、僕の言葉が通じる(って言ったら語弊があるかな。とにかく話ができるという意味である)教頭と教務が異動するとハッキリ分かっているので、もし4月からも勤務するとしたら、今より孤独になるだろう。校長には相変わらず振り回されるだろう。

 

 

この激動の時代に何甘いこと言ってんの?定年まで、というか70歳まで働くのがもう普通になっちゃってんだよ?と言われそうだな。でもまあ、こんな風に今は感じている。

 

 

 

日々を慎ましく生きて、いつか心の底から笑える日が来たらそれでいいんだけど。どうなるかは神のみぞ知る、だ。

 

 

 

別にそれで落ち込んでいるわけではないので、いいんだけどね。今の気持ちを書き留めることができてよかったよかった。

 

 

 

それでは今日はこのへんで。さようなら!