hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

まとめに入ったアーティスト達

昨日、17日金曜日に放映された「あさイチ」を観た。ゲストは中谷美紀だった。彼女は凛とした佇まいでその場と視聴者である僕を圧倒していた。まず何に驚いたかというと、話す向きである。ちゃんと聞き手の方を向いて話す。彼女の右手にNHKの女性アナウンサー、左手に博多大吉と華丸がいたが、向く時間がちゃんと均等になるように話していた。これは簡単なようでなかなかできないことだ。

 

そして話は結婚のこととか、現在住んでいるザルツブルクのこととかを話しているが、とにかくその言葉のチョイスがたまらなくいい。硬すぎず軟らかすぎず言葉を選んで話す。そのセンスにうっとりしつつ彼女は淀みなく話すものだから、こちらとしてはどんどん引き込まれていく。

 

中谷美紀のことは古くからなんとなくは観ていた。特に「ケイゾク」は再放送されるたびに観ていたな。ああ、でもその前に「ハルモニア」という堂本光一と共演した土曜日のドラマも観ていたぞ。あれは面白かった。篠田節子原作だったので彼女の本をいろいろ探したものだ。あとは、インド旅行記を何冊か読んだな。「嫌われ松子の一生」「電車男」はなぜか観ていない。

 

その後あさイチを観ていたら、映画紹介コーナーになった。ああ、そうか番宣で出演しているんだ、と思い観ていると面白そうな映画(ギリシャ映画とモロッコ映画)が紹介される。びっくりしたのはその後だ。中谷美紀はアナウンサーに「どうでしたか?」と振られた時に「朝からこんな素敵な映画の紹介をしてくださるなんて・・・」と言って感極まって涙を浮かべたのだ。その後声を詰まらせながらも気丈に話す中谷美紀は美しかった。

 

 

 

というわけで、今回のテーマは「まとめに入ったアーティスト達」である。前に書いたことのあるテーマだけいただいて、当時の文章は読まずに書いてみよう!

 

ロック・ミュージックが何十年も続き、70、80歳を超える人もいる現在、自分のアーティスト人生のまとめに入っていると思われる人たちがいる。今まで発表していなかった作品をリリースする人もいれば、昔のアルバムを再現するライブを行う人もいる。死を意識したり、自身の活動の終焉を予期したりするアーティストが、何らかのまとめをしたいと思う気持ちは僭越ながらよく分かる。今日はそんな人達の中から何人か僕の知っている人を紹介してみよう。

 

まず、一番上手く「まとめ」活動をしているのではないか、と思われるのがボブ・ディランである。例の「ブートレッグ・シリーズ」である。初めてブートレッグ・シリーズ第1~3集が発表されたのは、1991年のことであった。その後1998年には伝説の「ロイヤル・アルバート・ホール」のライブ、2002年には「ローリング・サンダー・レビュー」のライブと、ファン垂涎の作品が発表される。しかしこの頃の「ブートレッグ・シリーズ」はレアな作品を出しましたよ、みたいなニュアンスが濃厚でファンも「ワオ!」と飛びついたものであった。

 

しかし、2005年「ノー・ディレクション・ホーム」(映像と一緒にディランの最盛期ぶりを発表)以降の「ブートレッグ・シリーズ」は結構マニアックなものになっていったと思う。僕も買うには買ったが聴き込むことはなかった。その頃から「ブートレッグ・シリーズ」に「人生のまとめ色」が入ってきたと推察される。つい最近も第16集がリリースされた。アルバムでいうと「ショット・オブ・ラブ」「インフィデルズ」「エンパイア・バーレスク」のアウトテイクやリハーサル音源だ。ここまでやればディランも納得だろう。もう後は、誰か信頼できる人に任せた、俺が死んでもやりたきゃやりなさい、という心算なのではなかろうか。

 

 

ディランと同様な形で「アーカイヴ・シリーズ」を発表しているニール・ヤングは、上手くいっていない方だ。だってまだ1970年代だよ。50年分、どうするんだよ。いや、「アーカイヴ・シリーズ」の内容は素晴らしいんだけどね。ちょっと急ぎ足でリリースしないと死んじゃうよ。僕は今はノイジーニール・ヤングよりアコースティックなニール・ヤングを好んで聴いているが、1970年代以降もアコースティック路線でいい作品はいっぱいあるよ。頼むよ、ニール。

 

 

「ああ、こんなことするようになったんだ」と僕が思ったのは、ローリング・ストーンズの「スティッキー・フィンガーズ」の再現ライブだ。確かアップルミュージックで購入した覚えがある。多分2015年だ。そうか、「シスター・モーフィン」がライブで演奏されるのか、と思ったものだ。その後、映像も観ることになるのだが素晴らしい出来だった。昔の名アルバムを丸ごとライブで演奏しちゃう、というアイディアがコロンブスの卵みたいで気に入った。これも「まとめ活動」に入るだろう。その後もストーンズは過去の作品のデラックス・エディションやライブ作品をばんばん発表する。これはストーンズの面々も納得ではないだろうか。10月には「タトゥー・ユー」のデラックス・エディションが発表される。

 

パティ・スミスは現在74歳。3年前に「ホーセス」の再現ライブを敢行した。ユーチューブで観たが、圧巻のコンサートだった。70過ぎてもまだ唾をペッと吐いているパティには痺れたぜ。これも「死ぬ前に是非やっときたいこと」だったのではないだろうか。

 

日本では頭脳警察だ。2018年に「BRAIN POLICE RELAY POINT 2018」というライブアルバムを発表している。これは1972年発表され、すぐに発売中止になった「頭脳警察セカンド」の曲をメインに収録されたアルバムである。「頭脳警察セカンド」が再発売されたのは確かパンタが「KISS」を発表した頃だから1981年頃だ。僕は当時「KISS」より、こっちに狂喜乱舞していた。「いとこの結婚式」というのどかな(?)ナンバーまで収録されている。これも「やっておきたいこと」だったのだろう。

 

 

ボブ・ディランニール・ヤングローリング・ストーンズパティ・スミス頭脳警察について書いてきた。他にもまとめに入っているアーティストはいるだろうし、そろそろかな?と思っている人もきっといるだろう。デヴィッド・ボウイやプリンスのように、死後何らかの形でリリースされる作品も嬉しいが、アーティスト本人が納得して創った作品はやはり何物にも代えがたい。

 

 

 

ボウイとアコギ(のはずだったが)

今日は朝から気分がよいので、グリーン・デイの「アメリカン・イデオット」のイントロ練習に取り組んだ。まあ超カンタンなんだけどね。それにしてもかなりのスローヴァージョンから始めなければならないのがもどかしい。でも朝の早くからギター練習をするのは気持ちいい。何かいいことをした気分だ。この勢いでブログも書いてみよう。

 

昨日は診察日だった。例によってかなり待たされた僕だが、辛抱して待っていると僕の前の患者さんが出てきたところがチラッと見えた。そしたら「hanami先生、こっちこっち」と主治医が手招きする。精神病院で名前を呼ぶなよなーと思いながら入っていくと、僕の現状を聞くのもそこそこに「相談があるんだけど」と主治医は言う。また相談?と思いつつ興味もあるので「何ですか?」と聞くと「学校に入れない人がいるんだけど、どうしたらいいか迷っているの」と言う。「それ、大人(先生)ですか?」と聞くとそうだと答える。「車に乗って学校に向かうことはできるんですか?」「いや、それもできない。部屋から出られない。前から休みがちな先生なの」「それじゃあ、休んだ方がいいですね」と僕が言うと、「1か月にしようか2か月にしようか迷っているんだけど」と言う。僕は「前から休んでいるんだったら2か月ですね。1か月じゃ遅かれ早かれ再発しちゃいます」と即答した。それを聞いた主治医は「分かった。そうする」と言った。おい、患者に聞くのかよ、と思ったのでそのまま言うと「やっぱり本人じゃないと分からないから」と答えた。「まるで僕がDr.みたいですね」と言ってこの話は終わった。

 

全然本題にいかないなぁ。もうひとつ、昨日の診断でのことを書きたいぞ。それは「月曜日は火曜日だと思え!」だ。僕が「日曜日は明日のことを考えてドキドキしてしまいます」と言ったらこう即答されたのだった(聞いたことに対して即答する医者なんだ)。「私は金曜日に『フィーバー』して、土曜日も楽しんで、日曜日は仕事モードに入ってるわよ。そうすれば月曜日に落ち込まなくて済む。今まで(月曜日だと思って)生活していたギアを変える(火曜日だと思うことにする)わけ」と言われ、なるほどと思った僕だが、多分そういう技は身につかないだろうな。

 

ああ、そういえば、(←まだ本題にいかない)昨日のブログの記事にはたくさんのスターがついた。嬉しいことです。読者登録してくれた人もいたよ。そして、もしかしたらいつも読んでくれてるJUNさんもスターに参加してくれたのかな?JUNzさんがJUNさんだとしたらすごい。超合金Zみたいでかっこいい。びっくりです。

 

 

というわけで、今日は「追記寄りのリライト」に挑戦してみよう。

 

テーマは、デヴィッド・ボウイアコースティック・ギターだ。(やっと本題だよ)

 

特にボウイの出世作「ジギー・スターダスト」時代にコンサートでアコースティック・ギターを弾いていたことについて力を込めて書きたい。

 

 

デヴィッド・ボウイは1972年アルバム「ジギー・スターダスト」を発表した。ボウイ自ら「ジギー・スターダスト(屈折する星くず)」という架空のキャラクター(ロックスター)に扮し、「スパイダーズ・フロム・マーズ(火星からの蜘蛛たち)というバックバンドを率いてその上昇から下降(栄枯盛衰?)までを描いたコンセプトアルバムである。

 

前作は「ハンキー・ドリー」。この作品と「ジギー・スターダスト」は同時期に創られたものだという。どういうことだろうか。「世界を売った男」では音はハードロック寄りになり、ジャケットで女装もした。ボウイはこの作品で、ある程度認知度を高めることに成功したわけだ。で、次だ。ここから先は妄想だ。きっと曲がぼんぼん生まれてきた時期なんだろう。そしてアルバム「ハンキー・ドリー」を発表する際には、もうジギーの構想はあったのだろう。

 

ここまで書くと僕はプリンスのことを想起せざるを得ない。プリンスも「パープル・レイン」発表時にはもう次作も録音していたって聞いたぞ、確か。プリンスは先に売れるやつを出して、その後により実験的な作品を発表した(「アラウンド・ワールド・イン・ア・デイ」)。ボウイは逆になるのかな。「ハンキー・ドリー」で地固めをして、「ジギー・スターダスト」で爆発させるっていう作戦だったのだろう。そしてその作戦は大成功する。

 

2作をモノにしたボウイは満を持してツアーにでる。ここからは、前に書いた文章の引用である。

 

「その最終公演が映像で残されている。妖しいメイクをし、何だか宇宙服?みたいな衣装で歌うボウイは恰好良かった。この世のものではない感を漂わせていた。そのステージでボウイは、数曲アコースティック・ギターを弾きながら歌っている。宇宙服とアコギ、全く相容れない二つのものが合体した時、得も言われぬ姿が誕生した。僕はそれを観て強烈な異和感を持った。

 

何故ジギー(ボウイ)はアコギを持ったのだろうか。アウトテイクで「ジギー・スターダスト」のアコギを使ったデモが残されている。同時期に作られた「ハンキー・ドリー」にもアコギの曲が収録されている。当時作曲する時は、アコギを使っていたのだろう。それ以前のステージでもアコギを持って唄う写真もある。資料のようなものは読み込んでいないのでよく分からないが、当時ボウイはアコギを日常的に使っていた。  

 

それにしても、だ。僕にはボウイがジギー・スターダストをやるにあたって、アコギを確信犯的に使っているように思える。地球外から来たジギーが、コンサートをする。奇抜な衣装と妖しいメイクでシアトリカルなステージングを繰り広げればコンサートは成り立つはずだ。しかし地球で使われている楽器を使って演奏もする。そこに強烈な異化作用が生じることを知ってアコギを手にしたのではないだろうか。エレキではなくアコギ。アコギは、地球、あるいは既存の物、もっと言えば古い物の象徴ともなりうると思い、あえて使ったものではないだろうか。異物としての自分と既存の物を掛け合わせることのマジックというか。

 

などという妄想をしてしまうくらい、ジギー時代のボウイのアコギ姿は異様にかっこいい」

 

 

 

何を大げさな、という文章である。「異物としての自分と既存の物を掛け合わせることのマジック」だって。だいぶ力んで書いているな。ちょっとロッキングオンを意識していたかもしれない。今だったら何て言うだろう。「ちょっとスペイシーな服を着て、ジギーに変身!」「今までの流れでアコギを持ってみた」「ジギーでアコギかぁ。どうなんだろう?」「それもいいかも。いや、それがいい!」という「ボウイの野生の勘」とでも言うべきものが働いたのではないだろうか。そのくらいにとどめておいた方がよさそうだ。しかしその後、別のキャラになった時はエレキ・ギターを持っていたけど、全然似合っていなかった。ジギーだからこそのアコギ、は確信犯だった、というのはある程度事実かもしれない。

 

 

 

いやあ、リライトって難しいなあ。今日は前の文章を触ることができなかった。思い切って前に書いた文章を捨てて(忘れて)、テーマだけ同じもので書いた方が書きやすいのかもしれない。今度はそうしよう。

 

 

 

相変わらず節操がない

ここ2,3日は、吉井和哉岡村靖幸ムーンライダーズ等を聴いている。土日は吉井和哉に浸っていたけれど、何故か月曜日には岡村靖幸の「ぶーしゃかloop(vinyl mix)」その他の楽曲にハマっていた。やっぱり岡村ちゃんのファンクチューンはサイコーだな、とか思っちゃったりしてた。そしたら昨日からはムーンライダーズだ。これは、「カメラ=万年筆」(1980)のデラックス・エディションが発表されていることを知ったからだ。相も変わらず節操がない僕である。

 

ムーンライダーズもそんなこと(デラックス・エディションを出す)するようになったのか、と思いながら調べてみると、第1部は、オリジナルヴァージョンに付け加えて、「地下水道」(1曲目の「彼女について知っている二、三の事柄」)のダブヴァージョン、「エレファント」という曲、「ヴィデオ・ボーイ」のアコースティック・ヴァージョンが収録されている。

 

第2部は、「IZU STUDIO SESSION」と題してまだ歌詞が付く前の曲が収録されている。その他にもダブ・ヴァーションとかアウトテイクとかいろいろ入っている。「IZU STUDIO SESSION」は完成前(歌詞はまだできていない)の生々しさが満載で好きだ。

 

第3部はデモテープも収録されているが、何といっても「FM TOKYO LIVE」が9曲も収録されているのに驚いた。そうだよ、昔はラジオでライブを放送してたよな。それを録音して繰り返し聴いていたよな。今でもラジオ番組でライブ放送はしているのかなあ。この企画はいいよ。この際いろいろな人のラジオ出演した時のライブ音源は是非発掘してもらいたいものだ。

 

それにしても、である。第2部と3部を聴くと改めてムーンライダーズの演奏力の高さに気づく。歌詞が付く前の段階で「せーの」で演奏した時点でほぼオリジナル通りに演奏できているってすごいな。ライブも然りである。ほぼスタジオ盤を再現している。でもプロでも仮歌の段階では「♪タラッタラ―」とか「♪ダーダダ―」とか、まあ鼻歌って言えばいいのかな、それをやっているんだな、と思った次第である。貴重なものを聴かせてもらった。

 

 

 

 

ああ、それからこの月火で「とんかつDJアゲ太郎」という実にくだらないB級映画を観た。いや、ほんとにくだらないんだって。でもいいんだよなあ。主演の北村匠海は好きだな。最近では月9のドラマ「ナイトドクター」でいい味を出していた。俺が月9?って思うけど、そんなこと関係ないや。

 

とんかつDJアゲ太郎」は、テレビアニメ化もされた人気ギャグ漫画を映画化した作品である。渋谷の老舗とんかつ屋の息子のアゲ太郎は、キャベツの千切りばかりしているうだつの上がらない男子だった。しかし、配達に行ったクラブでDJが客を盛り上げている姿に感動し、「DJだ!」と閃く。そして自ら「とんかつDJ」と名乗り、とんかつ屋とクラブDJの両方を頑張ろうと邁進する物語だ。

 

かっこいい音楽が流れる、そしてDJの技が見られるものと思い、張り切って観たが、そういう作品ではなかった。「ガハハ」と笑いはしなかったが、いい感じでくだらなかった。週の初めは学校で心臓がドキドキしていた僕だったけれど、これを観て気分が晴れた。よかったよかった。

 

僕が初めて北村匠海を観たのは「君の膵臓をたべたい」だったと思う。濃い顔立ちの彼は、あんまり印象に残らなかった。あとは何で観たんだろう?っていうくらい印象に残らなかったが、徐々に記憶に残るようになった。若いっていいね。嫌味がなくて。

 

こんな若手じゃなくても池松壮亮なんかも好きだ。彼は31歳だけど、僕にとっては若手だ。もっというと妻夫木聡くらいでも僕にとっては若い俳優だ。彼はいくつだ?40歳か。うん、僕にとっては若手だな。この夏に観た「浅田家!」でもいい味を出していた。普段邦画はあんまり観ないけど、ここらでいろいろな作品を観るのもいいかもしれない。何といっても日本語で喋ってくれるのが嬉しい。この年になると字幕はつらいよ。

 

 

 

吉井和哉「元気になるまでの日々」の記録

つい最近吉井和哉がソロシングル「みらいのうた」を発表していることを知った。そのことは後に書くかもしれないとして、それにつられて僕はつい吉井の過去のソロ作品(YOSHI LOVINSON時代から吉井和哉名義のものまで)に手をのばしてしまい、今はそのリストばっかり聴いている。いやあ、困ったな。だって暗いんだもん。

 

その時は、分からなかったけれど、全体を俯瞰して見ると「そうか」と分かることはあると思う。音楽家や画家、作家等のアーティストの作品群を見る時なんて特に分かりやすい。吉井和哉のソロ作品群もそうなのかもしれない。

 

吉井和哉のソロ作品で気になる曲を(昔よく聴いていた曲を)片っ端から取り込み、年代順にしてみると当時はあんまり分からなかったのが「暗い」、そして「元気になるまでの日々」の記録であるということである。まあなんで元気じゃなかったのかについてはいろいろあっただろうが。

 

僕が初めて彼のソロ作品を聴いたのは初シングルの「TALI」である。そしてその後、アルバムを聴いたのだが、好きな曲とそうでもない曲が割とはっきり分かれていた。これはその後のアルバムでもそうだった。だから今回改めて曲を取り込む時も全然迷うことはなかった。

 

 

このあたりで、ささっと彼のソロ活動を振り返ってみよう。

 

初シングル「TALI」は2003年10月1日発売だ。吉井37歳くらいかな。その後約12年間をソロ活動に専念することになる。50歳を前にしてイエロー・モンキー再結成(再集結だっけ?)することになるわけだ。50前にいろいろ考えることはあったんだろうな。ロック・ミュージシャンとしては大きい節目だろうしな。

 

それにしても「TALI」を初めて聴いた時は「かっこいい」って思ったんだが、今聴くとほんとに暗いよ。なんか元気ないよ。いや、だから悪いって言ってるんじゃないけどね。「あっちの人も失敗だ こっちの人も失敗だ 失敗ばかりのバケツリレー ねえ足りないものは何だろう」と嘆く(?)歌詞にマイナス思考しがちな僕は痺れた。カップリング曲の「スティル・アライブ」なんかもうどん底だよ(←でもとても気に入っていた)。この曲を僕はその後路上ライブで何回も歌うことになる。

 

ファーストアルバム「at the BLACK HOLE」(2004)では「20GO」「FALLIN‘ FALLIN’」「SWEET CANDY RAIN」を取り込んだ。この頃の僕は、まだ中途半端な仕事っぷりだったと思う。「楽しけりゃいいや」みたいな感じだったかな。勿論基本的には真面目だったけどね。

 

2nd「WHITE ROOM」(2005)は前半の曲をよく聴いていたな。4曲取り込んだ。「PHOENIX」「CALL ME」「WANTED AND SHEEP」「欲望」だ。これらの曲も当時は「すごい」と思って聴いていたんだけど・・・。今聴くとツラい。しかし英語のタイトルが多いな。

 

3rd「39108」(2006)から取り込んだ曲は意外と多い。「人それぞれのマイウェイ」「黄金バッド」「WEEKENDER」「BEAUTIFUL」「恋の花」「BELIEVE」の6曲だ。プラスシングルカップリング曲の「MY FOOLISH HEART」(←隠れた名曲)を加えて7曲だ。しかし毎年アルバムを発表していた吉井はエライ。インタビューではこの頃から「少しずつ戻っていますね」みたいなことを渋谷陽一から言われていたような気がする。

 

4th「Hummingbird in Forest of Space」(2007)からは「Biri」「Pain」と意外と少ない2曲だ。でも1枚丸ごとをよく聴いていた記憶がある。吉井の調子が少し上向いてきたのがこの頃だ。

 

 

どうでもいいことだが、今は日曜日の14時だ。もう明日のことを考えてしまい、心臓がドキドキしっぱなしだ。明日がこわい。取り敢えずこれを仕上げなきゃ。

 

 

5th「VOLT」(2009)からもしかして英語表記のタイトルが少なくなってきたのかなあ。「ビルマニア」「フロリダ」「ノーパン」「バッカ」の4曲である。この頃の僕はもう前に書いたサカグチ先生に出会っていてバリバリ仕事をしていた。この年は6年生を担任していたはずだ。このアルバムにはずいぶん元気づけられた。「いよいよ(復活)ですね」みたいに渋谷陽一も言っていたし、吉井和哉も嬉しそうに答えていた。「フロリダ」では「鳴っちゃったんだよ 初めてなんだよ アメリカで ホントのロックが鳴っちゃったんだよ」と歌うまでになった。

 

そして満を持して出されたのが6th「The Apples」(2011)である。吉井はいつものようにアメリカには行かずに日本で一人でレコーディングした。「THE APPLES」「VS」「おじぎ草」「HIGH & LOW」「FLOWER」プラスシングルカップリングの「リバティーン」「星のブルース」を取り込んだ。この時は仕事上最悪の年度だった(2010年4月~2011年3月)。4月に発売されたこのアルバムにはずいぶん助けられたような記憶がある。そして、その勢いでコンサートにも行った(5月だったように思う)。コンサートホールに行ったことはそれ以来ない。かれこれ10年ホールに行っていないことになるか。もう一生行かないような気もしている。

 

最終的には2015年に7thアルバムを出して(「クリア」だけ取り込む)、その後企画物アルバムを出して(その前にベストも出したな)、イエロー・モンキーに繋がるわけだ。ちょっと端折ったところがあるけど、大体こんな感じだ。そうだ、ベストの中の新曲「HEARTS」の「次の場所へ」という歌詞に痺れたんだっけ。「TALI」で「失敗ばかり」と言っていた男が「次の場所へ」と歌えるようになったんだ。12年かけて。その途中経過を赤裸々に描いているソロアルバム群は僕にとって忘れられないものばかりだ。

 

僕は、知らず知らずのうちに平沢進ばかり聴いている時期が来るのだけど、それは間違いなく心の調子が悪い時である。調子の悪いことは途中で気づくんだけどね。でも吉井和哉の場合もそうかもしれない。この元気のなさ、少しずつ元気になっていく様子を聴く時って調子を落としている時なんだろうな、きっと。ということはこれからも必ず吉井和哉ブームが来るってことだ。まあ、今は久しぶりに吉井和哉を聴くことになった、そして僕はちょっと調子が悪いことが分かった。それでよしとしよう。「みらいのうた」については書けなかったがいい曲だよ。

 

それにしてもAマイナーを使わせたら吉井和哉の右に出る人はいないな。

 

 

 

「発明」な感じ

「ロックン・ロール」は、«発明»だった。発明と聞けば何か0から全く新しいものを生み出す、なんてことを連想するが、そうでもないかもしれない。「ロックン・ロール」は今までにあったリズム&ブルースやブルース、ゴスペルなどの黒人音楽を基に、カントリー・ミュージック等の白人音楽のスタイルを融合あるいは発展させて生まれた音楽である。もしかしたら«発明»とは、今までに存在したものを基にして新たに創ることなのかもしれない。そして「ロックン・ロール」ミュージック内では過去の音楽スタイルを基にして発明が時々起こって現在に至っている。どんな発明があったのだろうか。

 

例えばレッド・ツェッペリンはどうだろう。大雑把に言うと、今までのブルースや在籍していたヤードバーズが嫌でしょうがなかったジミー・ペイジがギター等の楽器をさらに大音量で、しかも歪ませて演奏しようじゃないか、と思ったのが発端だったのではないだろうか。ちょっと乱暴すぎるけどこの気持ちからあのサウンドが生まれたんじゃないかな。そしてそれは器材の発達も関係しているのだろう。

 

ビートルズはどうだろう。ビートルズはこれまた大げさに言えば各アルバムが発明の連続であったと言えそうだ。特に後期の作品は録音器材の発達が大いに関係しているであろう。初期の楽曲の革新性について書かれた本もたくさん出ているが、不勉強のため上手く書けない。自作自演という点も発明なのかもしれない。とにかくビートルズは巨大すぎる発明だった。

 

ヒップホップをロック・ミュージックに位置づけるのは無理があるという人もいるかもしれないが、これは「ロック」だろう。自分で演奏しないで他からパクっちゃって新しい音楽にして、それにのせて早口で歌っちゃうんだから。過去に前例がないという意味では、もしかしたら「ロックン・ロール」以来の大きな発明かもしれない。

 

日本では、まず思い浮かぶのは言葉の発明だ。

 

頭脳警察」というグループ名を考え出したのは、パンタだ。しかしながらこれには元ネタがある。フランク・ザッパの「フー・アー・ザ・ブレイン・ポリス?」からいただいたものだ。しかしこの直訳な感じと、それを漢字4文字にしたことに発明な感じを抱く。2人組なのも当時は新しかった。しかしこれにも元ネタがあって2人組といえばティラノサウルス・レックスが思い浮かぶ。パンタも彼らを意識していたと発言している。

 

忌野清志郎の歌詞は、今まで「日本語はロックにのらない」という通説に真っ向から挑戦したものである。そしてあのような(「雨上がりの夜空に」に代表されるような)歌詞を発明した。これまたどうやったらビートにのる歌詞が書けたのかについての本も山のようにあるだろう。固有名詞を使ったのも発明の一種かもしれない。またソロアルバム「レザー・シャープ」での「WATTTA」ではタイトルの「渡った」のように促音を意識して取り入れることでさらなる地平を開いた。

 

ザ・ブームの音楽の中には沖縄民謡とガムラン音楽を1曲の中に入れちゃった曲がある(「いいあんべぇ」とか)。これは思いついてもなかなかできないことだ。いや、普通は思いつかないか。でもミクスチャーロックなんてのもあったな。ちょっと安易すぎやしないかという面と力技でやりました、という面を感じる。

 

こう書いていると発明な感じがするものは、さっきも書いたように前にあったものを継承あるいは発展させているものがほとんどだ。しかしビートルズとヒップホップはちょっと違うような気がする。ビートルズは特に後期の録音技術が発達した時期にいろいろなことを0から試して新しいものを創っている、ような気がする。しかもそれがことごとく名曲になっている。

 

 

 

何でこんなことを羅列しているかというと、今日はキース・リチャーズの5弦ギターについて書きたかったからである。これも発明だろう。

 

ストーンズの活動が煮詰まった頃、キースは改めて戦前のブルースの研究に没頭する。そして当時のブルースマンのギター演奏の特徴であったオープン・チューニングを自身のギターに取り入れていく。その後、グラム・パーソンズライ・クーダーの影響を受け、オープンGチューニングを取り入れる。やがてキースはコードを指1本で押さえる際に6弦が邪魔だ、という理由で6弦を外す。5弦ギターの誕生である。そして「ホンキ―・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」「スタート・ミー・アップ」などの名曲を生み出す。

 

煙草を吸いながら弾けるとか、6弦のビビりが気に障るから外したとかいろいろ言われているが、ギタリストが弦を外すなんて発想は、多分誰もしなかったであろう。キースが初めてだったのではないだろうか。(←誰かしてたらごめんなさい)これもブルースから出発した結果辿り着いた発明ではあるがそれにしてもキースらしいといえばキースらしい。

 

 

 

他にもいろいろ発明はありそうだ。プログレとかグラム・ロックとか。でもプログレサウンドで言えば「ロックにブルースやジャズやクラシックを掛け合わせるとどうなるか」みたいな実験だったような気がするし(これも発明と言えば発明か)、グラム・ロックは「化粧をしたロックン・ロール」(←誰かが言ってたよね)のような気がする。

 

 

歌詞で「これは新しい!」っていうのはあるのかなあ。歌詞の内容はジャンルでいうと「色恋モノ」「自分のこと」「政治モノ」がほとんどなのかもしれない。

 

あ、でもザ・スターリンの「虫」は、形態としては発明だったな。俳句のような短い詩をロック・ミュージックに取り入れたという点で素晴らしい。「天プラ」なんかは「天プラ からっぽ お前だ」だけだったもんな。これで1曲成立させてたんだからすごい。しかもパンクの名曲だ。

 

 

 

 

最近世の中の音楽ブログでローリング・ストーンズネタが書かれることが多くなったような気がする。僕もその一人だがやっぱり書きたくなるよなあ。

 

 

 

ローリング・ストーンズについて書こう!

ただ今、9月6日の午前3時である。思えば、ずっとこんな時間に起きてせっせとブログを書いていた時期があった。昨日は昼寝もせずに本を読んだりギターを弾いたりブログを書いたりしていた。ちょうどよい疲れだったのだろうか、僕は21時頃知らないうちにリビングで寝ていた。その後目が覚めて、寝室に行ったのだけど、浅い眠りが続いたし、変な夢をいっぱい見た。それでも目覚めはよかった。

 

今日はぜひ、ローリング・ストーンズについて書きたいと思うのだけれど、どうなるかな。チャーリーの訃報を聞いて以来、なんだかんだでストーンズを聴いている日が続いている。(主に70年代のストーンズを聴いている)そして「オレ!オレ!オレ!」というストーンズキューバハバナでライブを行うまでのドキュメントとその時のライブを家に帰ってから少しずつ観ていた。

 

ドキュメントでは、どうしてもチャーリー・ワッツに目が向いてしまう。彼の言葉で印象に残っているのは「俺は、みんな(客)を踊らせるためにドラムを叩いているんだ」というものである。きっと彼はデビュー当時からそういう心算でプレイしてきたんだろう。そしてそのためにキースのギターだけを集中して聴きながら叩いていたのだろう。

 

昨日はそのチャーリー・ワッツのプレイを紐解くユーチューブ番組も観た。スネアを叩く時にハイハットを抜くのはよく知られている。チャーリー曰く「スネアと一緒にハイハットを叩くと音が濁る」らしい。そして驚いたのは(今頃驚くなよという話でもあるが)、彼はプルビートで演奏しているということだ。

 

拍を「押す」ように振り下ろしでリズムを取る(ハイハットに着地と同時にカウントを取る)のを「プッシュビート」、拍を「引く」ように振り上げでリズムを取る(引いた瞬間にカウントを取る)のを「プルビート」と言うらしいが、チャーリーはプルビートで演奏しているということだ。海外ではこの割合は半々らしいが、日本では99%プッシュビートらしい。勿論僕もそうだ。

 

そしてミックは「プッシュビート」でカウントし、キースは「プルビート」でカウントするんだって。カウントの仕方にこんなズレがあるんじゃあ、そりゃあ、まとまらないよな。その結果生まれたリズムを「揺れ」とか「グルーヴ」と呼ぶのかな。

 

このユーチューブ番組の先生は次にフォームに着目する。「音が出る」というのは動作の結果なので、チャーリーのフォームに注目すると、先生曰くチャーリ―は「肘主導」だと言う。肘主導の人は「手の平」と動きがリンクしている。そのバランスの良さが安定した音を出す、らしい。

 

チャーリー・ワッツの演奏は、曲によって揺れたり走ったりしているが、それは他のメンバーのリズムのとり方がそれぞれ違う(さっきも書いた)ので、それを聞きながら、ズレを無視したり合わせたりしているからくるもので、チャーリーのドラムプレイ自体は、バランスの取れたものであるとのことだ。

 

最初に書いたがチャーリーはまず「キースのギターだけ聞いている」。キースの弾き方によって叩き方を変えている。そうやって作った土台にミックが乗っかって歌う。このことがストーンズの非常に危ういと同時にスリルある演奏の秘密だそうだ。

 

 

ドキュメントの話に戻るが、僕が一番感動したシーンはミックとキースが2人で「カントリー・ホンク」を演奏した場面である。ペルーで「ここで『ホンキ―・トンク・ウィメン』が出来たんだったよな」と話すキース、「そうそう」と応えるミックの様子は、年寄りが昔話をしているんじゃなくて、2人とも少年になって話していた。そしておもむろにキースがギターを弾き出す。それも「レット・イット・ブリード」での「カントリー・ホンク」ヴァージョンだ。キースに合わせてそのままミックはフルで歌い切った。いつでもここに戻ることができるんだ、そしてそのことがこんなに長く続いた秘訣なのだと思った。

 

ライブの話も書いとこう。僕はキースの「今日はこんな感じでいこうかな」とか「ちょっと実験ね」という感じで弾くギターが好きだ。常に今まで何回も演奏してきた曲(50年に渡って演奏し続けている曲もある。それってちょっと想像できないな)にどうにかして新しい息吹を吹き込もうとする姿勢が好きだ。そしてそれを嬉しそうにアイコンタクトでチャーリーに伝えるところなんかは僕も嬉しくなってしまう。客を煽るミックを「おい、いつまでやってんだろうね」とロン・ウッド達と暖かく見守り、次の演奏に備える姿も好きだ。だからどうしてもキースにばかり目がいってしまう。

 

しかし、ミックもすごい。みんな言うが、70超えているんだよ。なのになんであんなに動けるんだ?フロントマンとしてミック以上の人はいないと他のメンバーは確信しているだろう。だからこそミックが客を煽っている時も暖かく見守っているのだろう。ミックはミックで後は他のメンバーが何とかしてくれると思ってやっているんだろう。あと特筆すべきはアンコールまでよくあの声が持つな、ということである。あんな真似は誰にもできない。

 

ハバナでは、アンコールの1曲目で「無情の世界」を演奏した。オリジナル通りに大人数のコーラスをつけてやったのは初めてではないだろうか。僕は初めて聴いた。そしてこのコンサートを成功させようとするストーンズの強い意志を感じた。最後のサティスファクションはゆったりしたテンポで余裕しゃくしゃくの演奏だ。この曲もいろいろな歴史を経てこのようなスタイルになった。昔はもっと性急に演奏してたよな。

 

 

そのストーンズチャーリー・ワッツ抜きでやるライブはどういうものになるのだろう。チャーリーに対して恥ずかしくないよう演奏しようと固く決意していることだけは間違いない。

 

 

 

やればできた

今週が終わろうとしている。月曜日から再び本来の場所(職場)に戻った僕は、恐怖に打ち震えていた。「こんなんで、果たして授業ができるのだろうか?」「どうやって授業してたっけ?」と。自分が働いていたのが何だか遠い昔のようだった。火水と教材研究をしていた僕は、木曜日に久しぶりに授業をした。6の2の社会と4の1,4の2の社会だ。

 

結果からいうと、ちゃんと授業はできた。反射神経みたいなものが僕にはまだ残っていたのだ。最初に6の2の授業が終わった時は、心底ホッとしたよ。「やればできるじゃん」と思った。その勢いで4年生の授業をやり終えた僕は、次の日のことを考えていた。金曜日は何かと気を遣うクラスだ。どうなるか分からない。まだ油断はできない。

 

金曜日は、早速授業の順番を間違えるという失敗をやらかしてしまった。いかんいかんと思いながら5年生の授業をしたのだけれど、思ったより反応がよくて昨日に続き安心することができた。その後の6の1の授業もそこそこできた。こうして僕の1週間は終わった。

 

というわけで今は久しぶりにリラックスしている。お盆が過ぎてからは結構ピリピリしていたからな。こんなにのんびりした気持ちになるのって3週間ぶりになるかな。

 

 

この1週間、僕の支えになっていたのは、先週に引き続き、いとうせいこうである。いとうせいこうは熱い心を持ったすごい人だ、と改めて思った。何でそう思ったのかというと、まずは、彼のポエトリー・リーディングだ。たまたまアップルミュージックで検索していたら見つけた作品である。

 

タイトルは「ミャンマー軍事政権に抗議するポエトリー・リーディング QUIET」。沢友恵とDUB MASATER Xがバックをつとめている。16分におよぶ大作である。

 

タイトルから推察されるようにのっけから凄い言葉から始まる。

 

「無抵抗の僧侶を威嚇してはならない 無抵抗の僧侶を殴打してはならない 無抵抗の僧侶を投獄してはならない 無抵抗の僧侶を殺害してはならない 彼らは権力の外にいて 権力とは全く別の法に則って生きているからである 彼らを威嚇し 殴打し 投獄し 殺害することは 別の法を持つものへの圧倒的な無理解 圧倒的な暴力である つまりは他者の破壊である そして我々もまた他者なのだ」

 

そして「ミャンマー軍事政権よ フリーアウンサンスーチーフリー」と軟禁状態になっているアウンサンスーチーを解放しろと執拗に呼びかける。

 

「我々もまた彼らである。彼らはまた我々である」

 

この言葉については、後で触れるかもしれない。いとうの言葉を続けよう。

 

「私は問いたいのだ 悪の衝動があるならば、善の衝動もまたあるのではないかと 人々は今 悪の衝動にばかり目を向け 怖れ 自分の中にそれを見いだしている だが諸君 私は問いたい 悪の衝動があるならば 善の衝動もあるのではないか 悪がこの世を覆うなら 善もこの世に満ち満ちるべきではないか 悪に狂わされる人間がいるならば 同じように善に身を任せる人間がいてよいのではないか 私はここに善のネイションの設立を宣言する」

 

「善の衝動」についても後で触れると思う。その後いとうは「対話せよ」とアジテートする。

 

「話し合いを拒んではならない なぜなら話し合うことが唯一 他者と他者を繋ぐ道だからだ 他者と他者が繋がれなければ 威嚇が始まり 殴打が始まり 投獄が始まり 殺害が始まる だから 対話せよ 対話せよ そして、対話のためにこそ伝え合え 言論の自由と 報道の自由はこうして 威嚇と殴打と投獄と殺害を防ぐためにある 対話せよと言い 伝え合えと訴えることは 威嚇と殴打と投獄と殺害の目の前に立ちふさがることだ」

 

淡々と詩の朗読が始まり10分以上それが続く。12分が過ぎてからまた最初の言葉を今度は激しく繰り返す。DUB の具合も激しくなってくる。沢友恵のピアノとコーラスは通奏低音のようにずっと響き続けている。いとうのアジテートはどんどん熱を帯びてくる。終わった後は、激しい拍手がいつまでも続いた。

 

 

このポエトリー・リーディングのライブ映像を観た(2008年4月19日)。最初はやはり淡々と語り出すいとうせいこう。椅子に座って朗読している。観客席もどこかのんびりしている。その空気がどんどん変わり、やがていとうは立ち上がり、観客を煽り出す。そして観客にも「立て!」と促す。続々と客が立って、「フリーアウンサンスーチーフリー」と叫び出す。それでもいとうの熱は収まらない。最後は叫んでいた。そしてピースサインをみんなに送る。

 

僕はいとうせいこうの音楽に関する映像を観るのは初めてだが、凄いものを観てしまった。

 

今日僕はもうひとつ、いとうせいこうの「『国境なき医師団』を見に行く」についても書く予定だったが、それは明日書くことにしよう。とにかく、「善で何が悪い!」といとうせいこうは、堂々と真正面から僕らに語っている。「それは幼稚な考えだよ」とはとても言えない凄味を持っている。これが今週の僕の支えになった。

 

 

 

夏眠日記その41

アメリカのド田舎(アラバマ州)ですよ、そこに『マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ』というのがあって、アレサ・フランクリンウィルソン・ピケットやなんかがそこで作品を録音するんです。そのサウンドに憧れたローリング・ストーンズがこの地でレコーディングするわけですよ。」

 

「そこでセッションした音は、都会の音とはどうもタイム感が違うというか、少し遅く聴こえるらしいんですよ。それが逆に『クールだ』と言われるんだってマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオのミュージシャンが言ってるわけです」って小林克也が言ってかけた曲が「ブラウン・シュガー」だった。調べると、1969年12月1日から4日にかけて行われたこのスタジオでのセッションから「スティッキー・フィンガーズ」の製作が始まった。そしてここで録音した「ブラウン・シュガー」「ワイルド・ホース」が収録されたということだ。

 

というわけで、僕は改めて「ブラウン・シュガー」を聴いてみる。いつも思うがこの曲でチャーリー・ワッツが奏でるドラムのタイム感は(今聴いても)只事ではない。このドラムの感じが2曲目以降もずっと続く。「スティッキー・フィンガーズ」はそういうアルバムだった。

 

時を少し進めて「ラヴ・ユー・ライヴ」(1977)の「ブラウン・シュガー」を聴いてみる。しかし、「スティッキー・フィンガーズ」とは随分違う。僕は少年時代にこっちの方を先に聴いたものだから、「『ブラウン・シュガー』ってノリノリのタイトなロックンロールナンバーなんだ」って思っていた。その後オリジナルヴァージョンを聴いて「もともとはこんな感じだったんだ」と思ったわけだ。でもほんとにオリジナルヴァージョンの凄さを分かったのなんてもっと後だった。お前、ほんとに分かってんのか?と言われれば俯くしかないけど。

 

そしてもう少し時を進めて「女たち」(1978)を聴いてみる。するとあったあった。「When the Whip Comes Down」だよ。初めてこの曲を聴いた時はとにかくじれったかったのを覚えている。この感じは「ブラウン・シュガー」だ。でも同時に「Lies」みたいにまるでパンクな曲もこのアルバムには収録されている。つまりチャーリー・ワッツは曲によって叩き方を変えていたわけか。

 

みたいな話を書こう書こうと思っているうちにチャーリーは亡くなってしまった。9月のツアーには参加しないというニュースは聞いていた。それに「ミックによればストーンズは解散しないんだって」「だから一人また一人と抜けることになるんでしょうね」と小林克也が言っていた(前に書いた)。これが現実のものになったんだ。

 

うーん、結構ショックだぞ。しばらくは彼の死を悼みながらストーンズを聴くことになりそうだ。

 

 

 

今日2回目のワクチン接種に行ってきた。いろいろなことがあって僕の気分は悪い。ワクチンの副反応かな。久しぶりに胸が悪くなってきた(比喩じゃなくて身体的に)。

 

 

 

しかし、思わぬところで助けが入った。たまたま買った本に救われたのである。その本の名は「ど忘れ書道」。著者はいとうせいこうである。彼がど忘れした言葉を忘れないように筆で書き留める、そしてどのように忘れ、どうやって思い出したのかが書かれた本であるが、一人でゲラゲラ笑いながら読むことになった。いとうせいこう、おそるべし、である。こんなに笑ったのは同じく彼の「ポタニカル・ライフ」以来だ。胸の気持ち悪さはいつの間にか消えている。

 

 

 

 

夏眠日記その38

ラジオのエアチェック、と言っても今の若い人には通じないだろうか。僕が音楽を自分の意志で聴こうと思った時にしたことがラジオのエアチェックである。言葉通り、ラジオを聴いてこれは、と思った曲をカセットテープに録音する、ただそれだけのことだ。お金もかからないし(カセットテープ代だけ)。多分14歳くらいから24歳くらいまでは普通にこういうことをやっていたと思う。世の中の少年少女も多かれ少なかれ、ラジオのエアチェックにいそしんでいたと思う。思えば約10年という短い期間だったが、今の自分を作っている大事な要素のひとつだ。そうか、あれから30年以上経ったんだ。

 

僕が初めて録音したのはNHK-FMの夜11時頃から放送していた「クロスオーバーイレブン」という番組だった。今でもやっているのかな?全然音楽に関する情報がない僕はFMレコパルという本を購読していた。その本に番組表が載っていてクロスオーバーイレブンという番組もそれで知った。しかもご丁寧にもどんな曲を放送するかまで掲載してあったので、それを手がかりにしてエアチェックをしたわけだ。

 

勿論知識なんてないから「あたり」をつけてエアチェックをすることになるのだが、ほんとに「当たり」が来た時は嬉しかった。どんな曲が「当たり」かというと、まずビリー・ジョエルの「ビッグ・ショット」が思い浮かぶ。ビリー・ジョエルといえば「ストレンジャー」やら「オネスティ」等が思い浮かぶし、実際に流れていたけれど、僕にとってのビリー・ジョエルは「ビッグ・ショット」なんだな。「僕は今、新しくてごきげんで『ニューヨークな』音楽を聴いている」と当時思ったものだ。

 

「ビッグ・ショット」は後に彼のベスト盤で聴こうと思ったが、なかなか収録されていなかったんだよね。今じゃすぐに(ホントに聴きたいと思ったら光速で)聴くことができるけど。この曲が入っているベスト盤を聴いた時は、「クロスオーバーイレブン」な気分がぶぅわ~っと襲って来てまいったよ。こういう感覚は50代の人には分かってもらえるだろうか。

 

同じように「クロスオーバーイレブンな気分になる」曲を挙げるとしたら、ロッド・スチュアートの「アイム・セクシー」で決まりだな。勿論曲もいいんだが、当時のことが甦ってきて困るほどだ。後に色々な時代のロッドを聴くことになるし、どの時代にもお気に入りの曲があるのだが、「アイム・セクシー」が基本なんだ、僕にとってのロッド・スチュアートは。

 

 

 

 

3日ブログを書かなかったことになる。「書かないこと=解放感でいっぱい」だった。そりゃそうだ。何も考えなくていいんだもの。ブログを書く時間を何にあてたかといえば何もしていない。ウォーキングも休んだしな。今日も含めてこの4日間は何も生産的なことはしなかった。そういえば何を思ったかグリーン・デイを初めて聴いたぞ。「アメリカン・イデオット」。コード一発ガーン!でやっちゃうところがよかったな。あとはピンク・フロイドキング・クリムゾンだ。本も少し読んだかな。

 

 

思えばここ数か月間は、毎日文章を書いていたんだ。つい最近のことなのだが、今では全く信じられない。それによく書くことがあったものだ、とも思う。少し「毎日書くべし」という強迫観念にとらわれていたようにも思う。不思議だったのは、この3日間のアクセス数がいつもより多かったことだ。だから、ふ~んそうなんだ、毎日書かなくてもいいんだ、と思った。これからは自分が書こうかな?と思ったら書くことにしたいものだ。字数も大体これくらいが適量かな?

 

 

明後日学校に行くことを校長に伝えた。再び仕事に戻るという緊張感もブログをストップした原因の一つかもしれない。この非日常な生活はもうすぐ終わるのだ。夏眠がもうすぐ終わる。明後日は午前中に学校へ行き、午後にはワクチン接種2回目だ。だんだん忙しくなる。

 

 

 

 

夏眠日記その36

粛々とギター練習というかスケール練習に取り組んでいる。僕の場合、集中力の持続が一番の問題点なので、お香を目安に練習することにしている。練習前に長めのお香を焚いて練習を始める。ふと見るとお香が燃え尽きている。そこで一服してもう1本お香をつけて練習、という風にやっている。

 

まだ10日くらいだけど、ひたすらCメジャースケールの練習をしていると、少しずつ指が動くようになるものですね。10日前とはだいぶ違う。僕の第一の目的は狙った弦にちゃんとピックで弾けるか、なんだけど、感覚が何となくついてくるというか、不思議なものだ。JUNさんの言う通り、これはある種のスポーツなんだな。課題は小指の押さえが弱いことだ。特に1弦から「ドシラソファミレド」と下がっていくときに、どうしても押さえが弱くて音がビビってしまう。

 

次はパワーコード練習である。これもつっかえつっかえやっているんだけど、少しずつ感覚が分かってきた。いや分かってはいないけど、左手の動きがよくなっているのが分かってきた、に近いかな。課題はGからFへの移動だ。ほんの少しの距離なのに何故だろうか。体から遠くに左腕を持っていくというのが難しいのかもしれない。

 

そして「スウィート・ジェーン」のイントロ練習をする。D→A→G→Bm→Aという簡単なコード進行を延々繰り返す練習なのだが、なかなか思った通りにならない。いやスケール練習やパワーコード練習よりできてるんだけどね。課題は右手首のしなりだ。JUNさんの手首をイメージしながら練習してるんだけどな。

 

問題は集中力の持続と書いたが、僕には堪え性(集中力と同じか)もない。ゆっくり確実に弾くことができるように、を心がけているが、つい速く弾きたくなってしまう。いかんいかんと思いながら、またゆっくり確実を心がけている僕である。

 

とこんな感じで練習しているが、いよいよ新たな課題「レイラのイントロ」に着手した。こんなハイポジションを触るのなんて初めてだ。そこからかよー、という声が聞こえてくるがそうなんだよ。未だに何フレットかパッとは分からない僕なんだ。レイラは押さえ方は比較的簡単(←もしかしたらスケール練習効果なのかな?)だが、それらしく聴こえるようになるまで時間がかかりそうだ。とにかく今日からレイラも練習メニューに加わった。

 

あと、エレキギターだからといって何もアンプに繋がなくても練習はできるんだと、今更ながら気づいた。その方がお手軽に練習できる。でも多分アンプに繋げると上手く音がでていないことがよく分かるんだろうな。もう一つある。左の指先が思ったように固くならないことだ。アコギだったら今頃結構固くなっているはずだ。やはりりエレキの弦はそれだけ柔らかいってことか。

 

 

 

今は雨が降っている地域がほとんどなのかな。僕の住んでいるところもずっと雨が降っている。だから気持ちが盛り上がらないわけではないが、何となくまったり落ち着いた時間を過ごしている。しばらくは外ウォーキングはできないかな。

 

 

 

と書きながらも、昨日のやり残しであるキング・クリムゾンを勉強している。これはピンク・フロイドより難しく聴こえるぞ。一聴しただけでは全貌が分からない。でも「Prelude : Song of Gulls」という曲が聴こえた時はキーボードを打つ手が止まったぞ。クラシカルな曲調が美しい。そのまま知らないうちにタイトル曲の「Islands」に突入していたが、この曲も美しいじゃないか。どうしても僕はクリムゾンといえば「21世紀の精神異常者」と「太陽と戦慄」が最初に思い浮かぶもんだから、こんなに美しい曲がくると「ええっ、そうくるん?」と思ってしまう。

 

ピンク・フロイドには既存のロックの世界を広げようとする意志を感じる、というようなことを昨日書いたがクリムゾンはどうだろうか。うーん、よく分からない。これはロックなのか?しかし、こんなエピソードを思い出した。ロバート・フリップはレコーディングの時にまずロックの名曲を大音量で演奏していたそうだ。それが一通り終わるとおもむろにクリムゾンの曲に取り組んでいたらしい。そう思うと、ロバート・フリップの根っこには「ロック」があったんだろうと思わざるを得ない。でも同時にいろんな音楽を聴いてきたんだろうな。じゃなきゃこんな曲創れないよ。

 

しばらくはピンク・フロイドキング・クリムゾンという2大プログレバンドにハマりそうだ。いやあ、幸せだなあ。新しいものを体に入れるって楽しいよ、全く。