hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

吉井和哉「元気になるまでの日々」の記録

つい最近吉井和哉がソロシングル「みらいのうた」を発表していることを知った。そのことは後に書くかもしれないとして、それにつられて僕はつい吉井の過去のソロ作品(YOSHI LOVINSON時代から吉井和哉名義のものまで)に手をのばしてしまい、今はそのリストばっかり聴いている。いやあ、困ったな。だって暗いんだもん。

 

その時は、分からなかったけれど、全体を俯瞰して見ると「そうか」と分かることはあると思う。音楽家や画家、作家等のアーティストの作品群を見る時なんて特に分かりやすい。吉井和哉のソロ作品群もそうなのかもしれない。

 

吉井和哉のソロ作品で気になる曲を(昔よく聴いていた曲を)片っ端から取り込み、年代順にしてみると当時はあんまり分からなかったのが「暗い」、そして「元気になるまでの日々」の記録であるということである。まあなんで元気じゃなかったのかについてはいろいろあっただろうが。

 

僕が初めて彼のソロ作品を聴いたのは初シングルの「TALI」である。そしてその後、アルバムを聴いたのだが、好きな曲とそうでもない曲が割とはっきり分かれていた。これはその後のアルバムでもそうだった。だから今回改めて曲を取り込む時も全然迷うことはなかった。

 

 

このあたりで、ささっと彼のソロ活動を振り返ってみよう。

 

初シングル「TALI」は2003年10月1日発売だ。吉井37歳くらいかな。その後約12年間をソロ活動に専念することになる。50歳を前にしてイエロー・モンキー再結成(再集結だっけ?)することになるわけだ。50前にいろいろ考えることはあったんだろうな。ロック・ミュージシャンとしては大きい節目だろうしな。

 

それにしても「TALI」を初めて聴いた時は「かっこいい」って思ったんだが、今聴くとほんとに暗いよ。なんか元気ないよ。いや、だから悪いって言ってるんじゃないけどね。「あっちの人も失敗だ こっちの人も失敗だ 失敗ばかりのバケツリレー ねえ足りないものは何だろう」と嘆く(?)歌詞にマイナス思考しがちな僕は痺れた。カップリング曲の「スティル・アライブ」なんかもうどん底だよ(←でもとても気に入っていた)。この曲を僕はその後路上ライブで何回も歌うことになる。

 

ファーストアルバム「at the BLACK HOLE」(2004)では「20GO」「FALLIN‘ FALLIN’」「SWEET CANDY RAIN」を取り込んだ。この頃の僕は、まだ中途半端な仕事っぷりだったと思う。「楽しけりゃいいや」みたいな感じだったかな。勿論基本的には真面目だったけどね。

 

2nd「WHITE ROOM」(2005)は前半の曲をよく聴いていたな。4曲取り込んだ。「PHOENIX」「CALL ME」「WANTED AND SHEEP」「欲望」だ。これらの曲も当時は「すごい」と思って聴いていたんだけど・・・。今聴くとツラい。しかし英語のタイトルが多いな。

 

3rd「39108」(2006)から取り込んだ曲は意外と多い。「人それぞれのマイウェイ」「黄金バッド」「WEEKENDER」「BEAUTIFUL」「恋の花」「BELIEVE」の6曲だ。プラスシングルカップリング曲の「MY FOOLISH HEART」(←隠れた名曲)を加えて7曲だ。しかし毎年アルバムを発表していた吉井はエライ。インタビューではこの頃から「少しずつ戻っていますね」みたいなことを渋谷陽一から言われていたような気がする。

 

4th「Hummingbird in Forest of Space」(2007)からは「Biri」「Pain」と意外と少ない2曲だ。でも1枚丸ごとをよく聴いていた記憶がある。吉井の調子が少し上向いてきたのがこの頃だ。

 

 

どうでもいいことだが、今は日曜日の14時だ。もう明日のことを考えてしまい、心臓がドキドキしっぱなしだ。明日がこわい。取り敢えずこれを仕上げなきゃ。

 

 

5th「VOLT」(2009)からもしかして英語表記のタイトルが少なくなってきたのかなあ。「ビルマニア」「フロリダ」「ノーパン」「バッカ」の4曲である。この頃の僕はもう前に書いたサカグチ先生に出会っていてバリバリ仕事をしていた。この年は6年生を担任していたはずだ。このアルバムにはずいぶん元気づけられた。「いよいよ(復活)ですね」みたいに渋谷陽一も言っていたし、吉井和哉も嬉しそうに答えていた。「フロリダ」では「鳴っちゃったんだよ 初めてなんだよ アメリカで ホントのロックが鳴っちゃったんだよ」と歌うまでになった。

 

そして満を持して出されたのが6th「The Apples」(2011)である。吉井はいつものようにアメリカには行かずに日本で一人でレコーディングした。「THE APPLES」「VS」「おじぎ草」「HIGH & LOW」「FLOWER」プラスシングルカップリングの「リバティーン」「星のブルース」を取り込んだ。この時は仕事上最悪の年度だった(2010年4月~2011年3月)。4月に発売されたこのアルバムにはずいぶん助けられたような記憶がある。そして、その勢いでコンサートにも行った(5月だったように思う)。コンサートホールに行ったことはそれ以来ない。かれこれ10年ホールに行っていないことになるか。もう一生行かないような気もしている。

 

最終的には2015年に7thアルバムを出して(「クリア」だけ取り込む)、その後企画物アルバムを出して(その前にベストも出したな)、イエロー・モンキーに繋がるわけだ。ちょっと端折ったところがあるけど、大体こんな感じだ。そうだ、ベストの中の新曲「HEARTS」の「次の場所へ」という歌詞に痺れたんだっけ。「TALI」で「失敗ばかり」と言っていた男が「次の場所へ」と歌えるようになったんだ。12年かけて。その途中経過を赤裸々に描いているソロアルバム群は僕にとって忘れられないものばかりだ。

 

僕は、知らず知らずのうちに平沢進ばかり聴いている時期が来るのだけど、それは間違いなく心の調子が悪い時である。調子の悪いことは途中で気づくんだけどね。でも吉井和哉の場合もそうかもしれない。この元気のなさ、少しずつ元気になっていく様子を聴く時って調子を落としている時なんだろうな、きっと。ということはこれからも必ず吉井和哉ブームが来るってことだ。まあ、今は久しぶりに吉井和哉を聴くことになった、そして僕はちょっと調子が悪いことが分かった。それでよしとしよう。「みらいのうた」については書けなかったがいい曲だよ。

 

それにしてもAマイナーを使わせたら吉井和哉の右に出る人はいないな。