今日は予定していた雨で稲刈りが延期になった。よって午後は丸々空いた。自分の教室でずっと横たわっているのも憚られたので、頑張って自由進度学習のプリントを3枚作っちゃったよ。6年生は木曜日からそのプリントを使って3回オリエンテーションをしてから自由進度学習に取り組んでみようと思う。
「自由進度学習」を始める前に伝えたいこと ~その4~
「自分のアタマで考えよう ~勉強を通して自分をコントロールする力をつけよう~」
先日「セルフネグレクト」が現代社会の問題の一つであるという番組を観ました。
生活環境や栄養状態が悪化しているのに、それを改善しようという気力を失い、周囲にも助けを求めない状態を指す。
先生が思ったこと
・勉強を通して「自分をコントロールする力」を義務教育の間に身につけられたら、と思いました。「自分のアタマで考える」「自律」とつながってくると思います。
↓
「自分をコントロールする」
これは決して簡単な事ではありません。だからトレーニングが必要です。何度も失敗して、何度も自己分析をして、何度も計画を立て直して、色々試してみて、また失敗して、「自分なりの一番の答え」を見つけ続けていくことをあきらめないでいきたいな、と先生は思っています。
「自分をコントロールする」って例えばどういうこと?と思っている人へ
小学3年生の時点で「自分をコントロールする力」はどれだけ身についているか考えてみよう。
・友だちから言われた一言にカッとなり、手を出してしまった。
・9時に寝ると決めたのに、ズルズルと9時30分・・・9時50分・・・とおそくなり、「まあ、いいか・・・」となってしまった。
これらは「自分をコントロールできていない」代表的な場面です。
「自分をコントロールする」のって本当にむずかしいですよね(先生にとってもむずかしいことです)。しかし「あきらめてはならない、これから生きていくために必要な力」です。
そのためには、小学生のうちから「勉強」を通して「自分で自分をコントロールする力」をみがいていくといいんじゃないかな?って先生は思っています。むずかしかったかな?
まあ、そういう時もあるさ。
「自由進度学習」を始める前に伝えたいこと ~その5~
「自分のアタマで考えよう ~楽しむ力をつけていこう~」
「楽しい」と「楽しむ」とは一文字しか違いません。でもこの2つの言葉には大きなちがいがあります。
「楽しい」は、基本的には「誰かから与えられたもの」です。
・マンガが楽しい ・ゲームが楽しい ・先生の授業が楽しい
などのように外からの刺激(しげき)を受けて、自分の中にわき上がる感情が「楽しい」です。
受動的な感情の一つです。「楽しい」ことはすばらしいことなのですが、ひとつ問題があります。
「誰かが与えてくれる楽しい」ばかりを求めるようになると、ある問題が起こります。
・「〇〇はつまらない」 ・「〇〇の方が楽しい」
・「〇〇は何だかびみょうだ」
自分の心が「プラスの反応」をしていれば「楽しい」
自分の心が「マイナスの反応」をしていれば「つまらない」
自分から進んで努力するわけでもない、立ち止まって考えることもしない。だけど「楽しい」だけは与えてもらいたい。こういう「お客様感覚」の人には重大な問題がふりかかります。分かる?
人のせいにするのが当たり前の人になります
人のせいにするのが当たり前になった人の未来はわかりますよね?
・勉強がつまらないのは〇〇のせいだ ・部活がつまらないのは〇〇のせいだ
・今のクラスがつまらないのは〇〇のせいだ
全部、人のせいにすればいいことになります。
こんな人生、楽しいかなって先生は思っています。「楽(ラク)」かもしれないけどね。
じゃあ「楽しむ」はどうだろう?
「楽しい」ではなく、「楽しむ」を大切にする人は、「楽しむかどうかは自分が決める」という考え方が基本にあります。
「こうすれば楽しくなりそうだ」
「これでダメなら次はこうしたらいいんじゃないかな」
「こんなやり方もおもしろいかもしれない」
などのように考え方は前向きになり、早く「レベルアップ」できます。
人のせいにしない。自分に質問する。←自分をせめるとか落ち込むとは全然ちがうよ
このことをhanami先生は生きていくうえで大切なことだと思っています。
もう1回書きますね(←しつこい)
「楽しむ」人間であれ。「楽しむかどうかは」自分が決めるんだ。
「勉強はつまんない」という前に、君に楽しむ力はあるのかい?という話でした。
チャオ!
「自由進度学習」を始める前に伝えたいこと ~その6~
「自分のアタマで考えよう ~かしこい人になろう かっこいい人になろう~」
学校はなんのために来るのか?先生はこう考えています(みんなも自分のアタマで考えてみてください)
学校は「かしこく・カッコいい人」になるために来る場所だと思っています。
その1:学校はかしこくなる所です
学校に来て、少しも「かしこく」ならずに。5限とか6限目を終了したのであれば、何のために来たのでしょう?学校という場所は、勉強をして、みんなが「かしこく」なっていくためにあります。だから、学校に来ている間に、ほんの少しでも何かを学び、朝きた時より、わずかでもいい、わずかでもいいから成長して、家に帰ってほしいと思っています。
この場合の「かしこく」なるって、どういうことだろう?テストで100点を取るってこと?みんなの前で自分の意見を言えるってこと?それもあるでしょう。でも「かしこさ」ってそんなに分かりやすいものではないとも思っています。
さてさて。みんなは「かしこくなる」ってどういうことだと思いますか。自分のアタマで考えてみてね。
学校には来るだけで、教室に静かに座っているだけでは成長はしませんよ。
必要なことはハッキリしています。「自律」の心です。高学年になっても「勉強は先生が教えてくれるものだ」「先生が何をしたらいいか指示してくれるものだ」と思っている人がたくさんいます。
先生が宿題を出さなければ、勉強しないの?
先生が土日くらい休みなさい、勉強しなくていいんじゃない?と言ったらしないの?
自分のアタマで考えてみましょう。あなたの人生の主人公はあなたであり、コントローラーをにぎっているのはあなた自身です。先生じゃないんだよ。
その2:学校はカッコよくなる所です
もちろん「カッコよく」とは外見を指しているものではありません。実は外見という言葉のもとの意味は「ふさわしい」という意味なのです。
では、何においてふさわしくなることが求められるのでしょうか?
皆さんの場合は・・・
「〇年生として」ふさわしい行動であるか?
「高学年として」ふさわしい行動であるか?
「〇年生きてきた人間として」ふさわしい行動であるか?(←これは自分で書いていてツラい・・・)
これらの「立場」に対して「ふさわしく」なっていくとは、どのようなことでしょう?
・あいさつを全然しない高学年って高学年に「ふさわしい」でしょうか?
・「勉強ってマジつまんねえよな!」って言っている高学年ってどう?
・そうじの手をぬいて、なんとなくやっている人は、10何年生きてきた人間として「ふさわしい」行動でしょうか?
自分のアタマで考えましょう。何が「カッコよい」のか。
先生から言えることはひとつ。
年下の人間は、あなたたちが「年上」だからあこがれることはありません。あなたたちの「行動・姿」にあこがれるのです。
「かしこくなる」はアタマの成長です。
「カッコよくなる」は心の成長です。
アタマだけでなく、心だけでもなく、アタマと心の両方を、学校でレベルアップしていってほしいと思っています。でも「高学年として・・・」って何かにつけて言われ続けるのはうっとうしいと思っている人は多いんじゃない?それでも先生に「押し付けられる」より「自分で決めてやる」方がカッコよくないか?
あー、でも今回はツラかったなぁ。書いたことは全部自分にはね返ってくるからな。
じゃあね!アディオス!!
とまあ、こういうことを書いたわけだが、ちょっとプリントの枚数が多すぎる。どうしようかはまだ思案中である。しっかし、このブログでは自分のダメっぷりを散々書いているというのに、こんなエラそうなことを書いている(まぁ、前に書いた本の引用だらけで僕が書いたところはちょびっとなんだけど)のってどうなん?って思うよな。全くの嘘ってわけじゃないんだけど、こうも綺麗事を書くのもしんどい。きっとこのままプリントを出すと子ども達もしんどくなるだろう。教員というのはなかなか難儀な職業である。
レコード活動は順調である。朝はマイケル・ジャクソン、デヴィッド・ボウイなどで気持ちを盛り上げる。帰ってからは今まで購入したレコードをもう1度聴き直す。ピンク・フロイド等の新規のレコードも聴く。忙しいったらない。
それにしても仕事をするようになってから(まだ4日だけど)、あっという間に前のペースに戻った感じである。まだまだ油断はできないけれど。あんまり飛ばし過ぎないでそぅっと生きていきたいものである。というわけで今度こそブログ活動をゆっくりペースにしようと思う。
おやすみ!