hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

緑といえば三沢、三沢といえば緑

三沢というのはプロレスラーだった三沢光晴のことである。「だった」と書いたのは、ご存じの方はご存じだと思うが、故人だからだ。6月13日は彼の命日だった。2009年のことで彼は46歳だった。僕は彼について2回記事に書いていた。ちゃんと書いていたんだ。よかった。今日はその時と内容がダブるかもしれないが、徒然なるままに書いてみようと思う。

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三沢光晴は1962年生まれで、高校卒業後の1981年3月27日に全日本プロレスに入団する。高校時代はアマレスをし、国体で優勝するなど基礎はしっかりしていたからか、同年8月21日にデビューする。入門5か月でのデビューは同団体で最速だった。その後若手として活躍し、メキシコに遠征していたが、1984ジャイアント馬場から2代目タイガーマスクになるよう命じられる。初代タイガーマスクと比較されることを嫌い、また己の本来目指すプロレスを前面に出したいという思いから、ヘビー級転向をするが、体格の差もあり、膝等の怪我に苦しんだ。

 

そして1990年になる。この年の春、全日本プロレスは天龍離脱という大事件が起こる。全日本プロレスは存亡の危機に晒された。そこで立ち上がったのはもうメインから降りていたジャイアント馬場だった。自らメインのカードに出場することを決意する(結果は惨敗だった。ちょっと見ていられないくらいに馬場はぶちのめされていた)。しかしメインの前、セミファイナルでは一つの決意表明が行われていた。三沢タイガーは、試合中に相棒の川田利明にマスクの紐を外させ、自らマスクを脱ぎ、客席に投げ入れた。新しい三沢光晴の誕生である。

 

その後すぐにエースであるジャンボ鶴田と抗争を繰り広げ、その抗争の過程で、自身のプロレス人生の最後まで三沢を助けた伝家の宝刀「エルボー」が生まれる。6月には初めてシングルで鶴田からフォール勝ちを収める。その勢いで8月にはスタン・ハンセンに勝利し、三冠ヘビー級王座を獲得する。三沢を中心とする超世代軍とジャンボ鶴田の鶴田軍の世代抗争は全日本の新たな名物カードになった。

 

いかん。こんなことを書いていると終わらなくなるな。タイトルの緑の話にもいかない。

 

ジャイアント馬場の死後、全日本プロレスの社長になった三沢だったが、諸々の事情で2000年に全日本プロレスを脱退し、新団体「プロレスリング・ノア」を旗揚げする。2001年4月15日にはGHC選手権決勝戦が行われる。カードは三沢光晴高山善廣。21分12秒エメラルド・フロウジョンで三沢が勝利した。

 

ノアを旗揚げしてからの三沢は見るからに体調が悪そうだった。体も絞り切れていない。腹がポッコリ出ている。でも闘う姿勢は変わらなかった。前述した高山戦を最近観たが、今でも十分説得力のある闘いだった。僕が好きな三沢の仕草は額の汗を右手の指でピッピッとはねるようにぬぐう様だった。

 

だが、2009年6月に東京スポーツの取材で「もうやめたい」と自身の気持ちを吐露するまでになっていた。それから4日後の6月13日の試合中に受けたバックドロップが原因で三沢は亡くなった。

 

タイトルの緑は、三沢を象徴する色として知られる。タイガーマスクをやめてからの初の試合から緑のロングタイツを着用したと記憶している。それ以来緑の三沢として大いに名を上げたが、自身で旗揚げしたノアのリングの色もまた緑であった。当時としてはあり得ないことだった。リングって白いもんだと思っていたからね。

 

最後に前の記事で書いた手紙についてもう一度触れたい。手紙というのは三沢が事故で亡くなる2年前に親しい友人に託したものである。「もしも俺がリングの上で死ぬことがあったら、その時の相手に伝えてほしい」と言われて受け取った手紙の内容が以下のものだ。

 

「重荷を背負わせてしまってスマン」「きっとお前は俺のことを信頼して、全力で技をかけてくれたのだと思う」「それに俺は応えることができなかった。信頼を裏切る形になった。本当に申し訳ない」「それでも、お前にはプロレスを続けてほしい」「つらいかもしれないが、絶対に続けてほしい」と対戦相手が自らを責めることを予見した内容であった。

 

三沢は激しい試合の代償で全日本時代から思った通りに言葉が出ない、日中でも立ちくらみがする、といった症状に悩まされていたそうだ。晩年は頸椎に骨棘と呼ばれる棘状の軟骨が増殖して、日常的な動作もままならなかったそうだ。

 

これも前に書いたが、それでも死の直前まで弱音を吐かなかった三沢は男の中の男だと思う。ウィキにはそんな三沢の男気溢れるエピソードがたくさん書かれている。

 

三沢が亡くなってもう10年以上経つが、今でもテレビで追悼番組をやっているんだ。それくらいすごい男だったんだ。その番組で行われる試合では常に「みさわっ、みさわっ」と大観衆が全力で三沢を応援している。男冥利に尽きただろうな。