2009年5月2日から14年が経った

14年前の5月3日だったと思うが、テレビを観ていた妻が急に体を起こし、「知っとる?清志郎亡くなったよ」と僕に話しかけた。

 

僕はこの頃精神状態が最悪で、妻ともほとんど喋らなかった。妻もそんな僕に遠慮してか、ほとんど僕に喋りかけなかった。そんな妻が体を起こして言った言葉が僕の心を突き刺した。

 

「テロップ流れとるよ」と妻が言う。僕は「ああ、遂にこの日が来たか」と思った。彼が闘病生活を送っていたことは知っていた。僕の心は更に沈んだ(結局この年の夏休みに生まれて初めて病休を取ることになった)。

 

この年の6月上旬には三沢光晴、下旬にはマイケル・ジャクソンが亡くなったことも僕にとってはショックな出来事だった。

 

清志郎に話を戻そう。享年58歳。今の僕の年齢と同じである。前の年には「完全復活祭」として武道館でコンサートを行っていた。しかし病気が再発し、再び闘病生活を送った末の逝去だった。

 

新生RCサクセションで大ブレイクしたのが30歳頃の頃だ。それから20年以上も第一線で活躍していた。僕は何回彼のコンサートに行っただろう。遠藤ミチロウを別にすれば、一番生で見たミュージシャンだ。そして今も僕は彼の音楽を聴き続け、ブログでは何回も何回も記事にしている。

 

 

僕は清志郎と同じ年齢になったというのに、何だか冴えない人生を送っているような気がする。いや、そんなことないか。こうやってブログを書き続けているんだもの。それだけでも今までの僕からは考えられないことだ。元気出さなくちゃな。今日も話があっちこっち行ったり引用したりすると思うが、清志郎について書いてみよう。

 

「たかだか40~50年生きて来たくらいでわかったようなツラをすんなよ」と言って清志郎は58歳で亡くなった。エッセイ(「瀕死の双六問屋」)の気になる部分を引用してみよう。

 

「・・・誰かにまかせていたんじゃ、過去の曲だけに流されてノスタルジーにされちまう。人々を想い出の中に閉じ込めてミイラにしてしまおうと誰かが陰謀をたくらんでいるのさ。上からの圧力かもしれない。『若い頃は良かった』と思う人間ばかりだったら、政治家どもの思う壺だ。『芸術は常に過去をのりこえて新しい物を作ってる』岡本太郎先生の言葉だ。俺は芸術家になりたいと思っているのさ。大きな声でもう一度言おう。俺は芸術家になりたいといつも思ってるんだ」

 

「過去の若かりし自分にすがりついて行くのか、常に新しい発見を求めて行くのかっていう問題だ。少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい」

 

こんなコメントをするほどイラついていたのはこれを書く前に「君が代」問題、またインディーズ業界の問題に踏み込んだライブハウス問題があったからである。

 

 

かつてRCサクセションのアルバム「カバーズ」で反核原発問題を歌ったところ、発売中止をくらった清志郎。それからおよそ10年後にまたもや発売中止騒動に巻き込まれたわけだ。

 

 

1999年9月に発表したアルバム「冬の十字架」に日本国国歌「君が代」のパンクアレンジが収録されている。これが問題になった。折しも国会では日の丸を国旗とし、君が代を国歌と定める国旗国歌法案が議論されていた。それにビビったレコード会社が発売を中止した。(その後インディーズから発売された)

 

これには清志郎も怒った。またしても歌いたい歌が歌えないのかと。その清志郎に左翼が飛びついた(風に僕には思えた)。筑紫哲也と対談もしていた。清志郎曰く「ジミヘンがアメリカ国歌をやってるんだから、僕が『君が代』をやってもいいんじゃないかと思った」そうだ。国内外の政治問題にも目を光らせていた清志郎は「国の歌さえも自分たちで決められない情けない国」だと別の歌で歌ってたな。

 

それにライブハウスのオーナーのことを歌った(揶揄した?)歌で清志郎本人がライブハウスを出入り禁止になったり、CDの発売が中止になったりした。「瀕死の双六問屋」には、その時期の怒りをストレートに書いている。

 

「ユーモアを理解できない人間とはつき合いたくない」

ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアの分からない人間が戦争を始めるんだってね」

 

「俺は君の近所に住んでる49歳のただのオヤジだよ。お前のやったことにもいちいち頭に来るんだよ。納得のいかないことをされたら、結構頭に来るんだ。わかるかい?誰だって年を重ねるんだ。だけどオヤジになったら、あいつは終わったなんて、そんなマンガみたいな事はそうざらには無いのさ。誰か君の近くにいる40歳以上の人に聞いてみろよ。終わってねえんだよ。どんどん発達してんだ。30歳くらいですべてわかったツラすんじゃねえよ。何冊の本を読んだか、何枚のレコードを聴いたか知らないが、終わらないものは終わらないんだ。簡単に結論づけてもらっちゃ大まちがいなんだぜ」

 

と執拗に怒りをぶちまけている。こういう時の清志郎は容赦がない。自分にできる手段(歌うこと、テレビで喋ること、文章に書くこと)を全て使って対象を攻撃する。そしてさっきの文章の最後にこう書いている。

 

「誰か止めてくれ。武田くん(←武田真治のこと)眠ってないで俺を止めてくれ。目の前にテーノーな奴等がちらついているんだ」

 

 

僕はこの一連の騒ぎの時には、プライベートで問題を抱えていたので、そんなに清志郎の動向を熱心に追いかけていたわけではない。そして何よりも「君が代」のパンクヴァージョンに乗れなかった。発想としては面白いけれど、曲としてはあんまり面白くないな、と思っていた。だから「何だか知らないけどえらく怒ってるな」くらいの認識しかなかった。

 

その後清志郎はソロ3部作「KING」(2003)「GOD」(2005)「夢助」(2006)を発表する。「KING」「GOD」は買ったもののあまり聴かなかった。「GOD」収録の超名曲「JUMP」も大分後になってその素晴らしさに気づく始末だった。

 

しかし「夢助」は「何だか今までと違うかも」と思い、発売日に購入した覚えがある。ナッシュビルでスティーブ・クロッパーをプロデューサーに迎えて作られたこの作品が存命中の最後のスタジオ盤となった。何と言っても盟友チャボと久しぶりに共作した「激しい雨」を聴けたのが嬉しかった。「♪RCサクセションがきこえる ♪RCサクセションが流れてる」というサビはチャボのアドバイスだったという。しかしこの年に喉頭癌であることを発表し、音楽活動を休止するのだった。

 

 

 

これで何回目だろうってくらい忌野清志郎について書いてきた僕だが、これからもきっと彼について何がしかのことを書くだろう。まだ僕の心の中では彼の音楽が鳴り続けているんだから当然である。

 

 

そしてGWにはやっぱり清志郎のことを思い出しちゃうんだよなあ。でも今年は特別だ。清志郎とおんなじ58歳になったんだもん。もっとしっかりしなくちゃ。(←何だかいつもこんなことを書いているような気がする)教職員生活もあと2年弱だが、グダグダ言ってないで新しいことにも挑戦していきたい。

 

 

最後は「夢助」から「THIS TIME」で今日の記事を締めるか。

 


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じゃあね!

 

 

1時間ほど前(午後2時42分)に地震があった・・・。