hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

大変!三沢のエルボーを忘れていた

しばらく前にプロレスラーのことについて書いていたが、もう一人、大事な人を忘れていた。全日本プロレス、ノアの三沢光晴である。彼の必殺技である「エルボー」に若い頃の僕は随分勇気づけられた。「エルボー」というのは、要するに「肘打ち」のことだ。

 

彼は若手修業時代を終え、タイガーマスクとして活躍していた。しかし、当時のエースであったジャンボ鶴田天龍源一郎のうち天龍が引き抜かれて全日本プロレスを去った。窮地に陥った全日は、再びジャイアント馬場が立ちあがり試合を行ったが無残な姿を晒すことになった。

 

多分その日だったと思うのだが、タイガーマスクはあろうことか試合中にマスクを自ら取り、素顔を見せたのであった。そして三沢光晴として戦い続けた。プロレスラー三沢光晴の誕生である(正確に言うと2回目の)。

 

三沢光晴」になって最初の試合は、タッグマッチだった。三沢・川田VS鶴田・淵だったと思う。鶴田と対峙した三沢だったが、鶴田の方から淵にタッチを求めた。淵はリングに入り、三沢もそのまま淵の方を向いて戦おうとしたが、鶴田の闘い方が気に食わなかったのか次の瞬間鶴田の方に向き直り、エルボーを放ったのだ。そのエルボーはかなりえげつない角度で入ったと記憶している。突然のことでリング下に倒れた鶴田はしばらくうずくまっていたが、突然立ち上がり、リング内に乗り込んで三沢に襲い掛かった。それはもう普段の余裕ある鶴田の姿ではなかった。鶴田を本気にさせたのだった。

 

この日のエルボー以来、三沢はエルボーを自分の代名詞にしようとするかのように試合中エルボーを多用した。自分より大きい外人選手やジャンボ鶴田にエルボーで立ち向かう姿は多くの観客の支持を集めた。勿論僕もその一人だった。「立ち向かう」がロックにしてもプロレスにしても僕にとって大切なキーワードなのだが、三沢は、王道プロレスを掲げる全日本プロレスの中でそれをやった。何かのアンチなら「立ち向か」いやすい。三沢はそれよりも難しいことを身を削りながらひたすらエルボーを打ち続けて己の闘う姿勢を観客に見せ続けてくれた。そしてノアでの試合中に事故で亡くなった。

 

もうすぐ三沢の命日(6月18日)だな。清志郎の命日(5月2日)もだ。僕は発病真っ只中だった。二人の死は僕にとっては結構きつかった。