ヴォイス その3

ホテルの部屋に戻ると、ほどなくしてノゾミからLINEが来た。

「おいちゃん、まだ起きてる?眠剤もう飲んじゃった?」

「起きてるよ。まだ飲んでない」

「ちょっとだけおじゃましていい?」

「うん?いいけど」

「30分以内に行くから。待ってて」

「了解」

 

そっとノックをする音が聞こえた。僕はドアを開ける。ノゾミがするっとドアの間を通り抜けて部屋に入った。僕とノゾミの位置が変わり、僕はドアを背にしたかっこうになった。しばらく黙って見つめ合っていたが、思い切ってノゾミを抱き締めて髪の毛を撫でた。ノゾミは素直に僕に抱かれたまま言った。

「さっきはありがとう」

と言いながら僕の体に手をまわして抱き返してくれた。

「いえいえどういたしまして。あれでよかったのかな」

「助かった。最初どうしようかと思ったもん」

「怖い感じだったの?」

「ううん。そんなんじゃないけど。あの人、ヒガさんって言うの?ちょっと切羽詰まった感じで店に入るなり『ドアーズのハートに火をつけてをかけてください』って何回も言うからだんだん怖くなっていたところ。うん、そういう意味では怖かった」

「少しでもお役に立ててよかったよ」

お互い顔を見ずに耳元で喋り合っていた。しばらくそうしていてから身体を離し、僕は部屋の明かりを暗くした。

 

 

二人でベッドに横たわりながらまたヒガ君について話し合った。

「二人でどんな話をしていたの?」

「うーん、ジム・モリソンのことがメインだったな。それと『ハートに火をつけて』の訳について、かな」

「ふうん。訳を考えていたから、あんなにリピートしてくれと言ってたのね。もしかして、連絡先、交換した?」

「うん。何となくそういう流れになった。また会ってくれますかって言われたよ。あ、君の店ではもう会わないよ」

「私のところでもいいわよ。おいちゃんがいてくれるなら安心だから」

「分かった。じゃあもしかするとお店にお邪魔することになるかもしれない。ところでまだ戻らなくてもいいの?」

「戻りたくない」

「でも客はまだいたよ」

「ああ、あの人なら大丈夫。もう一人の子のお客さんだから」

「変わらないね」

「そう?前もって連絡くれたらよかったのに。おいちゃんの顔を見た時はびっくりしたけど、助けて!って思ったよ」

「いやいやそうじゃなくて。相変わらずエロかった」

「あら、その話?やめてよ。恥ずかしい」

「俺、久しぶりにセックスしたよ。無茶苦茶満たされた」

「私もだよ」

もう一度お互い抱き合った。心が緩むのを感じた。このままだとノゾミを返したくなくなると思い、彼女の前で眠剤を飲むことにした。

「最近調子はどうなの?眠れてる?仕事は休んでない?」

「調子はよく分からない。眠剤飲んでも2,3時間で覚醒するよ。でも何とか寝ている方だと思うよ。仕事はねー、夏に2か月休んだけど、何とか行ってる」

「そう。よかった。」

ノゾミは僕の腹をツンツン触りながら

「でもだいぶ太ったよ」

と言った。痛いところを突かれた。彼女は色々な時期の僕の体形を知っている。痩せぎすだった頃から比べると随分と太ったものだ。晩年のジム・モリソンと同じだ。そういえばヒガ君のとんでもない話をノゾミにしてなかったな。話したいけど、今はこの流れを断ちたくない。

「運動しても痩せないんだよね。いつ痩せ期が来るんだろう」

「まあ、そろそろいろいろなことに気をつけなければいけない年頃だと思うよ。血圧とか心臓とか。おいちゃんが目を閉じたら帰るね。またヒガ君のことが分かったら教えて」

「うん。おやすみ」

僕にしては珍しくもう睡魔に襲われていたのでベッドに横たわったままおやすみをした。

そのまま眠ろうとしたら、ヒガ君からLINEが入った。

「さっきはありがとうございました。また来週に会いたいんですけど」

うーむ、少し早過ぎやしないか。でもまあ、こっちも興味がないわけではないし、会ってもいいか。

「土日の日中だったら金沢に行けます」とだけ書き、返信は見ないようにして、目を閉じた。鍵をかけるのを忘れていた。あわてて鍵をかけてもう一度目を閉じた。この日は深く、長く眠ることができた。

 

翌日の土曜日は、のんびり朝食を摂り、コーヒーを飲んでからチェックアウトをして家に帰った。