「どう思いますって言われてもなあ、俺のアイドルだったからなあ」
「彼のどこに惹かれたんですか」
「まずは声だな。あの声を聞いた瞬間、世界が変わったような気がした」
彼は「声ですか」と言い、食い入るように僕を見ている。僕は何かまずいことを言ったのだろうか。僕は彼になるべく気安く話すことを心がけていた。そのことに不満を感じたのだろうか。彼は随分と若く見えた。それに革ジャンを着ている。僕は革ジャンを着た人と喋るのは初めてだった。
「好きなアルバムは何ですか」
「1枚目と2枚目は絶対外せないな。3枚目も。でも最近になってやっと4枚目から6枚目もなかなかいいなって思えるようになったよ。ところで今リピートでかかっている『ハートに火をつけて』は、えーと、君のリクエストかな」
「あ、はい。僕はヒガトシオと言います。今歌詞を書いていたんです」
「『ハートに火をつけて』の訳詞?ちょっと興味あるな。あ、俺はハナミ、ハナミジュンノスケと言います」
ヒガトシオは黙って僕に紙を見せた。
「ボウッと燃やせ」
とだけ書いてあった。ボウッのところには何重にも線が引いてあった。
「サビの歌詞を考えているんだね」
と僕が言うと、
「はい。その、ライト・マイ・ファイアって言葉をジム・モリソンが歌うと比喩的な意味じゃなくて、実際に建物が燃えるように、心の中がボウっと燃えているように感じるんですよね。そこを何とか表現したくって。『ハートに火をつけて』なんて甘ったるいこと言ってるんじゃないよって気分になるんです。タイトル自体は嫌いじゃないんですけど」
「なるほどなるほど。言いたいことは何となく分かる。ところで1回リピートやめてみない?ヒガさんと喋ってみたいんだけど」
「あ、分かりました」
と思いのほか気軽に答えたので、ノゾミにもう止めて下さい、と言った。やっと「ハートに火をつけて」のリピート演奏が止まり、店の中は静かになった。ノゾミが安堵する心の声が聞こえた。僕は今夜いきなり降りかかってきた2つのミッションを達成することができたのであった。
「ヒガさんは若いのにドアーズが好きなんだ?」
「はい。ドアーズというより、ジム・モリソンの声ですかね。あの声を聴くといてもたってもいられなくなります」
「若い人でもそんな風に感じる人がいるんだ。何だか嬉しいな」
「あれを聴かなくて何を聴くんだという感じです」
「確かに。ジム・モリソンの声って世界遺産だよな。なんかよく分かんないんだけど、CIAみたいなところが、若者を扇動させる声としてジム・モリソンの声を採集したという話があるよ」
「ああ、その話は聞いたことがあります。あとはジョン・レノンとボブ・マーリーでしたっけ?」
「そうそう。よく知ってるね。ヒガさんいくつなの?」
「25です」
「仕事は?」
「塾講師をやってます」
「俺は小学校の教員」
「そうなんですか。俺は中学生を教えています」
「そろそろ受験で大変でしょ。ところでザ・スターリンの『ハートに火をつけて』は聴いたことある?もしかしたら参考になるかもよ」
聴いたことはないというので、スマートフォンから探し出し聴かせた。2分弱の思いっ切りパンクヴァージョンに仕上げている。
「いいっすね。他の人の『ハートに火をつけて』は甘ったるくて聴けたもんじゃないけど、これは違います。この人は『燃え尽くせ』って訳してるんだ。パンクですね。しかし思い切った意訳ですね」
「そうそう。これ、意訳だよな。ザ・スターリンのリーダーは遠藤ミチロウっていうんだけど、その後もドアーズナンバーをカヴァーしているよ」
「聴かせてもらえますか」
と言うのでノゾミの方を向いて数曲流してもらって構わないか聞いたらOKだったのでスマーフォンを店のスピーカーに繋げてもらった。ノゾミは僕たちの会話には参加しようとしなかった。
「おっ、『ジ・エンド』もカヴァーしてるんだ」
ヒガ君は嬉しそうである。よかった。それにしてもヒガ君は何をどうしたいのだろうか。ただドアーズを、ジム・モリソンの声を聴いていればそれで満足というわけでもなさそうだ。と思いつつも心の中で僕はヒガのことを「君づけ」で読んでいることに気づいた。
「ヒガ君は、『ハートに火をつけて』の日本語訳をしたいんだろ?それだけで満足なの?それとも何かしたいことがあるの?」
今度は思い切ってヒガ本人に「ヒガ君」と言ってみた。ヒガ君は、そのことを気にする風でもなく、僕にとっては荒唐無稽な話を大真面目な顔で話し始めた。