hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「ハイドロサルファイト・コンク」読了

只今13時53分。たった今、花村萬月著「ハイドロサルファイト・コンク」を読み終わった。前々回の記事に日曜日までには読み終えたいものだと書いたが、昨日今日と読み耽ってしまった。しかし、あまりにも内容が衝撃的過ぎて言葉が出てこない。熱を冷ますためにシャワーでもしてくるか。

 

 

 

この本は、乱暴に言うと闘病記である。「骨髄異形成症候群」発症から骨髄移植を経てGVHD(移植片対宿主病・・・骨髄移植後に特有の合併症で、ドナー由来のリンパ球が患者さんの正常臓器を異物とみなして攻撃することによって起こる症状の総称)に苦しみ抜き、さらには間質性肺炎、脊椎四か所骨折という終わりのない苦しみ、痛みを花村自身が冷徹に己の肉体と精神を見つめ、書き記した作品である。一応ドキュメンタリー・ノベルと銘打っているが、ほとんどノンフィクションであろうと思われる。

 

最初の「骨髄異形成症候群」から言葉が難しい。こんな難しい言葉とその説明が次から次と出てくる。しかも淡々と書かれているから、それだけで読んでいて怖くなる。その怖さは読み終わるまで途切れることがなかった。説明だけでもこっちは怖くなっているのに、病の経過を花村は徹底的に具体的に書いているからどんどん怖くなる。あんまり怖すぎて本気で笑ってしまった箇所もあった(何故脊椎を四か所も骨折したのか、とか)。人間怖さを感じると心の底から笑うようである。笑っている自分にびっくりしちゃったよ。

 

また、この本には次のような言葉が2度出てくる。

 

「痛みって、他人にはわからないというか、ぜんぜん痛くないじゃないですか」

 

1度目は看護師、2度目は医師だ。この言葉は現場感満載だ。病人は痛くても、看護あるいは医療を施す側は痛くもなんともない、という意味であろうが、この境地に達しないと医療行為なんてできないのかもしれない。それに僕にも少なからず心当たりがある。鬱状態で辛い時って「結局はたから見ててもその辛さは分からない」という思いだ。自分の病気が発症した直後は、「心の中では血を流しながら授業してるんだけど・・・何で分かってくれないの?」なんて思っていたが、そんなの体験しなけりゃ分かるはずもない、と思い至ったのはだいぶ経ってからだった。花村萬月とはあまりにもレベルが違うが・・・。話がずれた。戻さなきゃ。

 

この本を読むとさっきから書いているように怖くなる。胸がバクバクする。しかし、痛くはない。痛さは想像できないからだ(彼もそう言っている)。只々重い病気に罹った人が、体の痛みあるいは薬の効果で意識を朦朧とさせながら書き記した文章を息を飲んで読むだけだ。そしてその人が優れた作家なものだから、自身の状態を描写する様は凄まじく正確である(多分)。そこが怖い。以下は作品中の花村の言葉である。

 

「私は闘病中に身をもって間近に迫った死を体験したから断言できるのだが、死に至る道はじつに苦しいということだ。自分だけは老衰で静かに眠るように死ねるーなどと能天気な希望的観測を描いているとしたら、貴方は間違いなく裏切られる。肉体の破壊は精神がどうこういう以前にじつに激烈なものだ。残酷なのは、私もそうだったのだが、元気なときは、それは想像の埒外であるということだ」

 

 

 

「想像の埒外」。こんな怖ろしい言葉があるだろうか。そしてこれは誰の身にも起こることなのだと思うと、つまり僕の身にも起こり得ることなのだと思うと、もうそれだけで胸が張り裂けそうになる。

 

まあ、それくらい刺激が強い本なので、精神的に安定している時に読むことをお勧めします。今日は怖い怖ろしいと書くしかなかったな。あ、でも花村自身述べているが、彼自身の根底に「楽観」があるからこそ、こんな本が書けた、らしい。最後の方ではその「楽観」すらも崩れそうになったようだが。驚嘆すべきは、闘病中にも作品(4つだったかな)を上梓していることだ。全くもって信じられない人だ。

 

 

このまま今日の記事を終えるのは嫌だな。

 

ミック・ジャガーの新曲が発表された。「Strange Game」というタイトルである。ミック初めてのテレビドラマのテーマ曲だということだ。そのテレビドラマ「窓際のスパイ」の原作を読んでいたミックは、作曲家のダニエル・ペンバートンから曲を受け取り、すぐに詞を書き出したということで、ミック、元気そうで何よりだね、という話で今日は記事を締めくくろう。あ、ミステリアスでいい曲でした。