久しぶりにドライブがかかった

読書する(できる)なんていつぶりだろう。主に老眼あるいは集中力の低下により本は図書館で借りたり本屋で買ったりしても最後まで読めたためしがなかった。

 

僕の本の読み方にも一因がある。僕は物語の世界に没入するまでに時間がかかるタイプなのだ。登場人物の名前を把握し、事の成り行きを掴む。それだけで最初は精一杯だ。しかも1冊に集中すればよいものを複数冊一度に読んでしまう変な癖があるから尚更である。そして「次はどうなるんだ。早く読み進めたい」という状態、つまり「ドライブがかかってきたな」(←こういう表現が適切か分からないが)と思った本に絞って読み始めるのだ。

 

今回久方振りに「ドライブがかかった」本は花村萬月著の「対になる人」である。彼は多作なのだが、ほとんどの本は購入してきた。しかし色々な要因(主に内容や書きぶり)から、どうも最近の作品の世界に入り込むことができなかった。

 

今回の「対の人」はまず読みやすい。これは大きい。もともとその気になれば読者が理解しやすいようにいくらでも親切に書くことのできる人だけれど、おそらく今作は花村萬月自身も多くの人に読んでもらいたかったのではないかと思われる。

 

内容を書くのは反則だが、帯に書いてあることを引用させてもらおう。

 

「出会ったのは、心に50の人格を宿す女。」

「幼少の頃から過剰な性被害を受けてきた紫織。冬の札幌で、彼女に手を差し伸べた、小説家が見た地獄」

「満身創痍で放つ、迫真のサイコスリラー」

 

とある。そう。花村萬月は満身創痍なのだ。

 

2018年11月に白血病を患っていることを発表してからは骨髄移植をするなど病気と闘いながら執筆を続けるという凄まじい生き方をしている。その頃から「対になる人」の連載が始まったらしい(無菌室の中で執筆していたら看護師に怒られたとインタビューで答えていた)。

 

僕は、昔「失われた私」という本を読んだことを思い出した。著者はフローラ・リータ・シュライバー。16の人格を持つ解離性同一性障害アメリカ人女性(作中ではシビルと呼ばれている)の生涯を書いたノンフィクションだ。パンタがこの本を基にアルバムを創っているという話を聞いたから早速読んでみたわけだ(後に「16人格」というタイトルで作品をリリース)。この本は今でも売らずに持っている。それほどインパクトのある本だった。

 

今回はそれをはるかに上回る50人格だ。ついにというかやっと「次どうなるのか、早く読みたい」気持ちになったぞ。これから至福の時間が待っているに違いない。