ジョルジュ・ドンの「ボレロ」再考

僕は、今年の1月に「『愛と哀しみのボレロ』の18分間」と題した記事を書いている。そんなに長くはないので全文掲載しておこう。

 

~音楽に合わせて右手をゆっくり上げて頭の近くまで来たらクルッと手首を返す。そして手の平を胸から這わせて腰辺りまでゆっくり下げる。今度は左手を同じように動かす。次は横隔膜辺りを前後に動かす。そして横隔膜を動かしながらさっきの動きを両手同時にする。続けて少し前にかがんで両手首を合わせて足は前後に置き、体も前後に揺らす。後ろ足(左足)はつま先立ちだ。この体を前後に動かすのが通奏低音のように踊りの基調となっている。

これがジョルジュ・ドン「ボレロ」の最初の動きだ。いやあ描写力ないなぁ、俺は。しかしこの動きを見るだけでもう世界が変わる。心に衝撃が走る。心臓に穴が空く。

「愛と哀しみのボレロ」(1981)。185分の大作だ。その大作のほんの18分だけ(間にオペラ座で踊るシーンあり)を僕は何十年もの間何十回も観続けている。ビデオでもDVDでも。

年末にまたその18分を観てから、僕は決心してジョルジュ・ドン、というか20世紀バレエ団のDVDを大枚はたいて購入した。「愛と哀しみのボレロ」以外の「ボレロ」を観られるだけで単純に嬉しかった。

今は2つを見比べて楽しんでいる。

DVDの方は瞬きしてないんじゃないかというくらい集中して踊っているいる様子がうかがえる。そして演奏には勢いがある。それにつられてかジョルジュ・ドンの動きも溌溂としている。丁度出荷し始めの果実のような踊りだ。

この後に映画ヴァージョンの方を観ると、ジョルジュの踊りは猫のようにしなやかである。果実としては熟れていて食べ頃だ。30代前半の頃だろう。演奏はDVDヴァージョンより落ち着いて聴こえる。どちらも曲の最終場面のクライマックスには思いっ切り爆発している。ほんと、カッコいいな。でもその最終場面に向けて抑えて踊るところもカッコいい。要するに一度観始めたら10数分間動けないのだ。

それにしてもあのメイクである。あれを見て一発でKOされちゃった。誰が発明したんだろうか。昔からあったのだろうか。僕はメイクといえば遠藤ミチロウ忌野清志郎の人だから、「間違いなく彼らはジョルジュ・ドンのメイクを参考にしている」と思ったものだ。

実際にバレエを観た経験もないし(山岸凉子の「アラベスク」「テレプシコーラ」は好きだ)、詳しくもないのだが、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」だけはすごく好きだ。僕のような人は多いのではないだろうか。シルヴィ・ギエムの「ボレロ」も観たし、良かったのだがやはり僕にとってはジョルジュ・ドンの「ボレロ」なんだよなあ。

僕は、「ロックだなあ」と思っていつも観ている。~

 

 

 

この記事に反応してくれたのがAliceさんである。最近書いたようにAliceさんは、この記事を読んでビビッときたらしい。その後のやり取りも一部掲載してみよう(Aliceさんからの了承は得ている)。

 

まずは、初めてAliceさんからコメントをもらった時の僕の返信である。

 

「初めまして、Aliceさん。Aliceさんに「見つけられて」とてもとても嬉しいです。ジョルジュ・ドンかあ。懐かしいな。でもそんな大層なこと書いてたっけ?読み返してみよう・・・」

 

そしたら再びAliceさんからコメントが来た。

 

「心に衝撃が走る最初の動き。自分も覚えて動けるくらいたくさん観ました。シルヴィ・ギエムも観に行きましたが、やっぱりドンです。ミチロウ&清志郎が出て来て〆はロックという言葉。そう来たか!と心踊りました。気持ちいいです。ボレロに関しては語りたい面白いエピソードがあるのですが、長くなるので我慢します 笑」

そして僕はこう返信した。

「なるほどー。なんとなくだけど、Aliceさんが何故僕の書いたジョルジュ・ドンの記事に目をつけたのか分かりました。コメント、長くなりそうだな。

・・・よかったらAliceさんのコメントを全文(あるいは一部)引用させてもらえませんかねぇ。ジョルジュ・ドンについて書きたい欲がムクムクと出てきちゃいました。NOなら言って下さいね」

 

というわけで、「なるほどー」の中味を書こうというのが今日の趣旨だ。

 

Aliceさんは、ジョルジュ・ドン→ミチロウ&清志郎→ロックという僕の書き方にそう来たか!と書いている。この一連の流れが新鮮に映ったのだろう。きっとジョルジュ・ドンの「ボレロ」について書く人(舞踏評論家?)のほとんどは、普段ロック・ミュージックは聴いてないのだ。Aliceさんはロックを聴いていたからビビッときたのだろう。

 

ただ、ロックの方からジョルジュ・ドンを見てみると、これは(ジョルジュ・ドンの「ボレロ」を)観ている、観ているしカッコいいと言う人が多いのではないだろうか。少なくとも清志郎はバレエなどのダンスが好きだったからチェックしていたはずである。

 

僕はなぜ、ジョルジュ・ドンのボレロをロックな感じだと思ったのだろう。そしてロックな感じとは、一体全体どういうことなんだろう。

 

となると、もう一度彼のボレロを観てみなければならない。

 

改めて観て思ったことは2つある。1つは「(所謂一般の)バレエとは動きが違うところがある」こと、もう1つは「気持ちの良い反復が多い」ことである。この2つに「ロックな感じ」があるのではないかと思った。

 

1つ目の「バレエとは動きが違う」というのは、勿論僕自身がイメージするバレエの動き、という意味だが、もう「ボレロ」の最初っからそうだ。乱暴に言わせてもらえば「バレエに対して挑戦的だ」と僕は感じた。これは、振り付けをしたモーリス・ベジャールのせいだ。ベジャールは「非バレエ」的な動きを考えたかったし、実際考えた。それを実現できたのはジョルジュ・ドンがいたからだろうというのが今回改めて思ったことである。「手首の返し」や「横隔膜の前後運動」等の印象に残る動きは、単純だが誰も考えつかなかった必殺の発明だったのではないだろうか。

 

もう1つの「反復」は、「ボレロ」という曲がそうさせている面も大いにあるのだろう。それに加えてさっきの「発明」だ。あんな動きをちょろっとだけするなんてもったいない、曲を通じてのベースとなり得る動きとして使えるじゃないか。というわけでベジャールは、自身の「発明」を最初から最後まで観客に忘れさせないように上手く取り入れている。そうすることで最初に感じた「非バレエ」的な動きを何度も目にする。だからたとえ「バレエ的な動き」があったとしても、従来のものとは違う風に見えるのではないだろうか。また、「反復」は「魔法」でもある。ロック・ミュージシャンでいうと、T.レックスマーク・ボランなんかを連想してしまう。どの曲もおんなじように聴こえるのも一種の反復じゃなかろうか。←ここら辺はちょっと自信がない・・・

 

 

というわけで、従来のバレエに対する挑戦的な(ベジャール、そしてジョルジュ・ドンの)態度が僕に「ロックだ」と感じさせたのかなあ。←ここも今一つ自信がない

 

しかしながら「ロックな感じ」を別の言葉に置き換えるのはとても難しい。「挑戦的」「非」と言う言葉を使ったがどうもピンとこない。勿論そういう要素もあるんだけどね。「既成概念を打ち壊す」はどうだろう。これももう一つだ。だって既成概念を打ち壊したら、今度は自身が既成概念になっちゃう。そんなのは嫌だ。悔しいがここはひとつ誰かの言葉を引用させてもらうか。

 

「ここではないどこか」に向かう意志が見える行動や言葉、それに僕は「ロックを感じる」。だから「ロックな感じ」は決して音楽に限ったものではない。絵画やダンス等の表現や教員という仕事にも当てはまる言葉だ。この言葉が今の僕にはしっくりくるかな。

 

どうだろう。ジョルジュ・ドンの「ボレロ」は「ロックな感じ」だろうか。「1回観てみるか」と思っていただけたら嬉しいです。

 

 

 

いやー、慣れないことすると疲れるな。やはり僕は物事を突き詰めて考えるのは苦手なタイプだ。でも面白かった。今日はここまで!

 

 

 

次が記念すべき600記事目である。いつ書こうかな。