hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

ちょっと消化不良

忌野清志郎の「ロックで独立する方法」を買ったつもりが「使ってはいけない言葉」という本を購入してしまった。これは清志郎の名言集のようなもので、気になる言葉は確かにあった。しかし前後の文脈が分からず?の部分も多かった。

 

「労働も大事ですけど、サボるってのも意外と大事だと思うんですよね。」

 

昨日書いたが僕は生真面目な山羊座のA型だ。だから(かどうか知らないが)サボるっていうことにどうしても罪悪感を抱いてしまう。別にワーカホリックってわけじゃあないんだけどね。この言葉を残した清志郎も自分に子どもができると分かったら、「もうロックは出来ない」と思って思いっ切り働いていたじゃないか。それに若いミュージシャンに「普通の人と同じように寝てちゃいい曲は書けないよ。寝ないで作るんだよ」とも言っていたな。

 

「サボるってもの意外と大事」。分かる様な気もするけれど、清志郎がどういう意図で言ったのか判然としない。サボっているように見えて実はサボっていないことを言いたいのか、本当はやるべきことがあるけれどサボるのがいいということなのかが分からない。

 

 

 

「これからはむしろ情報を捨てられるヤツこそが強い時代が来るかもしれない。それってけっこう勇気がいるんだろうけどね。」

 

インターネット黎明期、僕は自分の五感でつかんだ情報をできるだけ蓄えるべし、と考えていた。特に一人旅(海外なら尚更)は最適だった。変わりようもない自分を目の当たりにすることも多いが、帰国してからの自分は明らかに自信をつけていた。今もその考えに変わりはない。自分の体を使わないと「自分の言葉」が生まれてこないと思うからだ。

 

ところが今の僕はどうだ。平気でウィキペディアや他の人の文章を引用している。果ては写経ときたもんだ。どうなってるんだ、おい?

 

しかし、以前の僕がいなくなったわけでもない。相変わらずいろいろと授業のことを考え、子ども達にどう伝えるかを考えている。そうすると現場で「言葉が生まれる」こともある。

 

情報を捨てる話だった。情報を捨てることのできるヤツ、というより人からわざわざ情報をもらう必要はない人なら分かる。そんな人は必ずいる。そしてずかずかとどこにでも行き、いるものだけを持っていくのだ。僕は矢沢永吉なんかがそうじゃないかと睨んでいる。彼には読書は必要ない。教則本も「何それ?」である。若い人の中にも必ずいるはずだ。そんな人は今はどんなことをしているのだろうか?

 

昔はバンドをやったり絵を描いたりしていただろう。今はベンチャー企業の社長なんかやっているのかもしれない。特にコロナ禍の今はいろんなことを考えて動いている人がいるのかもしれない。でもそれでも情報を制して天下を取っているんじゃないかな。

 

「情報を捨てる」。情報過多の世の中だからこそ、の言葉だと思うが。この言葉も分かるようで、うーん、まだよく分からないな。

 

 

 

最初に書いたように前後の文脈がない言葉について書いても説得力がないな。やはり「ロックで独立する方法」を購入することにしよう(前に買った時は付箋だらけになった)。