「ロックで独立する方法」を購入。全くカッコいいタイトルだぜ。
今日は(も)引用、引用また引用である。覚悟するように。
この本は一応第八章に分かれているが、最初は、ガイドラインとして「ミュージシャンの巻」「プロダクションの巻」「レコード業界の巻」「ロック・ジャーナリズムの巻」「ロック・ファンの巻」「プライバシーの巻」と六部構成にして作られた、と取材・構成をした山崎浩一が語っている。そして、
「とにかくいずれにしても、このプロジェクトが《できれば自分の才能と情熱だけで人生と世界にコミットしていきたい》と望むすべてのあなたにとって、その実現を目指すためのヒントが満載されたものになることだけは保証できる。それがロックであろうとなかろうと、である。」と述べている。
そうなんだよなあ。だから前に読んだ時も自分に当てはまるところがたくさんあって付箋ばかりになっちゃったんだっけ。
早速読み始めた僕は早くも引っ掛かりポイントを見つけた。「路上ミュージシャンへの助言」という項目である。いくよ。
「・・・ただ、彼らの歌を耳にしてみて、ちょっと気になることは、あまりにコードが変わりすぎることなんだ。・・・・コードが頻繁に変わるっていうのは、きっと間が持たないんじゃないかな、ずっと変化してないと。コードでひとつのまとまった世界を作るという思考とちょっと違うんだ。・・・今の音楽ってコード進行でごまかしてるとこがあるから。変なコードいっぱい使いたいっていうのもあるかもしれない。シンプルなコードだとごまかしが利かなくなって、リズムとかグルーヴが大事になってくるからね。そっちの方がずっと重要だと思うんだけど。」
よかったよかった。清志郎と僕はおんなじ感覚らしい。でも「間が持たない」「リズムやグルーヴの方が大事」か。そうだよね。清志郎は「ゆず」の初期から「コードが頻繁に変わる」ようになった気がすると言及している。「間が持たない」っていうのは会話にも言えるかもしれないな。
「自分の声の見つけ方」では、「マネだけだったら誰でも見事に完璧にできちゃう環境が今はあるから。だから逆に新しいものが出にくい。あらゆるものが出尽くしているように思えてしまうからね。情報が多くあるほど、そっから自分がほんとに好きなものを選択するのは、ものすごく難しくなってるんだ。50年代から90年代まで全部そろっちゃってるし、自分の好きな音楽なり自分のやりたい音楽が、最初からきっぱりとわかってればいいんだけど、こういう環境だとすごく迷う。・・・・ミュージシャンになるための情報を漁るのは確かに大切かもしれない。でもこれからはむしろ情報を捨てられるヤツこそが強い時代が来るのかもしれない。それがものすごく勇気のいることだってことは、きっとオレよりもキミらの方が知っていると思う。」
さすが清志郎、昨日はすっきりしなかったことが分かったぞ。「きっとオレよりもキミらの方が知っていると思う」ということか。そうだよな。今の若者が情報を捨てるっていうのは、かなり難しいことだろう。SNSから得る情報をスパッと切るってことは不可能だ。自分にしたってそうなんだから。「情報が多くあるほど、そっから自分がほんとに好きなものを選択するのは、ものすごく難しくなってるんだ」。確かに。ここが、自分達世代と若者世代との違いかもしれない。
まだ20数ページしか読んでいないのにこの始末である。多分今読んでも付箋だらけになると思われる名著だ。
とここまで書いていたら昨日のブログについて「情報を選択することかしら」とのコメントが来た。さすがレノンさん。一発で決めてくれた。