hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

プロのバンドが本気でカバーしたらこうなる

「今日は完全オフだぁ~。さあ、書くぞー」と思い、気がついたら5時間経っていた。5時間も何を?と思われるだろうが、ほんとに一体何をしていたのだろう。きっと妄想していたのだろう。

 

というわけで、今日はなぜかボ・ガンボスだ。昨日はあんなにThe Weeklingsデイにするって言ってたのに。こういうことはよく起こることですよ、お兄さん。気にしないで下さい。

 

ボ・ガンボスは、最初華々しくデビューを飾った(1989年)。音楽評論家からの評価も高かった。「泥んこ道を二人」「魚ごっこ」など、不滅の名曲も生まれた。「HOT HOT GUMBO」というフリーコンサートもやった。しかし、セールスは次第にじり貧になっていく・・・。そんなボ・ガンボスが売れるための作戦を考えた。というか作戦を練ったのはレコード会社だけどね。そのアイディアがカバーアルバムを出すことだった。しかも3枚立て続けにだ。メンバーはそのアイディアに特に反対はしなかったという。

 

企画が決まってからはこんな動きをした。

 

1993年12月~1994年2月:カバーツアー「THE KING OF ROCK’N ROLL」

1994年1月:カバーツアーCD第1弾「THE KING OF ROCK’N ROLL」発表

1994年3月~5月:カバーツアー「SHOUT! DYNANITE SOUL SHOW」

1994年5月:カバーツアーCD第2弾「SHOUT! DYNANITE SOUL SHOW」発表

1994年6月~8月カバーツアー「JUNGLE BEAT」

1994年7月:カバーツアーCD第3弾「JUNGLE BEAT」発表

 

1993年12月から1994年8月まで、ボ・ガンボスはこれだけ活動していたのだ。これから書くが、無茶苦茶振れ幅の広い音楽をこの短期間で演奏していたのである。

 

「THE KING OF ROCK’N ROLL」はその名の通り、ロックの名曲カバー集だ。バディ・ホリーエルビス・プレスリー等の1950年代のロックンロールから、ドアーズの「ブレイク・オン・スルー」、ニール・ヤングの「ヘルプレス」、ルー・リードの「スウィート・ジェーン」までカバーしている。変わったところではニック・ロウの「クルエル・トゥ・ビー・カインド」をやってるぞ。最後はボ・ディドリー・メドレーで締めている。僕はジャケットに企画物臭さを感じて、買ったはいいが当時あまり聴かなかった。しかしながら、さっき書いた曲を難なくこなすことができるバンドはそうそういない。

 

 

「SHOUT! DYNANITE SOUL SHOW」は、まるで日本版「ブルース・ブラザース」だ。それこそR&Bのど真ん中の名曲をこれでもかと演奏している。どんとはサム・クック、JB、アイク&ティナ・ターナー等が憑依したかのように歌いまくっている。中でも憑依度数の高いのがオーティス・レディングである。「I CAN’T TURN YOU LOOSE」「TRY A LITTLE TENDERNESS」の2曲はもうすごいことになっている。昔、オーティスの「ガッタガッタ」をやらせたら、忌野清志郎の次に、いや、それに負けないくらい上手いのがどんとだと書いたが、何回聴いてもその思いは変わらない。どんとは、基本的に甲高い系の声で歌っているのに、なぜオーティス声が出せるのか不思議だ。このアルバムの演奏も素晴らしい。隙がない。プロの仕事である。しかし、どんとは、(さっきも書いたが)何者かに変身している様子で、全編英語でMCをしている。彼の変身ぶりは珍しく少しいたく感じた(聞こえた)。

 

3枚目の「JUNGLE BEAT」は、「Zombie」から始まる。フェラ・クティだよね?オリジナルは多分1回位しか聴いていないけど。1950年代のロックンロールから、R&Bを経由してアフリカだよ?信じられる?おんなじバンドが演奏してんだよ。そのことにまず驚かされる。あとは沖縄民謡の「ハイサイおじさん」も収録されていて、このアルバムが一番選曲がとっちらかっているかもしれない。とはいえ、どんとは「ジャングル・ビートと言ってもただのジャングル・ビートではありません。宇宙のジャングル・ビートです」と言っている。だからアフリカン・ミュージックにとらわれず、いろいろな曲をやっているのだろう。というか日本語のMCに戻っている。いつものどんとに戻っていて安心した。

 

繰り返すがこれほど振れ幅の広い音楽を同一のバンドが演奏しているすごさは尋常ではない。そしてその演奏にのって歌う(時に何者かに憑依されながら歌う)どんとは、もちろんすごい。プロのバンドが本気を出してカバーアルバムを作るとこういうことになるのだ。「アルバムに1曲カバー曲を入れてみました」じゃないのだ。そこは力を込めて何回でも書いておきたい。この3枚のアルバムを一つのプレイリストにしてシャッフルして聴くと、頭がクラクラするはずだ。

 

しかしながら、である。これはカバーアルバムなのだ。人の作品なのだ。もっと言うと所詮「企画物」なのだ。レコード会社はそこに勝負をかけ、そして失敗した(つまり売れなかった)。残念でならないというのが正直な気持ちである。だからこそボ・ガンボスの記事を書きたいと思った時に、この3枚を取り上げようと思った。

 

 

ボ・ガンボスは、1995年6月11日の日比谷野音のコンサートが最後に解散する。この解散コンサートの模様はDVD化されているが、ほぼコンサートの全貌を記録している。全盛期のボ・ガンボスのコンサートも勿論素晴らしいが、この解散コンサートも捨てがたい。どんとのMCとギターは最高だよ(もちろん歌も)。そしてどんとはこの後ソロ活動を始め、2000年ハワイで亡くなった。37歳のことである。早すぎる死だった。

 

 

これを最後に書くのというのも非常に不親切な話だが、ボ・ガンボスというバンドは、ローザ・ルクセンブルグというバンドから脱退したどんと(ヴォーカル&ギター)と永井利充(ベース)がKYON(キーボード&ギター)と岡地明(ドラム)をメンバーに引き入れて作ったバンドだ。そのサウンドはバンド名から分かるように(分からないか・・・)、ニュー・オーリンズの音楽(ガンボスープニュー・オーリンズソウルフード)や敬愛するボ・ディドリーの音楽を基調にしたものだ。当時は直線的な(たてノリって言えばいいのかな?)バンド(ニューエスト・モデルやザ・ブルー・ハーツ)が多かったロックシーンの中で異彩を放っていた。