hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

夏眠日記その17(バリ島最後)

さあ、マラソンだ。僕は張り切って会場に乗り込んだ。日常的に走ってもいないくせに根拠のない自信があった。その自信はレースが始まったら粉々になったけど。

 

周りにはチャラチャラした女の子がたくさんいてうるさかった。「きっと、でっかいホテルに泊まって贅沢してるんだ。こんな人達には絶対負けないぞ」と固く決意してスタートを待った。ピストルが鳴った。僕が走る10㎞は人が一杯で、なかなか前に進まなかった。しばらくしてやっとばらけてきたので、僕は次々と走者を抜かして前に出た。快調だったのは4㎞ほどまでだろうか。

 

次々と抜かされるようになった僕は焦った。あろうことかチャラチャラ女子もスイスイ走っている。僕は必死についていった。しかし動かない足はどうやっても動かない。悔しいが仕方ない。とにかく完走することだけを目指してのろのろと走った。途中で水を飲んで、残りを頭からかけたが気持ちよかった。しかし、打ち捨てられた容器の残骸を見て「資本主義ってこういうことなのかな」と思った。華やかさの裏側を見た気分だった。

 

とにもかくにもゴールした僕は、平静を装って静かに歩いてバスに乗った。乗る時脹脛がひくひく痙攣していたのが情けなかった。その足でウブドに帰った。一夜明けて僕は驚いた。痛さのあまり体が動かない。あの日は一日動けなかった。いやあ、若いからって無茶しちゃいかんよな。

 

 

 

夜になると僕は決まってガムランを聴きに行った。というかバリダンスの中で繰り広げられるガムランに聴き入っていた。毎晩だよ、毎晩。良く飽きもしないで行ったものだが、今行っても多分同じことをすると思う。それくらい現地で聴くガムランは魅惑的だった。問題は帰りだ。ちょうどホテルの入り口に野犬がいつも集結していたのだ。僕は犬が怖い。だからいつも恐怖を抑えてその横を通り抜けるのだった。

 

 

今日でバリ島は最後だから思いつくままに書いてみよう。

 

 

豚をつぶすところを初めて見た。竹の籠に中に豚を追い込む。ここまでは豚もいやいやながら従う。しかし入り口を締められ、竹槍のようなものを持った男たちに囲まれると、自分の運命を悟り、悲痛な声を上げる。それは断末魔の叫びだった。周りは異様に興奮した空気に満ちている。そして豚は絶命した。その叫びは今でも耳に残っている。しかし、人類はこうやって生き延びてきたのだ。それは市場に行っても感じた。肉が調理されないままぶら下がっているところを見ると、最初はギョッとするがいつしか慣れてくるし、これが自然だと思えてくる。日本ではパックでしか肉は見ることができないが(沖縄の牧志市場は東南アジアと似ていた)。

 

これを見た直後にホテルで一番仲良くしていた子(そう。「子」と呼ぶのが相応しい。シャイな感じの子だった)から、村祭りに行かないかと誘われた。豚の丸焼きが食べられるそうだ。興味を持った僕に熱心に誘いをかける男の子。僕は根負けして了承した。彼のバイクの後ろに乗っけてもらい祭りが行われる村へと目指した。豚の丸焼きにも感動したが、一番は帰り道で見たホタルだ。漆黒の闇の中をバイクが走る。男の子が指さす方をじっと見ると、無数の灯りが見えた。ホタルだった。バリで見た一番美しい光景だった。

 

 

 

いよいよ最後の夜だ。最後の晩餐は勿論市場だ。アグンとさよならの挨拶をし、ぼうっとしていると、誰かの視線を感じた。見返すとにっこりと笑いかけられた。日本人だった。「そっちにいってもいい?」と言われた僕が断るはずもない。ビールで乾杯した。しばらく喋っていると、「ねえ、もう一軒行かない?」と誘われた。僕にとってはもう遅い時間だったけれど、勿論僕は断らなかった。

 

彼女は「今は」イタリア男性と一緒に行動しているらしい。しかし、どうも含みがある言い方をする。「まあ、それはいいんだけど、あまり気は合わないわね」とか言っちゃってる。なんだ?僕を誘っているのか?と僕が思ってもおかしくはないですよね?しかし僕は明日帰る身だ。そのことを言うと、「そう・・・」と少し残念そうだった(考えすぎかな?)。ビール、地酒、地酒、と飲み続けてもう疲れてきたので帰ることにした。いやあ、残念だったなあ。もっと仲良くなりたかった。でも次の日に帰る時、偶然通りで見かけて挨拶出来てよかった。

 

 

 

こうして僕の長い旅は終わった。10月下旬に僕はTシャツで東京の姉の家に行き、泊まらせてもらった後実家に帰った。まだTシャツのままだった。その後すぐに学校に連絡すると明日にでも来てほしそうな勢いだったので一日だけあけてもらうことにした。

 

 

僕はバリでは「ガラム」を吸っていた(そうなんです。黙っていたけど僕は煙草を吸うんです、今も)。新しい学校でも同じように吸っていると(今では信じられないが当時職員室は煙草の煙で充満していた)、誰かが「おい、へんな匂いするぞ」と言った。しばらくして僕のガラムだと気づき、あわてて消すと、何やら姉御風の先生が「また怪しいやつが来たわ」と呟いた。ガラムは家で吸うことにした。

 

 

僕はこの年、教員採用試験に合格した。嬉しかったが「もうあんな旅はできないのだ」と思うと少し残念だった。

 

 

長いお話にお付き合いいただきどうもありがとうございました。終わります。