hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

夏眠日記その14(バリ島③)

僕が初めて海外旅行をしたのは、今からおよそ34年前の10月である。10月上旬から3週間バリにいた。10月下旬には講師に行くことが決まっていたのでそれまではギリギリ海外にいようという心算だった。旅の途中、国際電話をかけた時に「産休の先生が早めに休みに入るのでできるだけ早く講師に来てくれって言ってるよ」と母親から言われた時は困った。「無理」とだけ言って電話を切った。

 

初めて海外旅行をしてつくづく思ったのは、物理的に距離が離れていてこそ、心の底からリラックスできるということだった。すぐに帰ろうったってそうはいかないほどの距離にいてこそ人はのんびりできる。僕は国際電話を2回かけたが、それ以外はほとんど日本のことを考えなかった。

 

また、海外に行って自分が変わる、なんてことを期待していたけれど、残念ながら「俺は変わっていない」と思い知らされることが度々あった。それについては今日か明日書くかもしれない。しかし変わっていないことはまぎれもない事実だけれど、海外へ行って無事帰ってくるたびに何か「自信」のようなものが身についたとも思っている。図太くなった、という言い方でもいい。僕にとって海外旅行はやはり修行のようなものだったのかもしれない。

 

 

さて、ウブドか。僕はバリにいた3週間のうち2週間あまりをこの地で過ごしたが、毎日行っていたところがある。それは市場だ。主に食事を摂るために訪れていたのだが、それよりもそこで働いているチンピラみたいな人(仮にアグンと名付けよう)と仲良くなって、アグンに会うために行っていたようなところもあった。アグンは一人で来てぼうっとしている僕をいつも気にかけてくれ、声をかけてくれた。

 

大体がおちゃらけていたのだが、時々ふっと遠い目をすることがあった。僕がじっとその様子を見ていると、またいつものおちゃらけが始まる。こうやっていろいろなツーリストと関わってきたのだろう。しかし、アグンは物を売りつけるようなことは一切しなかった。あそこへ行って何か買え、とも言わなかった。ただ来た者を受け入れ、去る者を追わなかった。「明日帰る」と告げた時もドライに「ああ、そう」と答えるだけだった。僕は今でも時々「アグンは元気にしているだろうか」と思う時がある。

 

市場で僕はほとんどナシ・ゴレン(フライドライス)を食べていた。その後の旅行でもフライドライスが僕の主食だった。また海外旅行をすると、例外なく痩せる。それもかなり。やはり食べる量が少なくなるのだろう。いつも旅の途中でズボンがブカブカになる。

 

もう一人印象に残っている人がいる(スズキさんと名付けよう)。同じホテルに泊まっていた日本のおじいさんだ。スズキさんは僕が泊まっていたホテルを定宿にして、毎年長期間ウブドを訪れている人だった。最初は挨拶する程度だったが、僕が3泊以上している(初めは3日だけのつもりだったのにずるずるとそのホテルにいた)のを見て少しずつ話しかけてくれるようになった。

 

スズキさんと話すのは主に朝食の時であった。バリのこと、日本のことなどを辛辣な調子で話すスズキさんに対して僕は「へぇ~、そうなんですか」と答えるしかなかった。スズキさんはバリに訪れ金をバンバン落としていく日本人のことも日本人から金をむしり取るバリの人のことも憎んでいたようだった。

 

僕が毎日のように市場に言っていることを知って、「俺はあんなところへは行かん」と言い、「明日、一緒に昼飯を食べよう」と誘ってくれた。僕にとってはホテル、市場以外で久しぶりに摂る食事だ。期待に胸を膨らませて鈴木さんについていくと、普通のレストランに連れていかれた。少しがっかりした僕だったが、出てきたもの(ご飯の上にかけられていたもの)を見てびっくりした。「これは・・・酢豚ですよね?」とスズキさんに問うと、得意げに「そう、酢豚だ。これをご飯の上にかけて食べると最高なんだ。酢豚の作り方は俺がここのシェフに教えた」これはある意味日本食だ。僕は懐かしさのあまり貪るようにそれを食べ始めた。その様子を見てスズキさんは満足したようだった。

 

その後もいろいろアドバイスしてくれた(「リコンファームはしたか?」とか)スズキさんだったが、僕より早く帰国の途についたのだった。