hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

沖縄音楽を通過した2つのバンド

1つ目はザ・ブームである。3枚目のアルバム「JAPANESKA」の「100万つぶの涙」に始まり、4枚目の「思春期」では「ひのもとのうた」「島唄」で本格的に沖縄民謡・音階を取り入れた。「島唄」は大ヒットし、今も歌い継がれているナンバーになった。コンサートでも上記の歌で宮沢和史三線を手にして歌うようになる。

 

2つ目はソウルフラワー・ユニオンである。彼らの別動隊であるソウルフラワー・モノノケ・サミットから三線を取り入れ「安里屋ユンタ」をカヴァーして、他の楽曲にも三線を取り入れている。

 

その後どうなったかというと、ブームは、5枚目「FACELESS MAN」の「いいあんべえ」で、バリのガムラン音楽と沖縄音楽をミックスさせるという壮大な実験をやってのけた。そして6枚目の「極東サンバ」ではブラジル音楽を取り入れ、その音楽性を広げていった。「風になりたい」はその結果生まれた名曲だ。7枚目の「TROPICALISM-0°」は僕はザ・ブームの最高傑作だと思っているが、「砂の岬」というブラジルのミルトン・ナシメントのカヴァーで今度はブラジル音楽と沖縄音楽をミックスさせるという壮大な実験をやっている。その後も「OKINAWA」というアルバムを発表するなど、ザ・ブームは沖縄音楽やブラジル音楽とは切っても切れないバンドになった。

 

対するソウルフラワー・ユニオンは、ソウルフラワー・モノノケ・サミットを経て4作目「ウィンズ・フェアグラウンド」でアイルランド民謡を取り入れダイナミックな音楽を作り出してきた。このアルバムの前には「ロスト・ホームランド」という中川敬ソロ・プロジェクト、ソウルフラワー・ユニオンとしての「マージナル・ムーン」というミニアルバムを制作している。「ウィンズ・フェアグラウンド」はその流れを受け、共同プロデューサーにドーナル・ラニ―(アイリッシュ・トラッド界の重鎮)、演奏にアルタン、キーラを迎えアイリッシュ・トラッド色の濃いアルバムになった。おっと、その前の3枚目のアルバムにアイルランド民謡の「霧の滴」をカヴァーしていたな。

 

このようにバンドのその後を見ると、今のような(ザ・ブームは解散してしまったが)幅広い音楽を作り出すきっかけとなったのは沖縄音楽だったのかな、と思ったりもする。宮沢、中川ともに喜納昌吉と親交があり、彼を尊敬もしているしな。しかし、宮沢と中川という対照的な2人が沖縄っていうのも何だか不思議だ。優等生と不良が妙に気が合うって感じだ。それだけ沖縄音楽は懐が深いということなのかな。

 

僕自身、三線を購入して「安里屋ユンタ」や「島唄」のイントロ、「満月の夕」等を弾く練習をしていた時期があった。三線の音色は素晴らしい。人をリラックスさせる。一方で「ハイサイおじさん」や「唐船ドーイ」なんかは人をニコニコさせる。

 

ギターから手を放し、三線を手にした時、彼らの音楽がブワ~っと広がっていったことは想像に難くない。そこからさらに世界の音楽に目が向いたのだ、きっと。そう思うと才能ある人が沖縄音楽にコミットした時に凄いものが生まれる、という法則がありそうだな。そういえば、細野晴臣久保田真琴なんかもそうだしな。そんな魔力が沖縄の音楽にはあるのかもしれない。