hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「いいあんべえ」/THE BOOM

最近ある人(40代女性)と「若い人ってどうなん?」という話になった。別に否定的に言っているわけじゃなくて、無邪気に「よく分かんないだよね」と話しかけたんだけど、その人はこう答えた。

 

「私たちって何か答えを得たいと思って頑張るとするじゃない?その過程でいろんな感情を持つわけ。嬉しさとか悔しさとかいろいろ。それこそが大事なんだと私は思ってるの。でも今の若い人は、さっさと調べて答えをすぐに掴むの。だから若い人には、そこからどうするの?どうしたいの?って言いたい。そしていろんな感情はどうやって掴むのって訊きたい」

 

なるほどー。今の人は過程をすっ飛ばして答えを持っちゃってるんだ。分かるような気がする。もしかして若い人に深み、のようなものが感じられないのはそれも関係あるかもしれないと思った。彼女とはそれ以上話さなかったが、もっと深掘りしたい話題ではあった。

 

でもそんなこと言うなら、昔の僕も今よりもっと軽薄であったはずである。そこら辺はどうなのだろうか。もっと言えば1970年代初頭に若者であった人は何やら難しい本を読んでいたと思う。日本の純文学とか朝日ジャーナルとかマルクスとか。かと言って彼ら彼女らの多くが若い時から人間としての深みを持っていたとは思えない。でもそうだなあ、少なくとも僕のような1980年代初頭に青春時代を送っていた人よりはハードでワイルドな生活を送っていたように思う。

 

若さゆえの底の浅さ、というものはどの世代にあったとしても、今日の若者の底の浅さというものは、結構根が深いのかもしれない。とはいえ起業したり、NPO法人で活動したりとダイナミックな生き方をしている人は、僕なんかの世代よりもずっと多いはずだ。僕より10歳、20歳上の人たちは僕たちを見ておんなじようなことを思っていたのだろうか。聞いてみたいところではある。

 

 

というわけでザ・ブームの話にいかなきゃ。別に今の話と関係があるわけではない。ただ、突然いつものように「ザ・ブームを聴きたい」ブームが来ただけの話である。それで今一番しっくりするのは、「いいあんべえ」という曲なので、それに絞って書いてみよう。1曲に絞って記事を書いたことってあるかな。あんまりないな、というわけで挑戦タイムの始まりである。そういえば前に1回記事を書いたことがあったっけ。

 

hanami1294.hatenablog.com

 

まずはザ・ブームについての基本情報を書こうかな、と思って検索するが、ウィキペディア以外に誰かのブログでこのバンドに言及していることってほとんどないことに少し驚いた。何でだ?今聴いても結構イケると思うんだけどなあ。心の綺麗な人だったらきっと気に入ると思うんだけど。僕にもし心の綺麗な部分があるとしたら、そこにビンビン響いてくるんだけど。不思議だ。もしかしてひっそりと大切に聴いているのかもしれない。

 

というわけでちょっとウィキに立ち寄ってみるか。

 

ザ・ブームは日本の4人組ロックバンド。1986年結成。1987年より原宿のホコ天で活動を始める。1989年メジャーデビュー。代表曲は『星のラブレター』『島唄』『風になりたい』など多数。」ここまではみなさんご存じの方も多いはずだ。だからザ・ブームといえば、沖縄音楽、とかブラジル音楽、のイメージが強いと思われる。確かにこの3曲はこれからも長らく愛されていく楽曲だと思う。でも僕がザ・ブームに抱いているイメージは「(沖縄音楽やブラジル音楽などを)取り込んでからのすごさ」である。それが顕著に表れた最初の曲が僕にとっては「いいあんべえ」だった。

 

そこに至るまでのディスコグラフィーも書き留めておこう。

 

1989年:「A PEACETAIME BOOM」①

1989年:「サイレンのおひさま」②

1990年:「JAPANESKA」③

1992年:「思春期」④

1993年:「FACELESS MAN」⑤

 

②はスカを取り入れ、③は沖縄音楽やフォークミュージックを取り入れ、④で『島唄

が生まれ、そして⑤の1曲目が「いいあんべえ」というわけだ。まずは聴いてもらうのが早いかな。

 

 

荘厳に始まるがもう既にバリ音楽の響きがし、歌は思いっ切りうちなーぐち(沖縄弁?)で歌っている。そして英語でさあ今から始まるよ、みたいなのが入り、今度は思いっ切りバリのケチャだ。ここまでで1分。歌が始まり沖縄音楽の合いの手も入れつつ、三線も入りつつ、ベースはファンキー、底にはバリ音楽、と曲を成り立たせている成分を書くだけで滅茶苦茶である。その後、英語のラップあるいはレゲエっぽい喋りが入る。そこにギターがハードに絡んでいく。2題目が始まる。サウンドはちょっとサンディのソロアルバムを思わせる。最後は合いの手が入り沖縄っぽくしかしバックはファンキー、そこに三線が絡み、三線で終わる。これがザ・ブームの新たな一手だ、とリスナーが強く感じた(であろう)曲だ。

 

これは一体どういうことなのだろうか。③④で取り入れたいものを礼儀正しく取り入れたザ・ブームが今度はバリ音楽や多分ディック・リーなんかのアジア音楽に影響も礼儀正しく取り入れたのだろう。しかし、れっきとしたザ・ブームの作品となっている。こういうのがもう1回来る。ブラジル音楽だ。

 

1994年:「極東サンバ」⑥

1996年:「TROPICALISM―0°」⑦

 

⑥でブラジル音楽を取り入れた彼らは「風になりたい」をモノにする。そして⑦の2曲目「TROPICALISM」では「いいあんべえ」と同じようなことが起きている。人はこれを「昇華」と言うだろう。これはもう何を取り入れどう昇華させたのかよく分からん怪作あるいは快作と言うべき作品だ。どうもここまでのザ・ブームには法則があるっぽい。

 

品よく取り入れた他ジャンルの音楽的要素を元に万人に受け入れられる曲を創る(「島唄」「風になりたい」)。そしてそれを拡大再生産せずに、新たに独自の楽曲を創り出す。僕は「TROPICALISM」こそがザ・ブームの最高傑作だと思っている。その後は再び沖縄音楽に接近したり歌謡曲に接近したりと相変わらずの動きを見せていたが、どこか安定、を感じたものだ。時々シングルで宮沢和史のロックンロール魂が爆発することはあったが、大衆にはあんまり届かなかった。大衆はミヤのことをいい曲を書くいい人、と思っているだろうが、彼はロックな人だと僕は思っている。あ、これも書いておこう。「FACELESS MAN」からのライヴはもう4人だけでは再現できなくなっていた。よってどんどんメンバーが増えることになった。ザ・ブームという4人組バンドではなく、チームというか、バンドという名ではすまない集合体になっていった。

 

 

 

余談だが妻はザ・ブームに入れ込んでいた。彼らが解散コンサートを行うと知った時は関東から関西まで追っかけて行ったし、我が家にWOWOWが導入されたのもザ・ブームのラストコンサートが放映されると知ったからだ。妻との最初の会話がザ・ブームだったし、最初は僕の方が入れ込んでいたんだけどな。(同様に斉藤和義も最初僕が入れ込んでいたのに今ではコンサートがあれば必ず妻は一人で行っている)

 

 

「いいあんべえ」に迫れたか度数は、「よくできました」「できました」「もう少し」で言うと「もう少し」だったな。修行せねば。さ、ビール飲も。