藤原竜也の巻

木曜日の夜、YouTubeでひたすら好きなミュージシャンを検索して観る、ということをしていて気づいたら23時を過ぎていた。いつもならもうスヤスヤ寝ていて、もしかしたら1回目の中途覚醒をしているかもしれない時刻である。案の定、次の日の朝は6時半まで眠っていた。朝食を食べて再び出勤のギリギリまで眠っていた。幸いにも午後は授業がなかったので、(帰ろうかと思ったが思い直し)教室でスヤスヤ眠っていた。それにしても(しつこいが)YouTubeで誰かの演奏シーンを観ても最後まで観ないで、他の人にいっちゃうのはなんでだろう?堪え性がなくなったのかな。

 

金曜日の夜は気づいたらリビングで寝落ちしていた。目覚めた時刻は今日の1時だった。この後も眠れるかな?と思いながら寝床に就いたが4時くらいに目が覚めた。しかし爽やかに目覚めることができたので、コーヒーを淹れ、あがた森魚を流しっぱなしにしてこの記事を書いている。ここ2日はコーヒーも淹れることができなかったので、非常に気分がいい。さあ3連休の始まりだ。今日は藤原竜也について書いてみよう。

 

 

9月7日の夜にふとテレビをつけたら、NHK「プロフェッショナル」で藤原竜也を扱っていた。僕は彼についてそんなに知っているわけではないし、そんなに好きな俳優でもない。でももしかしたら蜷川幸雄について何かコメントするかな、と思ってそのまま観ることにした。舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」を公演するっていうんでその舞台裏というか藤原の練習っぷりの取材のようだ。それにしてもNHKも番宣に協力するんだ。

 

藤原はどこでも何でも取材してくれて構わないよという姿勢だったが、舞台関係者からはいろんなところでNGが出ている。「撮影NGだった?また挑戦してみてよ」と言う藤原。何となく彼らしい。

 

番組によると藤原はこれまで舞台を45本、映画の主演を45本務めてきたそうだ。「全てをさらけ出すことができる人」「内側というか内臓というかをさらけ出す」「本当にべろっと見せるんですよ」「べろっと見せられたら『あっ』ってなるでしょう」「トップを走ってるんじゃないですか」と歌舞伎俳優の中村勘九郎が言う。僕は彼の感情をさらけ出すという部分が鼻について敬遠していた。「ちょっと臭くないか?」と思っていたわけである。

 

「ハリーのトラウマを表現するためには、竜也は自身の感情の闇の部分へと入り、トラウマを抱えた人物を演じるということを理解しなければねりません」と演出補は言う。こういうのは分かるようで分かんないだよな。しかし、藤原は稽古の合間、途切れることなくセリフを繰り返して練習する。それはもう鬼気迫る姿である。「肉体化させる」「細胞に植えつける」「繰り返しが大事」「繰り返すことに慣れる」。そしてメイクをしている時も目を閉じてひたすらセリフを繰り返して言う。「役を掘り下げて掘り下げてってよく言いますけど、でも舞台の上でそれが通用するかといったら、頭で思っていてもしゃべれなかったら意味ないじゃないですか」「肉体化させることで台詞という余計なものを考えずに次のステップにいける」。言ったことはちゃんと実践している姿に激しく心を打たれた。

 

劇場での稽古を終えた後も場所を変え再び稽古をする藤原。それに付き合う演出家も凄い。そして「逆の方向もトライさせてください」と今までしてきた演技と違う指示をされても嫌な顔ひとつせずに分かりましたとトライする藤原。なぜか。キーワードは「破壊と創造」らしい。

 

「絶対だめだ。絶対もっと違う。何かあるはずだ」「これでもだめだ。だめだだめだってずっと常に何か疑問を抱いているような…」「破壊と創造」「積み上げてきたもの、知識もすべて含めて一回ゼロにする。そして新しいものを吸収していく」「やらなきゃいけないことは全部やる。でもその中でやっぱり僕は固めないからね」「『まだいくか、まだいくか』って言われるくらいやりたい」「別に幕が開いたらそこがゴールじゃないから。まだいけるって僕は思うからどこまででもいけるもんね。絶対に演劇って」。こんな言葉が出てくるのは、さっきも書いたがそれだけのことをしているからだろう。

 

子どもができたことで演技の幅が広がったかと問われ、「それはない」と答える藤原。ディレクターが「じゃあどうやったら幅が広がるんですか」と問う。「努力、努力。絶対努力」「努力と感覚と…」「才能っていうのは何なのかなって考えたときに半分の自信と半分の自信のなさがあって…」と答える藤原はかっこよかった。

 

蜷川幸雄との稽古では毎日泣いていたという。蜷川の求める表現に自分は追いついていない、できない、圧倒的力量不足を感じていたという。そして蜷川との仕事は私生活ゼロで、「彼女がいるかいないか知らないけど、女の手もつなぐな。ぬくぬく洗濯してくれる彼女、ごはんを作ってくれる役者なんかだめだ」と言われ続けたという。

 

藤原はこう続ける。「自分がちょっと疑問を持ちながら、周りに持ち上げられているというのは非常に危険なこと」「そんなんだったら持ち上げているやつらを片っ端からぶった切ってやって、もっと自分一人ですべて犠牲にして作り上げていくぐらいの思いを持ってないとだめですよね。通用しないですよね。蜷川さんは常にそうでしたよ」。

 

劇中、ハリーは師であるダンブルドアと語る重要な場面があるが、上手くいかない。演出家は藤原と蜷川の関係を訊き出す。「今は蜷川さんが亡くなって僕はすごいいろんなことが楽になったんですね。自由にできる」。そして藤原と蜷川、ハリーとダンブルドアの関係を関連付け、サジェスチョンする。

 

吉田鋼太郎は言う。「いつも大風呂敷広げて『やってやるよコノヤロー』って言うけども、いつも実は(竜也は)おびえている」「おびえているという感覚は絶対芝居をやる人間にとって大事なのよ。いつも自分はだめなんじゃないかというおびえだよね」「あえて言うけど、やっぱり蜷川さんて存在が大きくて、どうしても蜷川さんに・・・気に入ってほしいみたいなところがあってさ。亡霊のようにいつもいるわけですよ。もうやめればいいのに。いつも蜷川さんの亡霊に縛られちゃってる」。そんなことはないと酔っぱらいながら答える藤原。

 

プレビュー公演が始まる。「いい初日だった」と藤原。撮影が許可されなくて落ち込むディレクターに「こんなのちっちゃいちっちゃい」と昔手も足も出なかった時(「シーザー」)のことを話し出す。初日を終えても中日を過ぎても蜷川に「竜也、そんなんじゃだめだよ」と言われ続け、最終日は結局蜷川が下血したため見てもらえなかった。その時の気持ちを聞かれ、「見てほしかったなという思いと、見てくれなくてよかったって…まだ追求されたら困るなという…。正直な話ね。半々ありました」と答えた藤原だったが、すぐに1か月後、蜷川作品(「ハムレット」)に出演させてくれと頼む(「次のステップに行きたいから、挑戦させてください」)。その時の練習の様子が映されたが、藤原も凄いが、蜷川も凄い。酸素吸入器をつけてダメ出しをする蜷川(「熱心にやりすぎるな。もうちょっと冷静にしゃべれば言葉が通じる。熱演しすぎない。だけど、熱い思いをなくしてはならない」)。こんな風に言う蜷川の亡霊を振り払える奴なんているのか?

 

ロンドン公演に行こうとする藤原に蜷川はこう言ったという。「いよいよイギリスに行くときに『竜也、ちょっと来い』って楽屋に呼ばれて」「プラットホームで電車に乗るお前がいて、駅で俺も一緒に乗るはずなのに乗れなくて電車だけを見守る感じだ、今は」「おそらくお前はイギリスに行ったときに夜、一人で泣くと思うよ、いろんな感情があって」「ただ、一言お前に言うけど、力むな、焦らなくていいから。力まなくていいからやれよっって」。行く3日前ぐらいのことだという。もう会えないかもしれないと思っている師匠が途轍もなく可愛いと思っている弟子に言う言葉だ。泣ける。

 

ところが藤原は、「『分かりました』って言ったけど、『よし、蜷川さん来ないんだ』って思ってロンドンに行って解放された自分がいましたね」。その1年後蜷川は亡くなる。それから6年。「今はラクに努力してるかな。蜷川さんという縛りがなくなって。ラクな努力。(でも)1本も自分の満足する舞台やったことない。蜷川さんいなくなってから」。だから藤原は今回挑むことにしたのだという。

 

「会いたい、会いたくない」「見てほしい、見てほしくない」。ハリーの気持ちなのか、藤原の気持ちなのか。きっとどちらもだろう。最後の最後まで自分を追い込む藤原。そして初日。もちろんひまさえあれば楽屋でも台詞を口にする藤原。舞台の袖でもそれは続く。

 

無事初日を終えた藤原にディレクターが「もし、蜷川さんが生きていらしゃったら聞いてみたいことは?」と聞く。「ありますよ。『僕の仕事のやり方どうでしょうか?』」って即答した。「合ってるのかな?っていう。自分のジャッジが。蜷川さんというのはいろんな違う人の仕事でも常にてんびん、はかりみたいな人だったから」。「初日の芝居は合っているのか?」とディレクター。すると「それは合ってるでしょう。それは合ってますよ。間違いない」とまた即答である。

 

いつもの「プロフェッショナルとは?」という問いにも即答だ。「『破壊と創造』。蜷川さんには『竜也、今ある自分を否定しろ、じゃなきゃだめだ』っていっつも言われていた」そうだ。

 

 

 

今日は久しぶりに番組を写経してみたが、力のある人は言葉を持ってると思い知らされた。だから、誰かが書き起こしてもいいんじゃないかと思ってせっせと番組を観ながら記事を書いた。この前千原せいじのことを書いたけれど、それとは対極の生き方だ。どちらもかっこよい、と思う僕であった。

 

 

 

最後にどーでもいいことも書き留めておこう。僕は7月上旬以来夕食を作り続けているが、課題がひとつある。それは妻を食事だけに集中させるということだ。彼女は最初に一口食べて「美味しい」とは言うが、そのまま食べることに集中することはまずなくて、食べながらスマホタブレットに意識を向けている。僕が渾身の心持ちで作った食事をそうやって食べるのか・・・と少々残念な気持ちを持ちながらもせっせと食事を作る僕であった。