hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

3回忌~ミチロウとの思い出~

ゴールデンウイークは「ステイホーム」。僕にとっては忙しい日が続く。音楽を聴きたい。たまったテレビ番組も観たい。ブログも書きたい。教材研究もしたい。したいことがたくさんある。

 

というわけで、最近続けてブログを書いている。今までと違うところは、書き上げる時間が短くなったこと、あまり推敲せずに記事をアップする事、アップする時間がまちまちになったことなどだ。決めごとが少なくなると楽になるものですな。

 

というわけで、今日は遠藤ミチロウのことを書きたい。

 

ミチロウの死を知ったのは一昨年のゴールデンウィークのことだった。どうやって知ったのかは覚えていない。おそらくヤフーニュースか何かだろう。とにかくすぐに知り合いに連絡したのを覚えている。

 

僕はその頃から心の調子が悪くなり、結局1学期が終わるのを待たずして病休することになった。どうも僕の調子の悪い年は、大事な人が亡くなる。忌野清志郎然り、三沢光晴然り。時期も似ている。

 

これから書くことは、あまりいい思い出ではない方のやつだ。

 

ミチロウの名曲群の中に「我自由丸」というナンバーがある。タイトル通り「ガジュマル」の樹が登場するのだが、もうすぐミチロウのライブが地元で開催されるというある日のことだった。僕は突然閃いた。どこで、何故閃いたかは全然覚えていない。

 

「我自由丸」、三線で弾けるところがあるじゃないか。しかもメロディも沖縄チックだしいいんじゃないか。「我自由丸」に三線を入れて録音する。これはグッドアイデアなのではないか。そう閃いた僕は早速実行に移した。

 

まずイントロの部分の音を三線で探した。比較的簡単に見つかったので繰り返し練習し、あとはどこに入れるといいか考えながら曲を聴いていた。そしてギターとマルチトラッカーを持ち出し、ギターを録音した(コードは、トホホだけど、ギター教室の先生に教えてもらっていた)。

 

それを聴きながら三線の音を重ねた。僕のしていることを妻に知られるのは何となく恥ずかしかったので作業は深夜に行った。何テイクか録った後、次はボーカルだ。その頃まだCD化されていなかったので、歌詞は録画されたライブを観て、一生懸命聞き取った。そしてほぼ呟き声に近い状態でボーカルの録音をした。最後にやっぱりリズムがほしいなと思い、段ボール箱を叩き、その音にエフェクトをかけて簡単なドラムとした。

 

ここまで何も考えずに自分の閃きを現実化するために夢中で作業をしていた。いよいよライブ当日だ。

 

当時僕は結構ミチロウと話せるようになっていたので、リハーサルが終わって外に出たミチロウにくっついていった。CDを持って。そしていつ言おう、いつ出そうと思いながら話していたが意を決してミチロウに「これ聴いてもらえませんか」とCDを渡した。

 

ミチロウはふぅ、とため息をつき「こういうの多いんだよねぇ」と言った。この言葉を聞いた瞬間、初めて僕は何てことをしでかしてしまったんだろうと思った。自分の閃きだけで曲を吹き込む。ここまではいい。でもそれを当人に渡すのはとても礼を失した行為だ。自分の想いだけ押し付けて、相手がどう思うかを全く考えていなかった。ああ・・・。この日のライブは結構へこみながら観ていたのを覚えている。

 

「我自由丸」はまぎれもなく名曲だったので他の人からもカバーされるようになった。カルメン・マキヴァージョンはアコギとスライドギターがメインだった。でも後日誰だったか忘れたが「我自由丸」のカバーを聴いた時は思いっ切り三線を使っていた。「やっぱり三線入れたくなるよね」と思ったものだ。

 

この一件以来何となくミチロウとは疎遠になり(僕の方が話しかけられなかった)、普通に話せるようになるまで数年かかった。最後のライブでは前にも書いたが、音頭のリズムを熱心に僕に話してくれた。普通に話せるようになってほんとによかった。